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Diazuさん のコメント

ひどい文章だな…。肩書きがそれなりに付いてて著書もあるなんていうと「真っ当な論旨の持ち主」だと思われやすいけど、四半世紀前の「テレビと新聞が言ってることは真実」と同じ虚構だね。
この人、視野がものすごく狭く、一方向からの損得勘定しかできないようにしか見えない。
「ブラック企業に価値・意義を見出してみる」という秋元康風発想はしてみてもいいけど、それを発展させて得意になられてもなぁ…。
No.186
109ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
こういうツイートがネットで話題になっていた。 「ブラック企業の何が問題かって、薄給激務であること自体よりも、家族や社会が何千万という資金を投入し22年かそれ以上かけて育てた健康で優秀な若者が、ほんの数年・数百万で場合によっては再起不能になるまで使い潰すことにより社会全体に与える負の要素が一番の問題。」 歌犬さんはTwitterを使っています これには多くの反響があった。賛同する人も数多くいた。 しかしながら、この考え方は誤りである。誤りであるがゆえに、大きな問題がある。 「問題」とは「解決を遅らせる」ということだ。問題の解決が遅れるのは、いつも問題の本質を見誤るからである。 例えば、1950年代、貨物船の競争力がトラック輸送や空輸に比べて落ち込んでしまった。そのため、船会社は競争力を上げようとある施策に取り組んだ。それは、船舶の高速化、省エネ化、省力化である。 しかしながら、これらの施策では問題を解決できなかった。それどころか、かえって深刻化させてしまった。 なぜかといえば、船舶の競争力が落ちたのは、船のスピードが遅かったり、燃料費がかかったりしていたからではないからだ。そうではなく、貨物の積み卸しにかかるコストと、その間に船を遊ばせておくコストが高くついていたのだ。 そのため、1960年代になってコンテナが普及すると、貨物船は急速に競争力を取り戻した。コンテナによって、貨物の積み卸しにかかるコストと、船を遊ばせておくコストが激減したからである。 ブラック企業の問題も、「経済的に合理的ではない」とか「社会悪」という視点で見ていると、いつまで経っても解決できない。事実、そういう視点を持っている人は数多くいるはずだが、これまで問題を解決できなかった。先日も、アニメ業界に従事する若者の年収が110万円ほどだというので、そのブラックぶりが話題になったくらいだ。状況は一向に改善されていないのである。 アニメ若手制作者 平均年収は110万円余 NHKニュース 『アニメ若手製作者の平均年収』が明らかに→業界内外からの嘆きやら批判やら続々! では、ブラック企業が生まれ、また存続する本当の理由はどこにあるのか? それは、最初に引用したツイートと逆のところにある。最初に引用したツイートとは逆で、社会全体に与える「正」の要素が大きいからなのだ。 ブラック企業が持つ「正」の要素とは何か? それは、今の日本の「人口減少社会」と関係している。 今の日本は「人口減少」状態にある。これは、問題点を指摘する人も数多くいるが、一向に収まらない。それどころか、ますます加速している。 例えば、人々の結婚する割合は減り続けている。あるいは、マタニティハラスメントが問題になるくらい、子供を産み、育てるための環境は厳しくなっている。老人と若者の経済格差が広がって、若者が生きにくい世の中になっている。そうかといって、老人が生きやすい世の中というわけでもない。象徴的なのが、介護予算の削減だ。この国は、老人にとっても生きにくい世の中になってきた。 このように、今の日本はこれでもかというくらい人口を減らそうとしている。老人にはすみやかにご退場願い、赤ん坊の入場は厳しく制限している。 なぜそうなっているかといえば、それは意識的にしろ無意識的にしろ、多くの日本人がそういう社会を志向しているからだ。多くの日本人が、実は人口を減らしたいと願い、そのように行動しているのである。 そういう社会の中で一つの「ネック」となっているのが「若者」である。 若者というのは、赤ん坊と違ってすでに生まれてしまっている。また老人と違って退場まで時間がある。それゆえ、減らすのが難しい――それがネックなのだ。 なぜかというと、その若者が「優秀」であれば問題ないのだが、能力がない場合、国にとって大きな負債となるからだ。経済的に足を引っ張る可能性が高いのである。 なぜなら、人間というものは生きているだけでお金がかかる。平均寿命まで生きるとしたら、ざっと数億円はかかるだろう。そうして、その人が何も生まなければ、支出ばかりがふくらんで、大きな赤字となってしまうのだ。 だから、今の日本社会は、能力のない若者を何らかの方法で抹殺したがっている。たとえ「家族や社会が何千万という資金を投入し22年かそれ以上かけて育てた」としても、後々数億円レベルの支出になるならば、生かしておくより殺した方が経済的なのだ。 それは「コンコルド」のようなものである。 かつて、コンコルドを作ったフランスは、赤字を垂れ流すのが分かっていながら、「せっかく作ったのだから」となかなかそれを廃止できなかった。そのため、赤字額は膨大になってしまった。これは「コンコルド効果」といって、人間がおかしがちな過ちの一つだとされている。いわゆる「損切りができない」という状態だ。 無能な若者を「せっかく育てたのだから」と生かしておくのも、この「コンコルド効果」に近い。後々さらなる大きな負債を生みだすことが見込まれているのだから、経済的に考えるならここらで損切りしておいた方が得なのである。 実は、そうした考えに応えるようにして生まれ、また存続しているのが、今のブラック企業なのである。彼らは、あまり優秀ではない若者を、ほんの数年・数百万で再起不能になるまで使い潰す。それが、社会維持費の大幅なコストダウンにつながっている。効果的な「損切り」になっているのである。 それゆえ、ブラック企業はなかなかなくならないのだ。ブラック企業の問題を本当に解決したいのなら、ブラック企業の持つそうした社会における「価値」や「役割」を見抜く必要があるだろう。そうでないと、これまでのように、いつまで経っても解決できない。 実は、この問題はぼくの積年のテーマである。 無能な若者は、本当に殺した方が経済的なのか? それとも、何か別の解決方法はないのか? 彼らを活かすことはできないのか? それについての考えを巡らせる中で、一冊の本を書いたくらいだ。 『競争考―人はなぜ競争するのか―』 - Amazon この本では、「使い潰す」ということ以外の、ぼくが考える解決方法が示されている。それは、若者に競争意識を持たせるということだ。なぜなら、この問題の本質は、若者の競争意識の欠如にこそあるからである。そのため、若者が競争に正面から向き合うことこそ、本質的な解決につながると考えている。
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。