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ボク、新日本に9年しかいなかったんですけど、おそらくいまの新日本プロレスの選手よりも給料をもらってたと思うんですよね

90年代は新日本で世界最高峰のジュニア戦線で激しいファイトを繰り広げ、00年代は大谷晋二郎らとゼロワンを支え、現在はフリーとして各団体で活躍する高岩竜一。ハチャメチャだった90年代、みんなが愛した橋本真也、運命を変えたブラックタイガー……15000字で振り返る超竜のプロレス人生!




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par16

①理不尽小僧・金村キンタローがすべてをぶっちゃける!
「インディで年収1500万……一銭も残ってないです!」

②「おまえ平田だろ!」平田淳嗣のスーパーストロングなプロレス人生
「働いていた新聞配達店に山本小鉄さんから電話があったんです……」

③小佐野景浩のプロレス歴史発見……デンジャラスK・川田利明物語
「三沢光晴を追いかけて――」

④元・日本テレビアナウンサー倉持隆夫インタビュー
作られたスポーツを実況するということ――「古舘伊知郎はすべてを知ったうえでしゃべっていた。私は何が起こるかを知らず実況していたんです」

⑤タイトルマッチ惨敗! 堀口恭司はどうして攻略されてしまったのか? 大沢ケンジが解説!

⑥ピエロの狂気! 矢野啓太「胸いっぱいのプロフェッショナルレスリング論」矢野啓太

⑦マット界事情通Zの「プロレス点と線」トーク
・高橋奈苗退団から見えてくる世IV虎の今後
・諏訪魔vs藤田和之を実現させる方法
・高木大社長W-1CEO就任と静かなる帝国GENスポーツエンターテイメント

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高岩 取材なんて珍しいなと思ったんですよ。あんまりないですから。

――インタビュー自体は久しぶりですか?

高岩 そうですね。前に金澤(克彦)さんのところに大谷(晋二郎)と一緒に出ましたけど。

――ああ、『ゴング』ですかね?

高岩 いや、その前にやってた本ですね。

――『Gリング』だとすれば、ずいぶん前ですね……。今日はいろいろとお聞きしたいんですけど、高岩さんはどんなきっかけでプロレスラーになろうとしたんですか?

高岩 きっかけはですね、ウチは凄いビンボーだったんですよ。普段お父さんが家にいなくて、お金も全然入れてなかったんでしょうね。大阪に住んでいたんですけど、何回も引っ越してたんです。小学生のあいだだけで9回も引っ越して。要は夜逃げだったんですね。

――転々としていたところではないですね……。

高岩 工場の2階に住んでいたときもあったんですよ。天井は低いし、音はうるさい。ウチは3人姉弟でお母さんと4人で住んでたんですけど、さすがに生活が苦しいのでお姉ちゃんをお母さんの実家に預けたりしてて。ボクは高校卒業後は専門学校に進んだんですけど、入学費が高いじゃないですか。新聞配達の奨学金で入ったんですよ。

――相当苦労されていたんですね。

高岩 新聞配達自体は5年くらいやってましたから、さすがに嫌になりましたよね(苦笑)。そんな生活をずっと送ってきたのでビンボーは嫌だったんです。それで儲かる仕事は何かと考えて、親は警察官にさせたかったみたいなんですよね。やっぱり公務員は安定しているじゃないですか。ボクも公務員試験を受けたりしてたんですけど、そのまま公務員になっても人生に面白味がないなと思っちゃって。それに公務員はそんなには儲からないじゃないですか。

――それで金を稼ぐためにプロレスラーに?

高岩 相撲かプロレスか、どっちかをやろうかなと。でも、昔の相撲って中学からやってないとダメな感じでしょ。

――高卒で相撲未経験だと厳しい世界ですね。

高岩 それでプロレスにしようと。その当時、プロレスにはそんなに興味がなかったんですけどね。テレビでも裏番組の『3年B組金八先生』を見ていましたし(笑)。

――90年代のプロレスラーってプロレスファン上がりが多いんですけど、高岩さんの動機は違ったんですね。

高岩 プロレスを知ってることは知ってましたけどね。ただ、プロレスラーになろうにも勝手がわからないじゃないですか。そんなときに本屋で『ゴング』を読んだらリングスが新弟子を応募していて。

――たまたま告知していたのがリングスだった(笑)。

高岩 要はどこでもよかったんですよ(笑)。それで新横浜にあったリングス道場にテストを受けに行ったんですけど。あのときはボクを含めて4人受けたのかな。道場には前田(日明)さん、長井(満也)さん、新弟子の成瀬昌由や山本宜久もいたんですよね。最初にヒンズースクワット500回やらされたんですけど、回数じゃなくてタイムを測るんですよ。

――どのくらいのスピードでクリアできるのか、と。

高岩 その前にヒンズースクワットって何をやるのかよくわかってなかったんですけどね(笑)。

――えっ、ヒンズースクワットを知らずに受けたんですか?(笑)。

高岩 じつはそうなんですよ。周りのやり方を見て真似したんですけど、あれは足がパンパンになるんですよねぇ。

――なりますねぇ(笑)。テストに何も備えなかったんですか?

高岩 走るくらいかな。柔道はやっていたし、専門学校がインストラクターの養成所だったので、体力には自信はあったんです。次に腕立てをやらされたんですけど、回数は決まっていないんですよ。限界までやる。スクワットで足がパンパンだったし、16回で終わっちゃいました(笑)。あと腹筋とブリッジもやったかな。結局4人とも落ちましたね。

――そのあとに新日本のテストを受けたんですか?

高岩 はい。リングスのテストが91年9月だったんですけど、12月に新日本のテストがあったんです。それまでにリングスのテスト内容の倍のメニューを毎日やりましたね。

――リングスの倍以上をやっとけばいけるだろう、と。

高岩 毎日スクワット1000回やって、そのあとに腕立て伏せ100回。それで新日本のテストを受けに行ったんですけど、人数が多かったですねー。リングスは4人でしょ。新日本は25〜30人くらいいましたから。ゼッケン40番まであったんですけど、歯抜けもあったんですよ。

――申し込んだけど当日来ない人間がいたんですね。

高岩 そうそう。ボクはゼッケン2番だったんですけど、1番の人間も来なかったんですよ(笑)。だからボクがどの種目も最初にやることになって。

――試験官は誰だったんですか?

高岩 長州さんがいたでしょ。山本小鉄さん、越中(詩郎)さんもいたのかな。なんかね、ボクは長州さんに注目されていたんですよ。それはボクが韓国人だからだと思うんですけど。ボク、ハーフなんですよね。

――高岩さんがそのことを公にしたのは、ゼロワンの天下一ジュニア決勝のときですよね。試合前に韓国国歌の演奏があったりして、突然のことなので「これはどういうことなんだろう?」って驚いたんですけど。

高岩 あれは橋本さんがネタでやれって。

――ネ、ネタですか!?

高岩 みんなボクがハーフのことを知ってるのになんでいまさら言わせるんだろうって。橋本さん、そういうことをやるのが好きなんですよ(笑)。

――でも、プロレスファンで知らない方も多かったんですよ。

高岩 橋本さんとしては、ゼロワンに韓国人のレスラーがいるってことで、韓国のスポンサーを獲得する狙いもあったみたいで。

――そんな狙いがあったんですか!(笑)。

高岩 韓国の金持ちを捕まえようとしてたんですよね(笑)。

――橋本さんは靖国神社の奉納プロレスのときも、謎の中国人武道家が開催に抗議するっていう仕掛けをやったじゃないですか。

高岩 あー、はいはい。ありましたねぇ。

――デリケートな話をリングに持ちこもうしてますよね。◯◯の科学と◯◯協会の宗教戦争プロレスを東京ドームでやりたがっていたそうですし。

高岩 そうなんですよね。でも、橋本さん本人は大して詳しくないんですよ(笑)。

――ああ、詳しかったら踏み込まないですよね。あの猪木さんですら民族や宗教対立、領土問題はスルーしますから。

高岩 橋本さんはなんか盛り上がりそうだということでやっちゃったんでしょうね(笑)。で、入門テストのときは長州さんが「あの韓国人を見とけ!」って言ってたらしくて、目をかけられていたというか、注目されていたんですけど。一番最後の3分ブリッジのときに、2分半で潰れちゃったんですよ。「ああ、また落ちた……」と思ったんですけど、最終的にその場で合格が伝えられて。6人合格したのかな。「後日、新日本の事務所に来てください」と。テレビ朝日に事務所があったときですよね。

――そこで面接があるんですよね。

高岩 面接というか心構えですよね。小鉄さん、馳(浩)さん、長州さんたちに「キツイよ?」とか言われて。厳しいことはわかっていたんですけど、デリケートな人がいたんでしょうね。ひとりビビってやめましたもん。たしかにスゲーことを言われてたんで。血の小便がどうのこうのって。

――テストを合格してるのにもったいないですねぇ。

高岩 まあ、どの人生が正解かはわからないですけどね。それで入門初日の集合時間が11時。ボクは10時40分には着いたんですけど、大谷は普通にいたんですよ。大谷はアニマル浜口ジム出身なんで、浜口さんから「1時間前には行け」と言われてたんじゃないですかね。

――同期で新日本でデビューできたのは高岩さんと大谷さんだけですか?

高岩 大谷とボクですね。ほかにはマッハ純二、OKUMURAもいたんですよ。最終的に残ったのがボクと大谷だけでしたけど。

――当時は多団体時代に突入し始めた頃ですから、新日本をやめてもほかに受け皿があったんですね。

高岩 新日本の練習生なら体力はあるし、なんとかなるじゃないですか。新弟子生活は体力があってもキツイんですよ。精神的に本当につらい。

――娑婆っ気を徹底的に抜かれるというか。まずデビューするまでは私用の外出禁止なんですよね。

高岩 そうですね。あの当時はコンビニはなかったんですけど、道場の近所に池田屋という雑貨屋があったんですよ。そこに先輩の用事で買い物に行くのが楽しみでした(笑)。

――外界に触れられる唯一の機会(笑)。

高岩 あと新弟子は何か失敗するとまず殴られます。言葉で注意される前に殴られますね。

――まずは鉄拳が飛んでくる(笑)。寮長は誰だったんですか?

高岩 西村(修)さんです。西村さんは優しかったんですよ。西村さんはいろいろと仕事が多かったので、(星野)勘太郎さんの付き人をボクが手伝ったりしてたんですよ。そのときに洗濯をし忘れて殴られましたね。

――あ、温厚な西村さんでも殴るんですね。

高岩 いやいや、本気でぶん殴るわけではないんですよ。「頭出せ!」ってゲンコでコツンと(笑)。

――形式として叱らないといけなかったんですね。優しいなあ(笑)。怖かった先輩は誰ですか?

高岩 やっぱり佐々木(健介)さんですよね。

――健介さんはホントに怖かったといいますよね。

高岩 お酒を一緒に飲める先輩だったら距離も縮まるんですけど、佐々木さんはそんなに飲まないですから。佐々木さんはボクの7個上だから、当時はまだ26歳なんでまだ若いんですよね。でも、道場に入ってくるときの勢いが凄いんですよ。「バーーーーン!!」と扉を開けて、胸をグイと張って睨みつけるように道場を見渡すんですよ、ほかの先輩もいるのに(笑)。

――気合いが入りすぎですよ(笑)。馳さん、三銃士らのエリートとは違うから、どこか虚勢を張らないといけなかったんでしょうね。

高岩 あのときのコーチ役は馳さんと佐々木さん、ネコさん(ブラックキャット)。馳さんは理論派なんですよね。理論が凄すぎてボクはあんまり好きじゃなかったんですけど。

――それまでの新日本道場って基礎トレ中心だったのが、馳さんがコーチ役になってからは試合運びまで指導するようになったんですよね。

高岩 ボクが入ったときはそうでしたね。小島(聡)さんの世代からそうなっていったんじゃないですか。そんな馳さんに対して佐々木さんは徹底的なシゴキで。入門初日、何をやるかわからないじゃないですか。まず鏡の前に5人並ばされてネコさんが「はい、スクワット500回〜」と。200回くらいやった頃に佐々木さんが道場に入ってきたんですよ。

――「バーーーーーン!!」と扉を開けて、胸をグイと張って睨みつけるように入ってきたわけですね(笑)。

高岩 佐々木さんはネコさんとしゃべってたんですけど、ボクらにスクワットを途中でやめさせ、外に連れて行って階段ダッシュをやらせたんです。そのあとに道場前でうさぎ跳び。道場に戻って初日からスパーリングをやらされていたら、ライガーさんまで入って来ちゃって。

――健介さんにライガーさんって“新弟子クラッシャー”もいいところじゃないですか!(笑)。

高岩 ある新弟子がライガーさんに絞め落とされたんですよね。それで目が覚めたときに安心したんでしょう。リングの上で小便をしちゃったんですよ。

――うわあ!

高岩 そうしたら佐々木さんが怒っちゃって怒っちゃって。「テメエ、神聖な道場で何をやってるんだっ!(怒)」って。その人間はそのままやめちゃいました。

――ファッ!? 初日で脱落ですか……。

高岩 1日というか数時間で。最後の締めがスクワットなんですけど「いいと言うまでやれ!」と。一人100回ずつ数えながらやるんですけど、4人いるでしょ。4往復ぐらいしたのかなあ……。1600回を超えたあたりで佐々木さんが「終わりーーーーーっ!!」って絶叫しながら竹刀をぶん投げて道場を出て行きましたね。

――なんという鬼教官! しかし、道場の出入りが芝居がかってますね(笑)。

高岩 漫画の世界ですよ(笑)。これが毎日ですよ。あと、朝から掃除もしないといけないし、ちゃんこの作り方も覚えないといけないし、先輩方の雑用もある。あの当時は携帯電話はなかったんですけど、「テレホンカードを買ってこい」とよく言われましたね。道場の中に公衆電話があったんで。

――当時の新弟子には「やめさせるためにハードな練習をさせていた」なんて言われますよね。

高岩 とくにボクに関してはそういうふうに言われてるじゃないですか。馳さんの本にもそう書いてあって「ホントなのかな」って?

――そういう自覚はないんですね。

高岩 ないっすねぇ。ただ、契約更改のときに永島(勝司)さんや長州さんたちから「おまえ、リング屋になる気はないか?」って言われて。

――あ、そんな戦力外通告が。

高岩 なかなか芽が出なかったこともあって、デビューしてから2〜3年はそんなことを言われ続けましたねぇ。そのあいだに同期の大谷がバーッと伸びていたし、「俺はもうダメかな……」と思ったんですけど、頑張って新日本に居続けようと。とにかく居座ろうと(笑)。そうすればなんとかなるかもしれないし。だって、デビューして1年くらいで月30万はもらってたんですよ。

――デビュー1年で30万はいい待遇ですね。

高岩 あと付き人を2〜3人やってたんで、巡業1シリーズで洗濯代としてひとり3万以上はもらえるんで。西村さんなんか凄いですよ。9人分やってましたから給料より多いんじゃないかって(笑)。だからお金には困ったことはなかったですね。

――新日本の新弟子はお金には困らないと言いますね。

高岩 キツイ人ほど小遣いの額は多いんですよね。佐々木さんの付き人は大谷がやってたんですけど、けっこうもらってましたから。ボクはマサさん、木村(健悟)さん、木戸(修)さん。みんな古い人ばっかり。大谷は佐々木さん以外に橋本さん、長州さんにもついてましたね。かわいそうになあって(笑)。

――厄介な顔ぶれですね(笑)。馳さんや健介さんが道場を仕切る中、三銃士はどんな存在だったんですか?

高岩 あの3人はほとんど合同練習には来なかったですね。武藤さんは新弟子たちのことを「ボク」って呼んでいて、「ボク、それ取って」という感じで。ボクは武藤さんのムタ担当だったときあったんですけど。「コウちゃん、メシを食いに行こう」って言われて焼き肉に行ったんですけど。武藤さんはさんざん焼き肉を食べたあとに、シメがホルモン3人前にご飯ですから。

――さすがに食いますねぇ(笑)。

高岩 蝶野さんはざっくばらんに喋ってくれました。橋本さんはスパーリングのときは来てましたけど、道場にいろいろと私物を置くもんだから、そこでミスター高橋さんと一悶着が起きるんですよ。高橋さんは掃除を仕切っていたので。

――橋本さんが道場を遊び場にしていたのは有名ですよね。玄関になぜか小銭や札束を無造作に置いていたり(笑)。

高岩 ああ、それは玄関じゃなくてロッカー室があるんですけど、橋本さんの引き出しを開けると2〜3万円分の小銭があるんですよね。で、長州さんとかが「そのお金でジュースを買っちゃえ!」と

――それで橋本さんが「誰や!俺の小銭を勝手に使ってるのは!?」って激怒するわけですね(笑)。

高岩 まあ、適当に置いておく橋本さんが悪いんですけど。言ったら悪いですけど、新弟子の俺たちも隠れて使ってましたよ(笑)。

――ハハハハハハ! バレないならいいだろうと(笑)。

高岩 ほかにも橋本さんの私物がいっぱいあって。道場の大掃除は徹底的にするんですけど、橋本さんの私物ばっか出てきて困るんです。しょうがないから1回1回電話で橋本さんに確認するんですよ。「これは捨てますか?残しますか?」って。

――大掃除中、橋本さんはやっぱり不在なんですね(笑)。

高岩 水中銃、空気銃、おもちゃ系。いろんなものが出てきますから。

――天山広吉スズメ食い事件で活躍した空気銃ですね。橋本さんが仕留めたスズメを天山さんに無理矢理に食べさせたんですよね(笑)。

高岩 それはボクが入る前の話ですけど、どうもスズメの内臓を取ってなかったんですよ。しかも生焼けだったみたいで(笑)。

――ハハハハハハ! 橋本さんは道場で「真ちゃんラーメン」と名付けるくらい手が込んでいたオリジナルラーメンを作ったりしてたんですよね。

高岩 橋本さんはラーメンをイチから作るんですよ。麺を捏ねて、出汁を取って。

――全国各地のラーメンを食べ歩いているから、とことん拘って。

高岩 その日のちゃんこ番、最悪ですよ(笑)。1日中橋本さんについてないといけないから。

――1日中「真ちゃんラーメン」の付き合い(笑)。

高岩
 奥さんの和美さんまで道場に来ちゃって2人で作ってるんですよ(笑)。

――ハハハハハハ! 自宅でやってくださいよ!(笑)。

金銭感覚が麻痺した新日本バブル時代、“1・4事変”、橋本真也との別れ、絶望を救ってくれたブラックタイガー……15000字のロングインタビューはまだまだ続く!

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