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レスリングオリンピック代表からプロレスに転向、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、SPWF、PRIDE出場……流浪のプロレス人生を送ってきた谷津嘉章がすべてを語るインタビュー連載の第1回! 新日本入団から、あのゴッチさんを怒鳴ったというアメリカ修行時代の道場ガチンコマッチまで! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!







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――谷津さんに濃厚なプロレスラー人生を振り返っていただきたくて、小田原の国府津までやってまいりました!

谷津 わざわざご苦労さん。そうだなあ。アントニオ猪木さんに騙されたのかなあ(苦笑)。 

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谷津さんが店主を務める国府津「はかた亭」


――ハハハハハハハ! 谷津さんといえば、まずはレスリングのオリンピック出場に触れないわけにはいかないですよね。

谷津 俺は足利工大附属高校でアマレスを始めたんですよ。そこの学校の後輩には三沢(光晴)や川田(利明)なんかがいるんだけど。俺はそんなにアマレスはやりたくなかったんですよね。自分は中学のときはルンペンだったから。

――ルンペン?

谷津 帰宅部で何も運動をやってなかったんですよ。いまはさ、ちびっ子レスリングが盛んですけど、昔は柔道や相撲からレスリングに転向する奴が多かったんです。吉田沙保里や伊調馨は小さい頃からレスリングをやってたでしょ。

――谷津さんは校から始めてすぐに頭角を現したんですね。

谷津 覚えるのが早くてね。国体で優勝して、高校2年のときにひとりだけ選抜チームに入ったし。周りはみんな先輩ばっかだから行きたくなかったんだけど。

――覚えるのが早いどころじゃないですね(笑)。

谷津 モントリオールオリンピックは20歳のときに出ましたからね。俺はオリンピック村で20歳の誕生日を迎えたんですよ。

――19歳で! それはかなり異例だったんですか?

谷津 格闘技では異例ですね。まあレスリングを始めてわずか数年の出来事ですよ。 

――それはつまり相当強かったんですね。

谷津 うん。

――さすが「日本重量級史上最強の男」ですね(笑)。

谷津 それがいいんだか悪いんだかね、人生そこで変わっちゃいましたよね。そこから車屋なんかで働こうなんて思わないじゃないですか。どんどんとレスリングのほうに見出されていっちゃうわけだからね。

――当時はオリンピックレスラーいえども待遇はあまりよくはなかったんですよね。

谷津 全然ですよ。その次にモスクワオリンピックがありましたよね。アメリカとの政治的事情で日本はボイコットしちゃったけど。

――谷津さんが出場すればメダルは確実だったと言われる。

谷津 まあ、やってみなきゃわからないですけどね、それは。あの1年2年手前くらいから待遇がよくなってきましたね。強化指定選手というのがあってね、ABCとランク付けされるんですよ。それぞれ栄養費として毎月お金がもらえるんだけど。自分はね、重量級の中でBだったんですよ。

――Aクラスじゃないんですね。

谷津 Aっていうのは世界選手権のチャンピオンクラスですよ。Bってのはアジア大会クラス。Cは強いかな弱いかな、とりあえず強化指定って感じで。19歳でBは俺しかいなかったんです。それはアジア大会優勝したから。

――Bだと栄養費はどれくらい支給されるんですか?

谷津 Bはね、月5〜6万円もらってたかな。あと遠征費も全部じゃないけど協会が出してくれる。それだけじゃ足りないから世界選手権に出るときなんかは県庁や地方自治体に挨拶に行って、壮行会をやってもらって資金を集めるんです。いまでもスポーツ選手というのはね、周囲の応援がなきゃできないですから。そっちに忙しくて練習できなくて勝てなかったなんて言い訳だからね。強い奴は強いですから。

――当時は“日本レスリングの父”八田一郎さんがレスリング協会の会長でしたけど、練習方法がとにかく独特で厳しかったんですよね。

谷津 根っからの怠け者の俺でさえ、あの頃は練習をやってましたよ(苦笑)。練習は1日10時間。朝練、昼練、夜練。練習方法も異常。たとえば1年間、左手で飯を食えとか。

――利き腕じゃないほうを使いこなせるように。

谷津 強化選手が合宿に行くじゃないですか。朝いきなり起こされてね、上野動物園に連れて行かれてライオンの檻の前で寝るとかね。

――ハハハハハハハハ! 精神修養ですね(笑)。

谷津 「かつて日本はロシアのバルチック艦隊に勝ったんだから、おまえらもロスケに負けちゃいかん!」とよく言われましたよ。「なーんか時代錯誤だなあ……」とは思ってたんだけど。「強いところで練習しないと強いくならん」という方針で、強い選手に揉まれて精神的コンプレックスを払拭しろと。「ロシアは強い」という潜在意識があったけど、一緒に練習すればなくなるだろうっていう発想なんですよ。だから俺も2ヵ月くらいモスクワに住んで向こうの選手と練習しましたよ。

――当時はソビエト連邦として未知の国で。

谷津 相撲でいう心技体の「心」で負けちゃいけない。「強い」という先入観があると落ち着かなくてどこかで上ずっちゃたりしてね、ホントの実力が出ないうちに勝負が終わっちゃうから。

――トップクラスになると精神が重要になってくるわけですね。

谷津 心が一番大事。あとで自分もプロレスデビューするわけじゃないですか。スポットライトを浴びてお客さんがウン千人も見てる。もっと大きな会場だと何万人もいるでしょ。異常な大歓声とスポットライトの中で「……これ、何をやったらいいの?」と戸惑ったこともありましたよ。

――レスリングで実績を積んでいてもジャンルが違うと戸惑うもんなんですね。

谷津 ガチンコだったらできますよ。ガチンコじゃなくて、プロレスはある程度、技と技を競うわけだから。ガチだったら、そりゃあ楽ですよ。プロレスは難しいです。

――谷津さんはモスクワ五輪ボイコットによりプロレス入りをするわけですよね。あのボイコットで五輪出場が絶たれてしまい、涙を流した選手は多かったですけど……。

谷津 俺も「ありゃまあ」って感じでしたよ。

――ありゃまあ」ですか(笑)。

谷津 卒業して2年間は学校の職員をやりながらオリンピックを目指していたのに、その目標がなくなってしまったから。あっちこっちで4年間練習して、けっこうなお金も使ってたじゃないですか。100万200万という単位じゃないからね。モスクワがダメになってこれからどうするかって考えたときに「そうだ、アレがあったなあ……」って。それがプロレスですよ。 

――たとえば教師や指導者という道もあったと思うんですけど。

谷津 うーん。その頃はオツムが足りなかったせいか、その考えはなかったね。まだ若かったからね、自分の身体を使って何かをやりたかったんですよ。

――同じオリンピックレスラーの長州さんや鶴田さんがプロレス入りしていたことも影響しました?

谷津 ないですね、自分はあんまり。だって知らなかったもん。ジャンボがプロレスに入ったことは知ってたけど、長州力のことは知りませんよ。

――へえー、同じアマレスでもそういうもんなんですね。

谷津 なんでジャンボのことは知ってたかというと、ジャンボの同級生が俺のライバルだったの。いまは北海道のレスリング協会の会長をやってますけど。

――それくらいプロレス事情に疎いのにプロレス入りのツテはあったんですか?

谷津 福田(富昭)さんの仲介で新日本に入ることになったんですよ。

――八田さんのあとを引き継いでレスリングの隆盛に尽くした福田さんですね。

谷津 あのとき福田さんが猪木さんや新間さんとどんな話をしてたのかは俺は知らない。

――あ、谷津さんは交渉していないんですか。

谷津 全然してない。福田さんから「おまえ、新日本に入れ」って言われただけ。条件も何も言われてない。向こうに任せっきり。

――それって怖くないですか?(笑)。

谷津 まあ、自分のことを自分で決められないような男なんですよね。でも、ちょっと興味があるからプロレスに入るんです。プロレスに興味はあったんですよ。

――では、猪木さんに会ったのは入団が決まったあと。

谷津 いや、その2年前に会ってるんですよ。モントリオールオリンピックが終わったあとにロサンゼルスでたまたま会ったことがあるんです。そんときに「将来プロレスをやらないか?」なんて言われて小遣いをもらいましたよ。700ドルくらい。

――あの頃の700ドルって大金ですよね。

谷津 日本円で20万弱ですよ。プロレス入りしてからほかのレスラーに「猪木さんからよくそんな大金をもらったな。猪木さんって凄くケチなんだよ」って言われてね(苦笑)。

――ハハハハハハ! 

谷津 あのとき猪木さんは見栄を張ったんじゃないですか。あと俺のことが欲しかったんでしょう。当時は「キング・オブ・スポーツ」を謳ってから。

――レスリングの強い選手を入れたかったんでしょうね。

谷津 で、10月30日の熊本・水神体育館で入団挨拶をしたんですよ、新間さんが「凄いヤツを紹介します」ってことで。そこから合流したんですけど、あんときは若手に前田日明、ジョージ高野、仲野新市とかがいて。クソ生意気だったんですよ、とくに高田(延彦)が。

――谷津さんはエリートですから敵愾心もあったというか。

谷津 当時の高田は猪木さんの付き人をやってたんですよ。猪木さんの付き人をやるってことは将来を嘱望されてるわけだしね、俺に対して「アマチュアなんかに負けねえぞ!」って態度で。野球少年なのにさ。

――野球少年なのに(笑)。

谷津 挑戦的なんですよ。たしかに練習も凄くてね、スクワットなんか1000回やってて、俺も「凄いなあプロレスラーは」って感心しながらついていったんだけど。翌日の鹿児島大会が終わったあと俺の歓迎会があったんですよ。「おまえ飲め!」なんて焼酎をバンバン飲まされてね。もう酔っちゃってわけがわからくなっちゃって「なんだアマチュアはそんなもんか!」なんてバカにされて。

――プロの洗礼を受けたんですね。

谷津 翌日は当然二日酔いでね、朝9時に出発と聞いてたから、巡業バスにギリギリ10分前に乗り込んだんですよ。そうしたら全員バスに乗ってて冷たい目で俺のことを見るわけよ。よくよく聞いたら新日本の習慣というかルールでは、9時集合だったら30分前に集合なんだって。だったら最初から教えてくれよって話でしょ。「この連中は最悪だな……」って思いましたよね。

――「昭和・新日本」って意外と女々しい話が多いんですよね(笑)。

谷津 これはあとでわかったんだけど、歓迎会のときに焼酎で潰されたでしょ。ほかの連中は途中から水を飲んでたっていうんだから。「レスリングは弱いなあ」ってなんて言ってたくせにさあ。

――バカ正直に生きちゃいけない世界なんですかね(笑)。

谷津 練習なんかもっと酷いよ。星野勘太郎っていたでしょ。「おまえが入ってきたとき、いつもは300回だったヒンズースクワットが1000回になったんだバカヤロー!」って。

――練習もハッタリだったんですか!(笑)。それくらいレスリングエリートの谷津さんを警戒してたというか……。

谷津 なんかヨソモノ扱いというか、プロレスもろくに教えてくれなかったから。薄々は気づいていたけど、プロレスがガチじゃなくてショーなんだってちゃんと教えてくれたのはアメリカに行ってからですよ。


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