今、日本の政治で集団的自衛権が最重要案件となっている。この問題で何が問題か。それは憲法との関係で、日本の体制を揺るがしかねない状況を作っていることにある。
この事情を説明しているのが5月8日付ニューヨーク・タイムズ社説である。その要点
を見てみたい。
・安倍首相は日本の領域を超えて同盟国と共に戦うことが出来るように自衛拡大する方
向を進めている。彼が積極的平和主義と呼ぶもの、地球的なより大きい安全保障上の責
務を果たそうとしている、
・軍事力を変えようとする安倍氏の試みは憲法解釈の変更を必要とする。それには国会
の3分の2の承認と国民投票での承認を必要とする。
・安倍首相は政府が憲法解釈を変えることで憲法九条を避けようとしている。これは民
主主義の過程を覆すものである。
・日本は民主主義の真の危機に直面している。
こうした危惧はニューヨーク
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反対デモから不服従運動まで粘り強いレジスタンスに個人個人がどうかかわるかの問題になりました。
お話のように、日本を守る、米国を守るという観点に立てば、現在の安全保障条約による同盟関係で、戦争など異常事態に十分対処できます。集団滝自衛権は、同盟関係を一歩踏み込んで日米一体化して戦争など異常事態に対処するということである。自国を守る限度を超えて、米国の利権を守るために日本が全面的に一体化して行動するということであり、憲法の精神を著しく逸脱しており、日本の国益より米国の国益に沿うことである。選挙権を18歳に下げたのは、明らかに徴兵制を意識したものであり、米国に従属した国家に変わっていくのは認めるわけにいかないのですが、最後の砦の公明党は、支持者に対するアリバイ作りだけのようであり、流れに流されている感じがしてしょうがない。
米国のための米国のための戦争に参加することを目的に集団的自衛権の言葉にこだわってきたが、公明党を丸め込むことに成功し始めると、国連対応ができないことがわかり国連集団安保武力行使を言い始めた。
自民党は、根本的に国連主導なのか米国主導なのか、腰が定まっていないため、次から次へと不都合が出てくるというより抜け穴だらけ、国民的議論がないと、何を決めても意味がないことを自覚する必要があります
国民安保法制懇の声明については、先にメディアでも報じられており、よく承知していました。しかしながら、参加者12名とはいかにも少なすぎます。考えを同じくする人はもっと大勢居るはずです。全国の各界から多数の識者が多数集まれば、さらに大きな力になると確信します。私も及ばずながら、長年、大学の法律科目の授業を担当し、「日本国憲法」についても多くの時間を割いて講じてきました。昨今の安倍内閣の立憲主義の精神を無視した横暴なやり方には、怒りを禁じえずに居る者の一人ですが、意見表明の機会が乏しいのを残念に感じてきました。そこで孫崎さんにお願いです。たった12名ばかりでなく、もっと広く全国の有識者の声を結集するような場をこしらえ、大勢の参加を呼びかけていただいてはどうでしょうか?
自衛権と日米安全保障条約で、日本の自衛は権利の面ではカバーできていると言えよう。しかし、それはあくまでも自分の家の戸締りを考えているにすぎない。自分が属するコミュニティが共同で望ましいと考える文明と文化を維持しようとする協力を望んでいる時、具体的に言えば例えばホルムズ海峡の船舶の自由な運航を海賊の襲撃から守ろうと考え、協力をメンバー国に要請するとき、日本は憲法によって国外では自衛艦の活動を認めないと言い、自国のタンカーが実際に攻撃され、SOSを発して逃げ回っている時に、自衛艦2隻が至近距離にいたにも関わらず、遠くにいた協力国のドイツの駆逐艦に急きょ救助を依頼し、ようやく海賊を追い払って貰ったという事実がある。すなわち、日本は全くのひきこもり状態であり、日本の自衛隊は厳密に自国が攻撃を受けた場合にのみ活動すると言うものであり、本当に日本が攻撃を受けた場合でも、自衛隊員には警官程度の自覚と意志しかない。すなわち、武器はあっても軍隊ではない。それでも良いのだ、日本人が死ぬより良いのだと言えば、それも正しい選択かもしれない。その場合、日本の自衛隊はどちらかと言えば、米国に雇われたペーパーカンパニーならぬ、ペーパー軍隊、おもちゃの兵隊にすぎない。繰り返すがそれも日本人が自国にたいしてとれる1つの選択である。但しその場合は、世界中の国からその様に見做され、バチカンのスイス兵のようなお飾りと見做されるかも知れない。100%の受け身の防衛と言うのは、実戦を覚悟し、死を持っても国を守る覚悟を持つ本来の軍人からすると技能は持っていても、いざという時、相手を殺すためにミサイルや、機関砲の引き金を引くことができない普通のサラリーマンだそうだ。それでもいいかもしれない。ただし、その場合、効果的な自衛活動も難しく、僅かな抵抗ののち、降伏することになるだろう。その結果として、例えば、日本が中国や南北朝鮮の支配下に置かれることがあっても、日本国民は自分をせめるしかないだろう。すなわち、自衛隊は自衛の任務が果たせない機関として終わるだろう。それも悪くないのかもしれない。
もちろん、そうなった場合、孫崎氏のような人たちはもしかすると日本が中国に支配される方がアメリカに支配されるよりも望ましいと考えるかも知れないし、結果として国民の何割が中国支配を望み、何割がアメリカ支配を望むかという問題になり、日本は中東、アフリカ諸国のように、2勢力の内戦が発生するかも知れない。第3のチョイスは完全中立であるが、その方法も見かけ上アメリカの支配下にあり、見かけだけの軍隊を維持し、米国の要請に応じて応分の寄与を果たす方式と、まったく独立を保つ方式(例えばスイス方式)である。スイスを真似ることは、地政学的にみて日本には無理だろう。さすれば、米国の支配下に留まり、できるだけ戦争には巻き込まれないというチョイスしかない。いま安倍首相がやっているのは、支配者である米国の要請で、海外での戦力活動に少しは参加できるようにしようということであり、現実的な考えであろう。どうせ今の自衛隊員に国のために命を投げ出すということを求めても無理だし、従ってかつての日本軍のような、軍自体が自己意思で活動することは当分ないだろう。
「自衛隊は軍隊ではない」という理論があるらしいが、他国の軍隊と同様な機材、それらを操作する隊員を持ち、他国の軍隊が日本の領土に侵入し日本国民の生命を脅かした時に、その他国の軍隊と戦い、他国の軍人を殺すという点において、自衛隊は他国の軍隊と全く同様な働きを磨るはずである。とすれば、自衛隊は軍隊とどこが違うのか。どこの国が自国の軍隊は他国を侵略するための機関であるとおおっぴらに言っているか。米国、中国を含む全ての国が、自国の軍隊は自衛のための期間であると言っているではないか。例えば米国には1940年以前の日本のように陸軍省とか海軍省はない。あるのは国防省である。国防省の参加にU.S. Army, Navy, Air Force, Marinesが存在するのだ。とすると、自衛隊とどこが違うのか。陸自、海自、空自はU.S. Army, Navy, Air Forceとどこが定義として、実質としてどこが違うのか。