ODとは今年の2月ぐらいにストリートで知り合った。私の娘以下と言って良い年齢で、当然スパンクハッピーなど知らなかったのだが、歌が素晴らしく、ルックスは、簡単に言うとボーイッシュなのだが、もっとアンドロジーナス的である。性別不肖と言うのが正しい、本人も知らない節がある。
今期のスパンクハッピーは「55になった明智小五郎と、本当は少女である小林少年」という感じである、と言えよう。
実はもう既に、レコーディングは、三越伊勢丹のキャンペーンソング「夏の天才」以外にも2曲済んでおり、アー写、三越伊勢丹のキャンペーンサイト用の写真、動画、配信用のジャケットの撮影も済んでいるのだが、この段階では、先ずは「どのぐらい踊れるのか?」のチェックが最重要事になっていた。以下はその経過である。
番組でODの名前を出した所、さまざまな(ウソ。大体ひとつの)憶測が飛び交ったようで、あれだけ番組内で「<あ、解った。○○○○さんでしょ!>とかいった野暮な事はせず、<何でもODというらしいよ(笑)>ぐらいで収めておいて欲しい、別に、シークレットへの興味で集客するわけでもなし、当日来たら解っちゃうんだから」と、口を酸っぱくして言ったにも関わらず、まあ、ネットというのは思ったらすぐ口に出す退行的なものであるからして、野暮は止めろ、などといった前近代(大体、江戸時代末期ぐらい)的な呼びかけに応ずる民ではない事は解っているが、何せ一番困ったのは、推測されている人物ではない。という事実で、それが何より証拠には、今回、顔を公開する。スクロールすると一番最後の写真に、はっきりと出るが、急いでそこに行かずに(まあ、これも無理な呼びかけだろうが)、上から順に読んで行って欲しい、ODが完全無欠の新人である事が歴然とするであろう。
<ダンスレッスン初日>
当ブログの前回にある通り、ODは音楽的才能は私よりもある、のだが、踊った事は一度も無いという。とまれ、運動は好きだとの事で、ちょっと前まではボルタリングにハマっていた等、信じ難い逸話もあるし、踊った事が無くても、教えればすぐ出来る者もいるし、いやあ全然イケますよといって、箸にも棒にもかからぬ者がいるのも世の常である。
レッスン初日前に「ダンスレッスン用のウエアは持っているかOD?」と訊ねると「ボス、自分、持ってるじゃないすかあ」とニコニコしているので、じゃあそれ持ってスタジオに来てくれというと、完全にランニング用のウエアで現れた(笑)。「ODそれはダンスレッスン用のウエアじゃない。ランニング用だ。別に良いが」というと「あ。しまった。ボス、自分、、、間違えたじゃないすかあ、、、、」と困惑していたので、「気にするな、ではまず曲を流すから、適当に身体を動かしてみろ」というと「ハイ!」と言って、走り出した(こう、スタジオ内を周回する様に)。私はロダンの考える人のポーズになって、「あのなあOD。今お前は踊ってないぞ」「えええええ!?」「走ってる」「ホントだ!!自分、すげえ驚いたじゃないすかあ、、、、」と呆然としている。二人で呆然としたまま、初日のレッスンを終えた。
<レッスン2日目>
またスタジオを周回されたらどうしよう、と思いながら、簡単な振り付けを考え、スタジオで待っていると、「ボス、これでどうすか?」といって、まあ、、、、そこそこ、、、それはそれでダンスレッスンのウエアだよね、、、、といった感じで現れたので、まあまあ良いだろう、早速やろう。という事になり、はい、じゃあまずセットはこうして、最初のステップをこうする、、、、と教えた所、驚くべき事に、一回で総てコピーして記憶出来る事が解った。ODは天才児で、未だに性別が解らないのだが、どうやらあらゆる才能を持っている。絶対音感もあるし。
ただ、天才は天才らしく、とてつもない欠損も持っている。1曲憶え終わると、バタンキューとばかりに床に倒れ「ボス~。自分もう体、動かないじゃないすかあ~」と、30分間静止してしまった。ODは記憶に脳を使うと、体力全部をそれに費やしてしまい、分配出来ない事が解った。完全集中型である。天才にありがちな属性だと言えよう。ウルトラマンやヱヴァンゲリヲンのようだ。私は再びロダンの考える人(1888年作)のポーズになり、2日目が終わった。
<アー写撮影>
この日は、三越伊勢丹さんのサイト(我々のデビュー曲、「夏の天才」は、三越伊勢丹の夏のキャンペーンソングである。キャンペーン開始は奇しくもグレートホリデーの翌日から)用と、今後の為のアー写撮影があった。メイクとスタイリングは何とか私が決めたが、問題は、メイクやカメラマン等、スタッフ全員も、私自身もまだ、ODの性別が解らない事だった。なので、多角的にどのジェンダーでもクールになるように総てを組織していった。
まだ公開出来ないが、5月14日になれば、一挙にメディアに上がる、三越伊勢丹サイト用のアーティスト写真、「夏の天才」の配信用ジャケット写真、常時使う用のアーティスト写真、をご覧頂ければお解りになるだろう。ODは視力が良く、眼鏡は要らないが、アイコンとしてODグラスを用意してみた。
ある程度音楽を御存知の方が、後で写真をご覧になれば一目瞭然だろうが、クラフトワークである。ヘアサロンのクラフトワークである。アイシャドーをグリーンにしたのは、私の眼鏡(これはアイコンではなく、普段使いなので、ボスグラスではない)のレンズの色に合わせた結果である。偶然だが、「グローバル・グリーン」のグリーンにも適合している。クラフトワークだからして、唇の血色を消してしまう為に、ファウンデーションを唇にも塗った。公開をお楽しみに。
ODはアルジャーノンの用に高速度撮影で成長して行き、既に私よりもダンスがうまくなっていた。脳の使い方に整理がついたのであろう。「ボス、ここは、こうやった方が可愛くないですかあ?」と言いながら、どんどんリードして行き、しかも不休で何時間でも踊れる様になった。
私は追いつけなくなり、3度、フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンの「考える人」のポーズになった。ロダンは、1880年にダンテの「神曲」中の地獄編に登場する「地獄の門」の製作に着手するが、ものすげーめんどくせー紆余曲折の末、1888年に一応の完成を見る。この時期に知り合ったのが、御存知カミーユ・クローデルである。カミーユは精神を病み、死ぬまでを精神病院で過ごしたし、奇しくも、私とODの年齢差はロダンとカミーユの年齢差と一緒だ。だが私はロダンの様な偉大な人物ではないし、ODはカミーユもなにも、性別すら歴としていない。私は4度「考える人」のポーズになるのであった。
<レッスン最終日>
「もう、DC/PRGのTシャツ来てるし、絶対そうでしょうよ!!(笑)」と仰る方もおられるだろうが、それは早計というものである。このTシャツは私が現場でODに与えたものだ(ODが、自分が作った振り付けを自分でやってみせる事が出来なくなり、逆上して着ていたTシャツを引きちぎってしまったため)。
それでもまあ、疑り深き者は後を絶たない。ここでいよいよODの顔を公開しようと思う。推測されているあらゆる人物と違う、完全無欠なニューカマーであることがご理解頂けると思うが如何だろうか?
試しに私とツーショットしてみた。この記事に関するあらゆるコメントは受け付けない。ライブ後には、大量に残されているODの顔出し写真を一挙に蔵出しする。というより、最終スパンクハッピーはインスタグラムのアカウントを取得したので、ダンスレッスンの動画からなにから、総てを見る事が出来る。ライブ当日のODの衣装は私がスタイリングした。プラダ、アディダス、ペッパーショップ、カルツェドニアである。ではグレートホリデーで。
<最終スパンクハッピー>