まちがいだらけの包茎知識 (寺子屋ブックス)

 これから包茎手術について話をしようと思う。もちろん、あなたは「知っているよ」というかもしれないし、包茎手術を受けるやつなんてばかだと思っているかもしれない。しかし、そうはいっても包茎手術の現実的な問題についてくわしく知っているひとは少ないはずだ。

 何しろ、この件についてGoogleにお伺いを立ててみたところ、アフィリエイトなのかステマなのかはわからないが、包茎情報サイトに見せかけた包茎手術宣伝サイトが大量に見つかるばかりで、正確な情報を掲載したサイトはほとんどないようだった。

 インターネットを利用してなお正しい知識を身につけることはむずかしいのだ。そこで、じっさいのところ、包茎手術は必要なのかそうでないのか、ここに記しておくことにしたい。あなたの参考になれば幸い。

 包茎手術とは、ペニスを覆う包皮をメスで除去する手術である。なぜ除去しなければならないのか。その理由はいろいろあるが、「カッコ悪い」とか「不潔な気がする」、「女の子に嫌われそう」といったものが主因だろう。

 つまりは医学的に問題があるというよりは、何かしらの心理的要因で手術を受けるのだ。ひとから見れば何でもないことでも本人にとっては深刻な悩みだということはある。特に性に関するコンプレックスは、ひとに相談しづらいだけに深刻化しやすい。包茎もそのひとつ。

 ひとからすればある種、滑稽ではあるかもしれないが、こうした悩みを笑うことはだれにもできないだろう。ただし、この種の「包茎カッコ悪い説」は手術する側が自分たちの利益のために煽り立てたものであることは知っておいていい。

 澁谷知美『平成オトコ塾』によると、高須クリニックの高須克弥院長と作家の鈴木おさむの対談に以下のような内容のものがあるという。

高須 僕が包茎ビジネスをはじめるまでは日本人は包茎に興味がなかった。僕、ドイツに留学してたこともあってユダヤ人の友人が多いんだけど、みんな割礼しているのね。ユダヤ教徒もキリスト教徒も。ってことは、日本人は割礼してないわけだから、日本人口の半分、5千万人が割礼すれば、これはビッグターゲットになると思ってね。雑誌の記事で女のコに「包茎の男って不潔で早くてダサい!」「包茎治さなきゃ、私たちは相手にしないよ!」って言わせて土壌を作ったんですよ。昭和55年当時、手術代金が15万円でね。

おさむ えぇーーー!! じゃあ世の男性はみんな高須さんのサクリャクにハマったってことですか!?

高須 ですね(笑)。まるで「義務教育を受けてなければ国民ではない」みたいなね。そういった常識を捏造できたのも幸せだなぁって(笑)。

 厚顔無恥というしかない。本来は存在しないコンプレックスを人為的に生み出し、甘い汁を吸っていたというわけだ。日本人男子の多くが自分のペニスに自信をもてずにいるとすれば、責任はこの人物にあることになる。つまりは「包茎コンプレックス」には何ら根拠がないのだ。

 そうはいっても、とあなたはいうかもしれない。包茎ではやはり恥垢がたまって不潔ではないか。しかし、不潔なら洗えばいいのである。そうすれば清潔さは保てるし、むしろ「手術さえすれば洗わなくて済む」という発想のほうがおかしい。

 また、包茎だとセックスに弱いという話もきわめて怪しい。先に挙げた本によると、そもそも大半の男性は包皮があってもなくても変わらないといっているし、「生まれたままの包皮を持つ男性、切除した男性、その両方とセックスをしたことのある女性一三八人に聞いたアメリカの調査では、八九%の女性が包皮あり男性とのセックスのほうがよかったと答え」という調査結果もある。

 これは直接間接いろいろな理由が考えられるが、セックスのことを考えるならむしろ切らないほうがいいかもしれないということになる。それにしてもこういう話を読むと、ああ男ってものはセックスに自信がないひとが多いんだなあ、と思ってしまうね。

 自信がないから手術とか受けて何とかしようと思うわけで、コンプレックスの根は単なる包茎問題より深いところにあるのだろう。ぼくも男だからセックスに弱いことが男性にとって非常な屈辱であることはよくわかる。

 しかし、よくよく考えてみれば、そもそも早漏で何が悪いんだろう。セックスで快感を感じやすいことは良いことではないか。セックスをなるべく長引かせたいと思っているとしても、セックス中の女性の多くは「早く終わらないかな」と考えているというのはよく聞く話。

 本来、世間体やら常識やらを脱ぎ捨て裸になってやっているはずのセックスでも男と女が嘘やら隠し事を抱えているって不毛だなあ、と思う。もちろん、これを女性だけの責任ということはできない。しかし、逆に男だけに責任があるというものでもないだろう。

 女性側がもあいてのセックスに不満があるならそういえばいいのだ。口に出しもせずにわかってくれることを期待することは無理があると思うぞ。まあ、どうしてもいえないことではあるんだろうけどね。

 それは余談だが、とにかく包茎なんてほっといてもかまわないものだといえるのだ。医学的にどうしても治療の必要性があるということなら別かもしれないが、コンプレックスから手術を受けたいというならやめておいたほうがいい。

 何より注意するべきは、手術には登園、苦痛と危険性がともなうということだ。ネットの記事を見ると、「まあ、苦痛や危険性については心配ですよね」と一応は理解を示してみせたあとで、「そこへ行くとこの病院なら安全!」と推薦しているのだが、本当だろうか。

 何しろことはペニスである。だれでもひとつしか持っていないもので、しかも損なわれたら取り返しがつかないものなのだ。わざわざ痛かったり傷跡がのこったりすることを選択する必要はないと思う。「よほどの理由がない限りやめておけ」ということ。

 そもそも海外では生まれてすぐに包茎手術が行われる国も少なくない。そこではしばしば「包皮再生」の器具や手術が流行しているという。つまり、海の向こうにはわざわざ器具を使ったり手術を受けてまで包茎になりたいという人たちがいるのだ!

 こういう話を聞くと、自分の価値観というものがいかに外からの影響で形づくられているのかわかる。日本の常識、世界の非常識。気づかないうちにひとが創りだした価値観に「洗脳」されているんだなあ。

 ひとが包茎手術を受けようと思うのは、自分がいかにも「男らしくない」気がするからだと思う。自分のペニスに自信がもてないということは、自分自身に自信がもてないということだ。そう考えると、男性というものは、いかにも可憐なものではないか。そこにつけこんで金儲けする包茎ビジネスには反感を覚える。

 自分のペニスは自分で守りぬこう! コンプレックスを煽り立てる情報に洗脳されている場合じゃないよ。