大晦日RIZINで実現する川尻達也vsクロン・グレイシー!あらためて説明するまでもなくクロンは「400戦無敗」ヒクソンの息子であり、柔術やグラップリングではさすがグレイシーの血を受け継ぐ男として天才的な実力を見せつけている。90年代からゼロゼロ年代前半頃まで繰り広げられた「プロレスvsグレイシー」の争いによって日本ではどうしても悪役扱いをされてしまっているグレイシー一族。その魅力と恐ろしさをブラジリアン柔術黒帯にして柔術専門ライターの橋本欽也氏に語っていただいた。グレイシーだけはガチなんです!(聞き手/ジャン斉藤)
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――クロン・グレイシーが所英男を破り、大晦日に川尻達也と対戦しますが、以前大好評だったグレイシー一族語りをあらためてお願いします!
――ブラジリアン柔術黒帯なのに?
欽也 そういう柔術家は多いと思う。でも、クロン・グレイシーのMMAだけは見るんですよ。これがビビアーノ・フェルナンデスのMMAだったら見ないですよ。
――ビビアーノもブラジリアン柔術の実績がありますよね?
欽也 ビビアーノは柔術のワールドチャンピオンだけど、地上波で試合が流れていても見ないなあ。
――でも、クロンのMMAだったら見ると。
欽也 それくらい柔術家にとってグレイシーは特別なんだよ。
――以前も説明してもらいましたけど、グレイシー柔術とブラジリアン柔術は別物なんですよね?
欽也 ブラジリアン柔術のルーツはグレイシー柔術なんだけど、UFCを始めたホリオン・グレイシーが「グレイシー柔術」の商標登録をしちゃって、たとえグレイシーいえども「グレイシー柔術」を名乗れなくなってしまった。そこで困ったカーロス・グレイシー・ジュニアが「ブラジリアン柔術」という名前を商標登録して、コンペティション(競技)として柔術をやりだした。いまグレイシー柔術を名乗れるのはカルフォルニアのトーランスにあるグレイシー柔術アカデミーだけ。そこではホリオンと、その息子のヒーロン、ヘナーが指導しているんだけどね。
――商標権の違いだけではなく、技術も違うんですよね。
欽也 グレイシー柔術はセルフディフェンスがベーシックなんだけど、ブラジリアン柔術黒帯の俺でも知らない技術が、あの道場にはあるんだよ。
――そこでしか学べない技術!
欽也 そのヒーロンやヘナーが「ヒクソンからはまだまだ学ぶところがある」と崇めちゃうんだから。
――幻想あるなあ。
欽也 最近の格闘技ファンはグレイシーに幻想は抱いてないけど、90年代は凄かったじゃない?
――あの頃ってマスコミ同士のイデオロギー戦争が激しかったじゃないですか。格闘技マスコミは過剰にグレイシーを持ち上げるし、プロレスマスコミは過剰にバッシングするしで。ちょうどいいグレイシー評がなかったと思うんですね。
欽也 昔は佐藤ルミナや中井(祐樹)先生も「プロレスがなんだ!」ってボロクソ言っていたところにグレイシーが現れて、プロレスラーに勝ってグレイシーの名前を上げていったでしょ。UFCでホイスの活躍を見て柔術を始めた人たちからすれば痛快な出来事なんだけど。逆にプロレスファンからすれば、グレイシーハンターとしてPRIDEで活躍する桜庭和志が面白かったはずだよね。
――プロレス側からすると、グレイシーはワガママやりたい放題の大ヒールの扱いで。
欽也 俺はね、つい最近まで桜庭和志大嫌いだったんだよ!
――えっ、いつまで引きずってるんですか!(笑)。
――でも、会ったんですね。
欽也 思いのたけをぶちまけましたよ!
――熱い!(笑)。
欽也 だってあの当時のプロレスに対するドロドロした思いってあるじゃん。たとえば新日本プロレスのリングで、武藤敬司がルタリブレのペドロ・オタービオをポコポコパンチで殴って勝っちゃったことがあったでしょ?
――現場で見て大爆笑しました(笑)。
欽也 ルタリブレ最強のひとりだったオタービオにそんなことをやらせるなよ……って残念で残念で。
――暗黒・新日本時代のトラウマから「格闘技はプロレスを食い物にするな!」とか言われるんですけど、じつはプロレスが格闘技を食い物にしてきた歴史のほうが長いんですよね。
欽也 そんな試合をちょっと前の新日本でやりかねなかったでしょ? ダニエル・グレイシーvs中邑真輔。「グレイシーを名乗る人間にオタービオみたいな目に遭わせないでくれ……」って祈る思いでしたよ!
――ククククク。
欽也 笑い事じゃないよ!(ドン)。そのことを桜庭さんに30分近く話したんだよ。
――桜庭さん、とばっちりですよ!(笑)。
欽也 桜庭さんは笑ってましたけど、こっちは真剣も真剣だから。最後は握手してツーショット写真を撮らせていただきました。
――ああ、無事に和解(笑)。
欽也 一方的にこっちがプンスカしてただけで、和解ではないけどさ(笑)。それくらい俺たちにとってグレイシーは特別な存在なんですよ。柔術をやってる人からすればグレイシーはスーパースター。プロレスファンからすればリスペクトじゃなくて蔑む対象かもしれないけど。
――そこはクッキリと分かれますよね。
欽也 でも、グレイシー一族がいなかったらブラジリアン柔術が世界中に広まっていないし、それこそMMA自体もなかったでしょ。「ない」とは言わないけど、かなり違ったものになってましたよね。
――お言葉ですが、「前田日明のおかげで総合格闘技がある説」をブンブン振り回す狂信的なプロレスファンも存在します。
欽也 それもおかしいよねっ!(怒)。
――ハハハハハハ!
欽也 プロレスファンはちょっとおかしいよ! 俺もプロレスファンでもあるんだけどさ(笑)。UFC以前の話を言えば、ブラジルにはバーリトゥードがあって、日本には佐山サトルのシューティング(修斗)があった。何もなかったアメリカでUFCが始まって、日本やブラジルの格闘家たちが集まってきてドンパチやり始めたわけでしょ。そういう意味では日本の総合格闘技は佐山サトルが始まりだと思うけど。
――グレイシーがいなかったらMMAは競技として確立しなかったでしょうね。ただ、UWFがなかったらここまで総合格闘技の人気は日本で出なかったとも思うんですよ。UWFは総合に重厚な物語性を持ち込みましたし、そこでグレイシーはプロレスの敵役として扱われて。
欽也 凄く誤解されてると思う。
――ヒクソンの親友・桜井章一の弟子であるボクでさえ、ヒクソンは胡散臭いと思ってましたし(笑)。
作/アカツキ
欽也 ヒクソンの全盛期って“神話の世界”なんですよ。どういうことかというと、1回目のヒクソンvs高田は98年だったけど、あのときのヒクソンって40歳手前でしょ。ヒクソンの全盛期って80年代なんだよ。
――スポーツ科学が発達したいまならまだしも、あの当時の40歳手前ってアスリートとしては終わってますよね。
欽也 中井先生とやったときが賞味期限ギリギリかな。賞味期限ギリギリのときに日本デビューを果たして、グレイシーが強いところを見せたんですよ。
――船木誠勝戦の危うさは賞味期限切れを感じますね。それでも日本では全試合一本勝ちなんですから。
欽也 その後、息子ホクソンの死によって、引退を決意したことは、ヒクソンの中では辻褄が合ってると思う。「逃げた、逃げない」の話じゃないんだよ!(ドン)。
――本当はあと1試合やってから引退するはずが、ホクソンの死から立ち直ることができずに……という。
欽也 やる気はあったんだよ。ヒクソンが「ヒョードルにも勝てる」と言ったときみんな「ホントかよ?」って思ったでしょ。でも、ヒクソンならそう思うだろうなあ、と。
――ボクもあの発言を聞いたときは笑った側なんですけど、「本当にあったヒクソンの凄い話」を聞くと、あながちハッタリじゃないかもなって。
欽也 ホントにヤバイんだよ、ヒクソンってさ。石井慧がMMA転向前にアンドレ・ガウバォンと柔術スパーをやったけど歯が立たなかった。まあまあ、それはアンドレ・ガウバォンは柔術世界王者だから当たり前なんだけど。そのガウバォンがヒクソンにマウントを取られて返せなかった光景をみんなが目撃してるんだから!
――柔術世界王者を子供扱い! パウロ・フィリオも柔術でヒクソンにボコボコにされたとか……。
欽也 歳を取ってそれだからね。だから最強だったときのヒョードルと、最強だったときのヒクソンがもしやったら、ヒクソンが勝っちゃうと思う。それは俺が柔術をやってるからヒクソン贔屓かもしれないけど。
――あと“不良番長”としてのヒクソンも好きなんですよね。ウゴ・デュアルチとのビーチファイトや道場マッチ、道場破りに来た安生洋二を返り討ちにした件とか。
欽也 あのね、90年代に柔術をやってた人たちはギャングばっかりですよ。クロンもかなりのワルだけど、ディアス兄弟とマブダチっていうのはグレイシーとして正統派なんですよ(笑)。
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