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【ゼロゼロ年代のジョシカク】藪下めぐみ「私、総合格闘技の練習をしたことが一度もないんですよ」
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【ゼロゼロ年代のジョシカク】藪下めぐみ「私、総合格闘技の練習をしたことが一度もないんですよ」

2016-11-09 23:00
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    アマチュア時代は柔道の国際大会に出場し、吉本女子プロレスJd'でプロレスデビュー。プロレスと並行しながら「リミックス」や「スマックガール」など、数多くのジョシカクイベントで活躍した藪下めぐみインタビュー。UFCやRIZINなどで女子格闘技が盛り上がるいまだからこそ、ゼロゼロ年代のジョシカクシーンを振り返ってみよう!





    ――今日はわざわざ都内まで出向いていただいて申し訳ありません。

    藪下 全然大丈夫です。いま住んでる場所は30分くらいで都内まで出て来られるんですよ。

    ――しばらく都内に住まわれていないんですか?

    藪下 ここ5年くらいですね。その前は都内に住んでいたんですけど、手伝うことになった友達の仕事場所の関係で引っ越して。

    ――友達の仕事といいますと?

    藪下 家の基礎屋っていうんですか。鉄筋とかで家の土台を作る仕事の手伝いです。まあ、仕事を手伝っていたのか、邪魔していたのかはわからないですけど(笑)。

    ――その仕事の合間にプロレスや格闘技の試合をやってるんですね。

    藪下 はい。あくまで試合優先です。試合があるときは仕事を断る感じで。あと、いまは秋葉原の近くのラーメン屋さんでもバイトしてるんです。そこのラーメン屋さんから「人がいなくて困ってるから手伝いに来てくれ」ってことで。週2〜3回、手伝ってるんですけど、もう1年以上は経ちますね。

    ――意外な仕事をやられてるんですねぇ。

    藪下 ところで、なんでまた私に取材なんですか? 

    ――最近はUFCだけじゃなくて日本の女子格闘技も注目されているので、女子格のスターだった藪下さんに話を聞きたいなと思いまして。

    藪下 ありがとうございます。かなりいい加減にやってきたんですけどね。ウフフフフフ。

    ――つい先日も韓国のMMAイベントに出られてましたね。

    藪下 韓国でやってきました。何年振りだろ、総合の試合をしたの。……っていうくらい総合をやってなかったですけどね。

    ――練習はどちらでやられてるんですか?

    藪下 練習はしてないです。

    ――練習ができないくらい急なオファーだったんですか?

    藪下 いや、こんなことを言うと「頭がおかしい……」と思われるかもしれないですけど、私、総合の練習ってやったことないですから。

    ――えっ、それはつまりデビューしてから総合の練習はしたことがないと?

    藪下 はい。やったことないんです、私。

    ――それなのに40戦以上戦ってきたんですか!…でも、ちょっとはやったことありますよね? 話を盛ってますよね?(笑)。

    藪下 いや、本当にやったことないんです。私くらいだと思いますけどね(笑)。

    ――間違いないです(笑)。藪下さんって対戦相手の体重も気にしないですよね。無差別級志向で。

    藪下 全然気にしないですねぇ。私、柔道のときにさんざん階級別でやってきたので、なんかもう体重に拘る必要性はないのにな……っていう変な考えがあるんです。その階級でしか戦えないつまらなさってあるじゃないですか。いつも相手が決まってくるし。

    ――たしかに対戦相手は限られてきちゃいますね。

    藪下 柔道のときは大きい人と戦いたくて無差別の試合に出たこともあるんですけど。あと減量するのもイヤだったし(笑)。

    ――自分の体重にも拘りたくない(笑)。

    藪下 柔道のときは10キロ減量があたりまえで。でも「落としたくない。もっと食べたい!」(笑)。いっつも「おまえ体重落ちたのか?」って怒られたし。

    ――柔道をやること自体は好きだったんですよね?

    藪下 好きというか、小さい頃から自然とやっていたんですけど。ずっと柔道をやっていこうなんて気はさらさらなかったんです。私、中学校を卒業したらプロレスに行こうと決めてたし。

    ――最初からプロレスラー志望だったんですね。

    藪下 そう。勉強したくないからプロレス!(笑)。

    ――ハハハハハハハ。どこの団体や選手を熱心に見てたんですか?

    藪下 それが女子とかじゃなくて、ミゼットプロレスが楽しくて好きだったんです。

    ――きっかけはミゼットですか。

    藪下 もともとおじいちゃんがプロレス好きで、ひとりで会場に行かせると危ないから誰かついていけってことで私が一緒に見に行ってたんですけど。一緒に行くと、おじいちゃんが作ってくれるおいなりさんを食べられるんですよ。それが楽しみで。

    ――女子プロというよりミゼット、ミゼットというより、おいなりさん!(笑)。

    藪下 アハハハハハハ。そのときに面白いなと思ったのがミゼットプロレス。プロレスの印象ってぶっちゃけミゼットしかないんです。

    ――ご家族にはプロレス志望は伝えてたんですか?

    藪下 言ってましたよ。でも、知らないあいだに高校の推薦入学が決まってました、柔道で。学校の先生から「決まったから」って。

    ――それくらい柔道で優秀だったんですね。

    藪下 北海道ではかなり優秀でした、私。だから何校か推薦入学の話が来てたみたいで。まあ、北海道のレベルがそこまで高くなくて、柔道をやってる女の子も少なかったから。それで取ってもらったこともあったんですけどね。

    ――そこでプロレスの夢は消えたんですか?

    藪下 高校卒業後に……と思ってたんですけど、当時ってプロレスラーになる条件が厳しかったじゃないですか。私の身長や体重だと絶対に無理かなって。あと高校3年のときに担任の先生から渡されたのはミキハウスの資料で。

    ――ミキハウス柔道部入り。

    藪下 全校で一番最初に就職が決まりましたね。ミキハウスの人が私のことを見に大阪から来てることは知ってたんです。大学推薦という話もあったんですけど、学校の先生とミキハウス柔道部の監督に繋がりがあったのかなあ。それで決まりですね。

    ――やっぱり優秀な柔道家だったんですね。

    藪下 それはね、たまたま私のことを目につけてくれたみたいで。それで大阪からわざわざ北海道まで見に来てくれたし、先生を通じてミキハウスから贈り物も届いてたんですよ。服やら、なんやら(笑)。

    ――あら、そんなものまで(笑)。

    藪下 でも、お母さんから「アンタ、それを使ったらそこに行かなきゃいけないんだよ」って釘を刺されてて。私はべつにミキハウスに行きたくないから未開封だったんですよね。就職が決まった瞬間に全部、空けましたけど(笑)。

    ――就職先のキハウスはどんな1日だったんですか?

    藪下 ええと、私の場合、午前中は仕事だったんです。各店舗から足りない商品のリストがFAXされてくるので、その商品をダンボールに詰めて配送するまでが仕事ですね。柔道の練習は午後1時から6時半まで。

    ――部員はどれくらいいたんですか?

    藪下 私はミキハウス柔道部の2期生なんですけど、入った頃は8人くらいですかね。そのあと20人くらいまで増えて。1期生にはオリンピックでメダルを獲った田辺陽子選手がいました。私は世界選手権に出たのが最高だったんですけど。

    ――給料はどういうかたちだったんですか?

    藪下 高卒の基本給という感じでした。会社員なのでボーナスももらってたんですけど、柔道の成績で何かがプラスアルファされたかどうはおぼえてないですね。

    ――藪下さんは23歳のときにミキハウスを退社されましたね。

    藪下 そのまま会社に残ろうと思えば残れたんですけど、私は柔道で入ったので、柔道をやめたら残る必要性はないと思ったんです。

    ――退社後のアテは何かあったんですか?

    藪下 まったく何もないですね。知り合いから誘われて道路の看板を作る会社で仕事をしてましたけど。「水道工事してます」みたいなカッテイングシールとか作ったり。プロレスをやろうにも年齢でアウトだったじゃないですか。

    ――23歳でプロレス入りは難しい時代ですねぇ。

    藪下 そんなときに、知り合いが働いてる飲食店に吉本興業の人が来るって話から、吉本がプロレス団体(吉本女子プロレスJd’、のちにJDスター女子プロレス)を作ることを知って。「オーディションを受けてみたい」ってことで紹介してもらったんです。

    ――JDからスカウトされたんじゃないんですね。

    藪下 はい。自分から受けに行きました。

    ――オーディションはどんな内容だったんですか?

    藪下 大阪の府立第2でJDの大会があったときにオーディションがあって。受けたのは私と、もうひとりの2人でしたね。試験官はジャガー(横田)さん、(バイソン)木村さんだったかなあ。腕立て、腹筋、背筋、受け身をやらされました。柔道をやめてから1年くらい経ってましたけど、普通の子よりはこなせますし。その場で合格と言われて入団ですね。

    ――あっさり入団できたんですね(笑)。

    藪下 そこから寮に入りました。寮は横浜にあったんですけど、場所は凄く良かったんですよ。横浜駅から歩いて10分15分くらいののどかな住宅街の中にあって。倉庫っぽいところの1階にリングがあって。若手は2階に住んでいたんです。

    ――何人くらい住んでいたんですか?

    藪下 当時は小杉(夕子)さん、阿部(幸江)さん、私には同期が4人いて、外国人選手もいたので10人は住んでたんじゃないですかね。

    ――けっこう大人数ですね。

    藪下 3人部屋と2人部屋が2つ、ほかに1人部屋がいくつかあったので、かなり広かったですね。先輩のガウンやグッズが置いてあっても全然じゃまにならなかったし。

    ――道場のコーチはジャガーさんや木村なんですよね。

    藪下 そうですね。練習は基本中の基本、まず受け身からでしたね。

    ――あの2人がコーチだと全女式ですね。練習は厳しかったですか?

    藪下 ……それがわっかないんですよね、私。

    ――わからないとは(笑)。

    藪下 こんな言い方はアレなんですけど、柔道の厳しいところにいたので正直「……こんなんでいいの?」って。

    ――それは柔道のほうが厳しいと?(笑)。

    藪下 柔道をやめてから1年間くらい空いてたんですけど、基礎トレーニングは「こんなもんでいいの?」って感じで。「こんなことを言ったら殺される」と思ったから口にしませんでしたけど(笑)。

    ――ハハハハハハハ!

    藪下 当時の全女も厳しかったと思うんですけど、私はたまたま柔道をやっていて一般人とは違うから。あと減量や体重制限がないじゃないですか。「いいの? いくら太っても?」って天国でしたね(笑)。

    ――プロレスは「太れ、太れ!」の世界ですからね(笑)。ジャガーさんたちは全女の押さえ込みルールを通過してきた世代ですけど、練習もレスリングは重視されてました?

    藪下 普通にスパーリングもやってましたよ。ジャガーさんやトモさん(ライオネス飛鳥)ともやったことありましたし、身体が大きい人と戦えるのでやってて面白かったです。偉そうな言い方になっちゃいますけど、ジャガーさんは体重の乗せ方とかは本当にうまかったですね。



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