国語学者の金田一春彦さんに初恋の回想がある。
旧制浦和高校に入ってまもない初夏のこと。
学生寮から東京に帰省したとき、
近所の道で可憐(かれん)な少女ににっこり挨拶(あいさつ)された。
〈魂が宙に飛ぶというのはこういうときだろうか〉(東京書籍『ケヤキ横丁(よこちょう)の住人』)。
恋文をしたため、
少女宅の郵便箱に託した。
やがて返信が届いた。
〈私の娘は、
まだ女学校の一年生である。
貴下の手紙にお返事を書くようなものではない。
貴下は立派な学校に入学された前途ある方である。
どうか他のことはしばらく忘れて学業にいそしまれよ。
少年老い易(やす)く…〉
何年かして応召するとき、
見送りの人垣のなかに少女の顔を見つけた。
金田一さんが少女と初めて言葉を交わしたのは、
それから30年余り後のことである。
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「父親」に只者ではないと見抜かせた文章力の金田一少年も流石と思います。
冒頭のところで ふと思い出した芥川龍之介の短編を読み返したくなりました。
何年かして応召するとき、理由は何も告げず「きょう出征する人の見送りには必ず参列しなさい」と言った娘の父親の真意は何であろうか?「二度と帰ってくるな」かそれとも「無事に帰って娘の婿になってくれ」か、それとも、、、「お前には素晴らしい恋人が居たことを忘れるな」だろうか、無粋だな俺も。
金田一春彦氏の生い立ちを調べていくと、1913年生まれである。
杉並小学校6年の時,童謡教室に通い、2年生の安西愛子と知り合った。旧制浦和高校入寮の夜1級上の春日由三「諸君は恋を得よ」という演説に感動し、安西愛子に生涯一度の恋文を送るも、愛子の目に触れることはなかった。愛子の父は小学校の校長であり、学生の本文は勉強であり、勉強に邁進されよという暖かいお言葉と受け止めるべきでしょう。
東大大学院に籍を置いたまま応召して、帝国陸軍に入隊するも、歩兵として入隊した。「今日出征する人の見送りには必ず参列しなさい」という愛子さんの父親の気持ちは、金田一青年に対する最高の表現であり、心を打たれる。深い父親の愛情を感じる。
このはなし、自分はどこかで知っていたが、よくそのときの細部を思い出せない。しかしそのときと少し印象が違う気がするなあとおもいながらネットをみてみたら、次のようなサイトがでてきた。
https://books.bunshun.jp/articles/-/1975
このネット記事によると、
1、恋文は愛子の眼に触れることはなかった。
2、春彦は手紙を八つ裂きにして、燃やしてしまった。ここでひとつ問題になるのが、この燃やされた手紙が春彦がおくった手紙なのか(その場合、父親によっておくりかえされたことになる)、父親からの手紙そのものなのか、記載がない。
この二点については、孫崎さん引用(読売新聞の編集手帳のようだが)のなかでは省略されている。
また、changeさんの述べるところによれば(changeさん、情報ありがとうございます)、3、春彦と少女は以前からの知り合いであり、いくら戦前とはいえ、多少は会話をしたことはあったはずであり、孫崎さん引用のなかの「金田一さんが少女と初めて言葉を交わしたのは、それから30年余り後のことである」というのは、ちょっと大げさである。
また、少女に声をかけた動機も、孫崎さん引用の記事ではひとめぼれからの情熱を示唆する書き方だが、changeさんの情報によれば4、「高校入寮の夜1級上の春日由三「諸君は恋を得よ」という演説に感動し」、つまり男の先輩からの煽りあるいは焚き付けにも一端はあるのであり(これは現代でもふつうにみられる)、そうであれば少しロマンチックの度合いは下がるであろう。
別になにかを批判しようとして書いているのではなく、春彦氏のなかでももしかしたら少しずつ記憶がかわっているのかもしれず、さらに引用をされ、夾雑物が落ちてすっきりと、まるで万葉集のうたのようなおもむきさえ感じられるものがたりになっている。そのことに味わい深さを感じた。