パイオニア戦志、W☆ING、FMW、WEW、アパッチプロレス……身体を削り、血を流しながらインディマットを渡り歩いてきた金村キンタローインタビュー。FMWが倒産した日、大仁田厚との確執、冬木弘道の闘病生活、橋本真也の破壊王エピソードなど、豪傑が生きた時代を15000字で語ります!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届け!
――金村さんは波瀾万丈なレスラー人生を送ってますよね。
金村 相当波瀾万丈ですよ! セクハラ問題もありましたし……いまのプロレス界からすると、信じられないくらい稼ぎましたけど、一銭も残ってないですからね。最高で年収1500万円を超えましたけど、全部使っちゃいました。
――インディで年収1500万って凄いですねぇ!
金村 年間200試合以上はやってましたから。30歳から1000万を超えて、30半ばの頃には1500万円いってました。相場は1試合5万円、安いところで3万ぐらいで。「金村さん、安いけど上がってくれませんか」とオファーがあっても、こっちからは金額は言わないんですよ。それで安かったら二度とそのリングには上がらないんですけど(笑)。
――もちろん5万以上のときもあったんですよね。
金村 『ハッスル』なんて後楽園ホールで10万でしたからね。横浜アリーナとかビックマッチになったら20万30万の世界。新日本プロレスの東京ドームのときは試合が終わって帰ろうとしたら、上井(文彦)さんからギャラとは別に「車代」ということで何十万もらいましたし。
――暗黒・新日本時代にそんな車代は! それを全部使い切ったわけですね(笑)。
金村 使っちゃいましたねぇ(笑)。やっぱりね、プロレスラーって“怪物”じゃないといけないんですよね。デビューしたときから先輩と割り勘で焼き肉とかが嫌で嫌で。先輩になったら後輩に全部おごってやろう、と。プロレスラーは無理してでも食べなきゃダメだし、飲まなきゃダメ。タニマチに「お酒、飲めますか?」と聞かれたら「飲みますよぉ。覚悟してくださいよ!」くらい脅かさないと。いまはタニマチとトンカツを食べに行ったら、コロモを剥がしてるヤツがいますからね。最初からポークソーテを頼めや!!って(笑)。
――レスラーの気質も変わってるんですかね(笑)。
金村 いまは1試合1万ももらえてないですしね。考え方も変わりますよね。それで1000万稼ごうとしたら1000試合やらなきゃいけないですよ。
――金村さんは使っちゃいましたけど、相棒の黒田(哲広)さんはしっかりと貯めこんで相当貯金があると聞きますね。プロレス界ナンバーワンの貯蓄家だとか。
――あー、ドラゴンは奥さんがしっかりしてますよね。新日本の全盛期にムチャしないで貯めていたとすれば納得です(笑)。
金村 プロレス界ってね、トップに立たなくても稼げたんですよ。便利屋でも稼げるんですよ。肝は「負けは怖がるな!」なんですよね。
――金村さんって物事をハッキリ言いますよね。
金村 言いますね。あとブスとはしゃべらないです(キッパリ)。
――ハハハハハハ!
金村 30代前半の頃はキャバクラでよく遊んでたんですけど、気に入らない女の子が座るじゃないですか。一言も喋らないです。
――一言も(笑)。
金村 でも、他人と喋るときは敬語を使いますよ。昔はいつも偉そうにしてたんですけど、そこは高木三四郎を見て変わりましたね。昔DDTに上がってたんですけど、あの人は自分の団体の若い子と喋るときも敬語を使うんですよね。そこらへんから他人と喋るときは敬語になりましたね。
――高木社長はW−1のCEO就任で“時の人”ですね。
金村 あの人は賢いです。そして真面目です。あそこまで上り詰めるのはわかりますよ。
金村 あの頃は1試合1万円ですよ。生活できないからバイトをやってたんですけど。引っ越しのバイト。で、W☆INGに入ってから1シリーズ10万円になって。
――1シリーズ10万ですか。
金村 実質1ヵ月10万円。まあでもビクター・キョネスがご飯とか全部払ってくれたので、お金には全然困らなかったです。
――W☆INGの1シリーズ10万円って当時の相場だといい待遇なんですかね?
金村 どうなんですかね? そのW☆INGでクーデターみたいなことがダメになって、IWAジャパンに移ったじゃないですか。荒谷(望誉)から「ジャイアンならIWAで給料25万はもらえるよ!」と言われたんです。
――「ジャイアン」とは金村さんのあだ名ですね(笑)。
――ハハハハハハ!
金村 FMに移籍したことでIWAと裁判をずっとやってましたよ。IWAとは2年契約を結んでいたんですよ。
――契約書に判は押したんですか?
金村 ガッチリ押しましたっ!
――だったら訴えられます(笑)。
金村 あのときは大仁田さんのほうで「全部面倒見るから」と。移籍にするにあたり、いろいろとあって「まず自宅から出ろ」と。捕まったら危ないわけですよ。「移動はタクシー、電車にも乗るな」と。
――物騒な移籍騒動だったんですねぇ(笑)。
金村 引っ越しの敷金礼金、引越し費用もFM持ち。契約金は100万。松永(光弘)と同じ金額なんですけど、「松永には50万と言ってくれ」と。
――そこにはメンツの問題があるわけですね。
金村 給料は試合数によりますけど、月50〜60万。
――それはいい待遇ですねぇ。
金村 あとFMって地方巡業のとき1日2000円のメシ代が出るんですよ。1〜3月は大会数が少なかったから、ボクだけ特別に10試合分のギャラの保証をしてくれて。その時期は何にもしなくても20〜30万円はもらってましたね。
――あの当時のインディでも充分稼げたんですね。
金村 FMのときは最高で月80万円くらいですね。面白い話があって、電流爆破デスマッチで大火傷をして入院してたんですよ。デスマッチをやると荒井(昌一)社長から衣装代や車代をもらえるときがあるんですけど、入院したときは100万円もらったんですよね。
――100万のデスマッチボーナス!
金村 もちろん田中(将斗)や黒田(哲広)たちももらってるだろうと思っていたら、何十年も経ってからですよ。「あんとき電流爆破やって金をもらってたやろ?」と言ったら、み〜〜んな不思議な顔をしてて。
――もらってなかった(笑)。
金村 黒田は衣装代名目でたまにもらってたみたいですね。こないだ保坂(秀樹)とひさしぶりに会ったときも「ちゃんと話をしなきゃいけないことがある……電流爆破でいくらもらってたの!?」って迫られましたけど。
――人間関係をぶち壊す電流爆破(笑)。
金村 まあ、大火傷で1ヵ月近く入院されていたから同情されてんですよね。そのあいだも給料は保証されていたからウハウハでしたけどね(笑)。でも、火傷で入院はもうしたくないです。アレはしんどいんですよ……。
――レスラーを前にしてこういうことを聞くのは失礼なんですが、昔ターザン山本さんが「電流爆破は痛くないですよぉぉぉ!」と吠えていたときがあるんですが、大火傷で入院するくらいのケガを生じるってことですよね。
金村 いや、電流爆破が一番やりたくないです。デスマッチの中で一番痛いですねぇ。
――団体によって電流爆破の仕組みは違うもんですか?
金村 違うは違いますね。藤原組長と電流爆破をやったときは火薬の量がもの凄くて、組長も火傷してましたからね。
――火傷しない電流爆破ってあるんですか?
金村 ないと思いますね。自分、こないだ九州でひさしぶりに電流爆破をやったんですよ。奇跡ですよ、火傷しなかったのは。デスマッチの中で一番怖いですよね。試合前の独特の雰囲気、緊張感があるんですよ。あとファイヤーデスマッチも危ないですよ、あれは(笑)。
――ザ・シークが酸欠状態で死にかけましたね。
金村 痛い凶器で言えば、『水曜日のダウンタウン』でも特集してましたよね。ものの見事にボクのところには話を聞きに来ませんでしたけど(笑)。一番痛い凶器というのは、ワイフビーターが持ってる芝刈り機。
――そりゃあ痛いですよ、芝刈り機(笑)。
金村 あとババ・レイ・バッドリーのチーズスライサー。おでこを削るという。
――聞いてるだけで頭がフラフラしますね……。
金村 でも、プロレスで何が一番痛いかといえば、長州力のラリアットであり、大谷晋二郎のドラゴンスープレックス、田中将斗のエルボー……凶器より生身の肉体から繰り出される必殺技のほうがキツイんですよ。
――デスマッチじゃなくてもレスラーは身を削ってるわけですよね。
金村 「わりに合わないんじゃないか」と言われますけどね。いまなんか新日本以外は大変じゃないですか。デスマッチをやっても昔ほどはお金はもらえないですよ。後楽園で年間最高34試合やったことありますけど、1週間後楽園に出続けたことあります。そのときはドームホテルを1週間取りましたから。
――それくらい稼げたということですね。
金村 そして全部使いました! 毎晩違う女と遊んでましね。FMのときは彼女と結婚したんですけど、速攻で離婚して。結婚生活が息苦しくなったんですよ。FMの巡業が終わって家に帰らないでFMWの道場に寝泊まりして。道場のチャンコはマズかったですけどね。田中将斗のモツ鍋はめっちゃマズイです。
――ところでFMWの居心地はよかったんですか?
金村 あまり居心地はよくなかったですね。ただ、田中将斗、黒田、非道、ハヤブサとかの横の繋がりはよかったですね。FM自体にはなんの思い入れもないです。潰れたときには「……これからどうやって食べていこうかな」とは思いましたけど。じつは倒産直前の2〜3年のあいだは契約していないんですよ。DDTや大日本には勝手に上がっていたんですよ、あれ。
――勝手にですか?
金村 冬木(弘道)さんには「いい加減にしないとクビになるぞ!」と怒られてたんですけど。
――何か理由があったんですか?
金村 FMのエンタメ路線が嫌いだったんですよ。その前にボクたち、ブリーフブラザーズをやって賛否両論だったじゃないですか。やるとなったらやってましたけどね。
――冬木さんのエンタメ路線のブレーンとして杉作J太郎さんが参加されてましたよね。
金村 最悪でしたよ。アイツと東芝EMIの人間がメチャクチャにしたんですよ。なんていうんですかね、やっぱり八百長前提の試合はしたくなかったんですよ。
――でも、冬木さんはやりたかったんですよね。
金村 やりたかったみたいですね。冬木さんはアメリカンプロレスが好きだったんで、WWEみたいなことをやりたかったんでしょうね。
――日本では早すぎたんですかね?
金村 早すぎたというよりは、やり方がダメでしたね。たとえば荒井社長に小便をかけたりしたじゃないですか。
――ありましたね(笑)。
金村 そんなの水でいいじゃないですか。水にアンモニアを混ぜたやつをやったんですけど、匂いが臭くて試合ができないですよ。
――邪道・外道のコンプリート・プレイヤーズもFMWのエンタメ路線には反発してたんですよね。
金村 あのエンタメのやり方を嫌った邪道さんたちはFMをやめちゃいましたけどね。ボクはエンタメは嫌いなんですけど、やれと言われればやります。DDTでもやりましたし、「蛇村キンタロー」も楽しかったですよ。
――FMWのときは選手とフロントの呼吸が合わなかったんですかねぇ。
金村 急にリングネームを変えることになったり。邪道さんはボクのことを「金の字」と呼んでいて、シャーク土屋からが「キンタロー、キンタロー」と呼ばれてたんですよ。ボクは大木金太郎と同じ在日だから、そのあだ名が採用されて。でも、冬木さん、国際プロレスで大木さんの付き人をしていたから「顔じゃねえよ。カタカナだ」って。
――それで金太郎じゃなくて「キンタロー」に。
金村 FMのエンタメ路線はホント嫌だったんですけど、「とにかくギャラをアップするから残れ」と。ボクは年収1000万を超えたかったんで、まあ残りましたけどね。
――FMW末期は経営的に厳しかったんですよね。
金村 ですね。倒産した日のことも覚えてますよ。金融をやってる知り合いから連絡があったんですよ、「FMWが倒産したぞ!」って。その知り合いと一緒にFMの事務所会社に行こうとしたら、雁之助から電話があって。「いまから事務所に来れる?」「倒産したんやろ?不渡り出したんやろ?」「なんで知ってるの?」「秘密にせんと言えや!」なんてやりとりをして。途中で事務所の女の子から電話もあって。事務所にチンピラがいっぱい来てるらしくて「怖くして仕方ないです」と。
このインタビューの続きと、平田淳嗣、川田利明、倉持隆夫、矢野啓太など、8万字オーバーの記事9本が読める「詰め合わせセット」はコチラです
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