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大好評アジャ・コングインタビュー最終回!!
<これまでのアジャ・コングインタビュー>
①「全女はAKB48やジャニーズだった」
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1087876
②「恐るべし全女の異種格闘技戦/ダンプ松本、究極の親分肌」
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1112784
③偶然と必然が折り重なった「アジャ様」覚醒の瞬間
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130398
④バイソン木村との哀しき別れ
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1157304
⑤対抗戦ブームの終焉と全女退団……
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1165652
――アジャさんは全女を退団されましたが、フリーになると団体所属のときとは行動も変わってきますよね。
アジャ いや、とくに困らなかったです。移動に関してはジャングルジャック時代にバイソン(木村)と2人でやってましたから。
――全女の頂点に立っていたブル(中野)さんに反旗を翻したことで、ヒールどころかベビーフェイスのバスにも乗れなくなったときですね。
アジャ 全女の最後のほうも地方巡業のときは最初の会場は直入りして、途中はバスで移動しましたけど、最終興行が終わったら自分ひとりで帰ってましたしね。
――全女時代から自分ひとりで行動することに慣れてたんですね。
アジャ フリーだと自分の試合が終わったらすぐに帰れますし、楽でしたね。唯一困ったのは、全女のバスや道場に自分の荷物を置いていたんですけど、それが思った以上に多かったんですよ。だから自分の家で管理するのが大変でしたねぇ。試合で使う凶器の一斗缶も家にまとめて何個か置くことになったんですけど、も〜〜うジャマでしょうがなかったです(笑)。
――一斗缶がゴロゴロしてる家ってあまり聞かないですよね(笑)。一斗缶はストックしておかないといけないもんですか?
アジャ 一斗缶は壊れると使い回しができないですし、1試合でダメになるときもありますからね。あの一斗缶は蕎麦屋さんからもらってくるんですよ。もともと蕎麦つゆが入ってるものなので、中身を使い切ったら一斗缶自体はもういらないじゃないですか。廃棄しないといけないんですけど、ゴミを捨てるのにお金がかかる時代になったので逆に喜んでもらえましたね。
――一斗缶は全女の若手が蕎麦屋さんで調達してきたんですよね。フリーになってからはどうされてたんですか?
アジャ フリーになってからも全女の若手とは仲が良かったので「一斗缶もらってきてくれる?」って頼んでいたんですけど。GAEAのときは若手の広田さくらにもらってくるように頼んでいましたね。
――一斗缶といえばアジャさんの代名詞ですから、家の中でジャマとはいえ凶器を変えるわけにはいきませんよね。
アジャ 全女の若手の頃に「何か凶器を決めなさい」と言われて。ダンプ(松本)さんは竹刀がメインでしたけど、一斗缶やチェーンとかなんでも使ってましたからね。ブルさんはヌンチャク、バイソンはトンファー。私はそういう棒術的なものは使えなかったし、なにより一斗缶を使い始めたのはお金がなかったからで。
――えっ、お金ですか?
アジャ ヌンチャクや竹刀は壊れたりするじゃないですか。そうすると買わなきゃいけないですけど、一斗缶はタダでもらえるので。
――なるほど。財布に優しい凶器(笑)。
アジャ あと一斗缶は派手ですし、どんな地方でも調達できる。地方でヌンチャクは手に入りづらいですからね。
――全国的に入手可能な凶器なんですね(笑)。アジャさんがフリーになった理由は、長与千種戦のためでしたよね。
アジャ 長与さんに憧れて全女に入ったんですけど、その長与さんは引退してしまって。復帰した長与さんはGAEA所属だったこともあって、私が全女にいるかぎりは試合ができないと。だったら私が全女に出て身軽になればいい。長与さんと試合が終わったら「プロレスをやめていいや!」くらいに思ってたんですね。
――実現したら引退してもいい、と。
アジャ だから全女をやめたあとは「1年限定でフリーになります」と宣言したんです。その1年のあいだに長与さんとの試合が決まらなければ、長与さんと縁がなかったということだし、これ以上プロレスをやってる意味がないな、と。
――フリー活動をしていくというよりは、引退を視野に入れた全女退団だったんですね。
アジャ フリーになったあと、いろんな団体から「所属になりませんか?」という話はあったんです。10年前に尾崎魔弓に騙されてオズアカデミーの所属になりましたけど(笑)。それまでは自分の拘り、決め事としてどこかに所属はしない。全女をやめるのは自分の夢をかなえるためだったし、全女がなかったらプロレスラーにもなってなかったので。それに当時のプロレス界にはフリー選手がほとんどいなかったんですよね。いまはフリーが主流になってますけど、当時は団体に所属しないのは考えられない時代だったので。
――フリーとしての生き方が確立されてなかったというか。
アジャ 全女が東京ドームで大会をやったときに(ライオネス)飛鳥さんやジャガー(横田)さんがフリーとして参戦しましたけど、2人とも長いことフリーだったわけじゃないですし。フリーでやり始めたのは私が最初だったんじゃないかな。ほぼ手探りでしたし、全女をやめるときにも言われましたもんね。「全女の看板を外しておまえがどれだけできるのか?」って。
――全女の看板あってこそだろう、と。
アジャ 対抗戦にしても会社が交渉していたじゃないですか。これからは自分でやらないといけないんですけど、全女をやめると発表してからいくつか連絡があったんですよ。ただ、自分の筋の通し方として、すぐに話はしなかったんです。全女をやめる3日前ですね、初めて話をしたのは。一番最初にFMWから「こういうことを考えてます、ギャラはこうです」という提示をいただいて。当時はいまほど不景気じゃなかったので、ギャラもかなりよくて(笑)。
――悪い扱いではなかったんですね。
アジャ となると、ほかの団体も「アジャ・コングのギャラはこれくらい」ってなりますから。そんなに外のリングに上がってませんでしたから、いいお話が多かったんです。
――全女以外のリングに上がるアジャ・コングが新鮮だったんでしょうね。
アジャ でも、ホイホイ受けると困ってると思われるから吟味はしましたね。それはいまでもそうです。お金だけじゃなくて自分のやる意味がないかぎりはやらないと決めてるんで。全女からもオファーがあったんですけど、全女には未払いが残ってたので。
――けっこうな金額が未払いだったんですよね……。
アジャ 「払ってくれないと出ませんよ」と。全女は私がフリーになったほうが安く使えると思ってみたいですけど。出てくれないもんだから、私に対する嫌がらせでアメージング・コングを作ったわけですよ(苦笑)。
――あー、アメージング・コングも略称は「A・コング」ですもんね(笑)。
アジャ 彼女はロス道場で練習してるときに日本に連れてこられたんですけど、本人は泣いて嫌がったらしいんですよ。「アジャ・コングがいるのにこんな名前を名乗るはイヤだ」って。
――新人レスラーには恐れ多いですよね(笑)。
アジャ でも、全女は「これはアジャ本人も了承してる」くらいのことを言ってたみたいですけどね(笑)。
――ハハハハハハ!
アジャ それはそれで腹が立っていたんですけど、文句を言っても仕方なかったので。でも、アメージング・コングだけでは盛り上がりきれないから、私が出ていたGAEAに「アジャ・コングvsアメージング・コングをやらせてくれないか」ってお願いしてきたんです。私は絶対に全女には出ない。じゃあGAEAで……ってことなんでしょうけど。
――なんとか「コング対決」をやってほしいと。
アジャ それがきっかけでアメージング・コングと対戦して、そのあとタッグを組んだりもして。アメージング・コングという選手と試合をすることでプロレスの幅が広がったという点ではよかったですけどね。
――1年限定だったフリー活動がその後も続いたのは何があったんですか?
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