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記事 3件
  • 深川通り魔殺人事件現場のいまを歩く

    2016-09-20 15:43  
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    スカイツリーに下町グルメ。現在、多くの観光客が押し寄せる東京都江東区森下。しかし1981(昭和56)6月17日、この地で覚せい剤常用者による衝撃的な通り魔事件が起きた。新大橋通の商店街で幼児を含む4人が殺害、2人が柳刃包丁で負傷させられたのである。時は流れて店や町並みも変わり、いまでは事件の記憶を知る人も少なくなったが、この地には、そんな悲しい記憶が宿っているのだ。森下を訪れたら禍々しい事件の被害者の鎮魂のために、そっと手を合わせてみてはどうだろう。取材・文◉藤木TDC/写真◉石渡史暁text &by Fujiki TDC, photo by Ishiwata Fumiaki 
  • 独ソ戦の転換期となった街、スターリングラードを歩く

    2016-09-15 12:51  
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    どこにある?スターリングラードスターリングラードは、現代では「ヴォルゴグラード」という地名に改名されています。ヴォルゴグラードは、ロシアの首都、モスクワから飛行機を使って南へ約2時間ほどの場所にあります。ヴォルゴグラードはカスピ海へ流れ出るヴォルガ川の沿岸にある街です。日本から行く最短ルートは、アエロフロートロシア航空でモスクワまで行き、ヴォルゴグラード行きの国内線に乗り換えます。毎日1便、成田空港からお昼前後に出発して、現地時間の夕方前にはモスクワに着きます。モスクワからヴォルゴグラードへは、毎日4-6便のフライトがありますので、日本を出たその日に着くことも可能です。スターリングラードの歴史ヴォルゴグラードの街が歴史上に登場するのは、16世紀のことです。当時の帝政ロシアが1589年に街を建設して、ツァーリツィンと呼ばれました。ヴォルガ川の婉曲部に位置するために、交通の要所として栄え、周辺民族の間で争いの対象となってきました。※スターリンの彫刻ツァーリツィンは第1次世界大戦後のロシア共産主義革命で、帝政支持派(白軍)と革命派(赤軍)の争いの舞台となります。その時の赤軍の司令官が若き頃のスターリンでした。1920年革命派がツァーリツィンを解放し、1925年のソ連時代に「スターリングラード」と改名されました。さらに工業都市として整備され、第2次世界大戦では大激戦地となります。戦後、1956年のフルシチョフの「スターリン批判演説」を機に、ヴォルゴグラードと改名され今に至ります。1589年(帝政ロシア時代) ツァーリツィンとして街の歴史が始まる1920年(ソ連時代) スターリングラードに改名1956年(ソ連時代) ヴォルゴグラードに改名 現在に至る第2次世界大戦において、戦局の転換期として「スターリングラードの戦い」は、世界中に知られことになります。日本の世界史の教科書の本文にも太字で登場するほどの地名です。なぜ?ロシア南部のスターリングラードの戦いが、歴史に残る戦いになったのでしょうか? 
  • 2泊3日で青森県の不思議を旅する

    2016-09-09 00:02  
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    かつて「中央」から蝦夷と呼ばれた「辺境」の地、青森県。こうした「中央」と「辺境」の関係性は、現在にも残されている。たとえば2015年にセブンイレブンが初出店したニュースも記憶に新しいが、逆に言えば「辺境」だからこその独自文化がグローバリズムの波に負けずに残された土地でもある。しかし表面を撫でるように旅しただけでは、その特殊性はわからない。地層の下に隠された歴史を掘ったり、目立たないが重要な「この土地の現在」へ光を当てるには、ちょっと変わったスポット巡りが必要だ。そこで筆者が提案するのは、青森のミステリーに迫る2泊3日の弾丸ツアー。3日で青森県を味わえる旅として、ぜひとも参考にしてもらいたい。
    文・写真=吉田悠軌
    text & photo by Yoshida yuki