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  • 究極のスローライフとはどんな生き方か。

    2016-05-29 00:00
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     以前にも書いたかと思いますが、ぼくの生涯の目標は「人生を楽しみつくす」ことです。

     いままでのところ必ずしもうまくいっているとはいえませんが、短い一生で可能な限りこの世を楽しみつくして死にたいと思っています。

     人生を楽しむには大きく分けてふたつの方法論があると思います。

     自分自身で直接に体験することと、本や映画などによって間接に体験することです。

     ぼくは35歳を過ぎるまで主に後者の楽しみ方を実践してきたわけですが、最近はそれだけの生き方に限界を感じ、直接に体験することも大切だな、と思っています。

     これは「いくらフィクションを味わったところで現実の体験には及ばない」という意味ではありません。

     ただ、直接体験と間接体験は補完関係になっていて、ある程度直接体験を進めないと間接体験を十全に味わえないようになっていると思うのです。

     逆にいえば、色々体験すればそのぶんフィクションも面白くなるということ。

     だから、いまのぼくの目標は「直接的、また間接的に可能な限り人生を楽しむ」ということになります。

     これはつまり、同時に自分の人生とフィクションで同じテーマを追いかけることになることでもあります。

     あるテーマを、自分の人生で実践しながら本の世界でも追いかけていくということ。

     そして、ここ数年のぼくのテーマとして「スローライフ」があります。

     日頃からニート生活をしているので、どうしたってスローな暮らしになるのですが、それだけではなく、正しくゆったりとした暮らしを楽しむにはどうすればいいのかとずっと考えていたのです。

     以前はこのテーマに関しては禅がひとつの「ゴール」かな、と思っていたのですが、じっさいに禅について調べ始めたところ、さらにさかのぼってその源流である老荘思想にたどり着いてしまいました。

     老荘思想とは、中国の古代哲学者である老子と荘子の思想のこと。本来、老子と荘子には直接の関係はないようなのですが、後世、ひとまとめにして老荘思想と呼んでいるようです。

     その教えは「無為自然」という言葉に象徴されるように、心の拘りを良しとせず、まさにスローに過ごすことを薦めるもので、孔子に始まる儒教とは対照的なところがあります。

     その思想をどう生活のなかに活かすか、いまぼくは考えているところです。

     というか、老荘とか禅宗の教えに従って生きようとすると、必然的にシンプルライフとかスローライフといった生き方に至るようです。

     モノに拘らず、ナチュラルに、自分の生きたいように生きる。あるいはそれが最も尊い生き方なのかもしれません。

     『荘子』のなかの「胡蝶の夢」というエピソードはあまりに有名ですが、じっさい、人生はひと夜の夢のようなものに過ぎないとすれば、肩の力を抜くことも大切なのでしょう。

     時には頑張ることもたしかに必要ですが、それと同じくらいリラックスすることも重要なのだと思います。ひとの努力など、巨大な運命、あるいは老子がいうところの「道(タオ)」には逆らえないものなのですから……。

     否、おそらく 
  • 世の中ってむつかしいね。

    2016-05-27 23:55
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    銀河英雄伝説 2 (ヤングジャンプコミックス)

     どもです。ここ2日間、エネルギーが尽き果てて休んでいました。

     原因はたぶんその前の3日間で20冊くらい続けざまに本を読んだこと。

     せっかく早起きできたんだから本を読むぜっ!とばかりに読みまくっていたらあっというまに気力が尽きてしまいました。

     つくづく思うのですが、この世には面白いものがたくさんある。お金もそこそこある。時間すらぼくの場合は余っている。ただ、エネルギーだけが足りない。エネルギーをなんとかしないと人生を楽しみつくすことはできないなあ、と。

     いままではわりと時間のある限りコンテンツを消化しつくそうと思っていたのだけれど、たび重なる失敗にさすがのぼくも学習しました。

     いくらたくさんの作品があり、それを消化する時間があっても、エネルギーがないとすぐ倒れますね!

     やっぱり一日中ひたすら本を読みつづけるとか、映画を見つづけるとかは無理があるんだろうなあ。少なくともぼくの場合、3日ともたないようです。

     ぼくの人生テーマとして「どうすれば人生を最大限に楽しんで死ねるか」があるわけですが、とりあえずひたすら猪突猛進するビッテンフェルト的なやり方は問題があることがわかりました。

     というか、精神力と体力の限界を考えずに突き進むって『銀英伝』的には愚か者だよね。申し訳ありません、わが皇帝(マインカイザー)。

     まあ、1日に起きている時間がたとえば16時間くらいあるとして、その16時間を休まずコンテンツ消化しつづけることは無理だとわかったわけだから、次善は毎日適度な量を消化しつづけることかな、と。

     たとえば1日1冊は読むようにするとか。体力と精神力がもつギリギリまでスケジューリングして、あとは休む、と。

     ほんとうはそっちのほうが長期的に見ればたくさん消化できるような気もする。

     でも、そうすると必然的に時間が余るのですよね。その余った時間を何に充てるか。

     まあ休むことに充てればいいのだろうけれど、それはもったいないような気がしてならないんですよね。

     いや、そういって倒れていたらなんにもならないわけだけれど……。

     この、「時間を有用に使っていないともったいなくてならない」というけち臭い考え方、実に 
  • 『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』にオリジナリティはあるか?

    2016-05-25 06:31
    50pt

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    ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った? 第1巻(初回限定版)(聴猫芝居書き下ろし文庫小説同梱) [Blu-ray]

     ペトロニウスさんの『灰と幻想のグリムガル』評の第二弾が公開されていますね。


    灰と幻想のグリムガル Vol.6(初回生産限定版) [Blu-ray]

     あるいはいつもの如くこのまま公開されずに終わるのでは?と思っていただけにひと安心です(笑)。

     ぼくの文章も引用されていますけれど、『グリムガル』はほんとうに現代の青春ものの系譜のなかでも頂点といえるような傑作だと思います。

     この作品をまだ見終えていないというこのていたらく。いいかげんそろそろ最後まで見ないとなあ。マーベル映画とか見ていないでこっちを見ろよ、という気もします。

     さて、この記事のなかではっきり書かれているように、現代の青春もののトレンドは、

    1)主人公になれないわき役が、
    2)それでもどうやって人生の充実感を得るか。

     というところに収斂していきます。

     「きっと何者にもなれない」ぼくたちの冴えない青春。でも、けっこう楽しいし、いいところもあるんだよね、と。

     これがおととい、きのうと書いた「充実した人生を送りたい」というテーマとかぶっていることがわかるでしょうか?

     そう、ぼくはフィクションと同じテーマをリアルでも追及しているんですね。ただ、リアルではなかなか「死を実感すれば生もまた輝く」というわけにはいかないから、色々むずかしいわけなんですけれど。

     『グリムガル』が傑作なのは、「1」の条件をほんとうに徹底して突き詰めているところです。

     普通は「わき役」とはいっても一応はそれなりの能力を持たされているものなのですが、『グリムガル』の場合はほんとうになんの異能もないんですよね。それこそゴブリン一匹倒すこともできない。

     で、その未熟で無能なかれらが「死」を実感することによって「人生の充実感=いま、生きているという実感」を得るプロセスが描かれています。

     まさに「わき役たちの冴えない青春系」の最高傑作ともいうべき作品といっていいでしょう。

     これ、映画の『ちはやふる』で、天才のちはやではなく才能がない太一がクローズアップされたのとまったく同じ構造だと思うのですが、もうさすがにそれは説明しなくてもわかってもらえるでしょう。

     現代の青春ものはアニメであれ、映画であれ、必然的にそういう構図になるということなのです。

     と、ここまでは話の前段階。今回はそういう「冴えない青春系」のひとつである『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』について話したいと思います。

     この作品はもはや古典的といってもいいくらいライトノベルの伝統的形式を追従しています。どのような構造なのか、「物語三昧」から引用しましょう。

     これまでのヲタクの言説や自意識の拗らせの中には、常に「リア充」という概念がその軸にありました。ヲタクの自意識を描くときに、どこかにリアルに充実している、この場合は、かわいい恋人やかっこいい彼氏に恵まれて、特に2次元に逃げることもなく、3次元の世界で楽しく過ごしている人々がいるという対抗意識のことになります。昨今(2016年3月時点の話)だいぶ薄れてきた気がするのですが、少なくとも過去のメジャー級の作品である『僕は友達が少ない』(2009-2015)や『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2008-2013)などのライトノベルで頂点に君臨して、アニメ化もされ、一時代を築いた作品群は、この軸が常にセットされていました。この系統のほぼすべてのライトノベルの主要な軸が、これであったといっても、また現在もそうであると言い切っても、おかしくはないほどです。

     そう、「また現在もそうである」。

     ペトロニウスさんはまだ見ていないようですが、『ネトゲの嫁』の軸は、「リア充」ではなく「リア充」に対抗意識を持つ少年少女が自分たちでかってに部活を作り、楽しい学園生活を送るという『はがない』の構造そのままです。

     もう、その点では一切オリジナリティがないといっていい。

     だから、Twitterで宮城さんという方がこのような疑問を呈されていたのはいたって当然だといえます。

    @LDmanken @Gaius_Petronius @kaien もうアップロード完了とは仕事が早いですね。ネトゲ嫁はオタクの描かれ方が俺妹の頃と変わらないように思えて、私は何だかちょっと古臭さを感じるのですが、LDさんから見てどうでしょうか。

     これに対し、LDさんはこのように答えています。

    @mi_ya_gi_3 @Gaius_Petronius @kaien まだ、全部見ていないので何とも言えませんが、どうなんでしょう。僕はむしろ登場人物たちはネトゲユーザではあっても(現代的な意味含め)オタクでは無いようにも感じています。

     どうなんでしょうね。オタクとは何か、とかいいだすとまた長くてめんどくさい議論になってしまうと思うので深入りしたくはありませんが、少なくともぼくは『ネトゲの嫁』を見ていてそんなに古くさいとは感じなかったんですよね。

     しかし、たしかに構造そのものは「リア充」を敵視する生徒たちだけで部活を運営するという、ありふれすぎているものです。やっぱり古くさい話なんじゃないの?といわれてもしかたありません。

     それでは、『ネトゲの嫁』のオリジナリティはどこにあるのか?

     これ、まだなんともいえないところではあるんだけれど、