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顔面核爆弾さん のコメント

>なるほど、たとえば『はじめて語るメンズリブ批評』に書かせてあげなかったとか、そういうことでしょうか。
(どこのメンバーが書いたのかは知りませんが、この本は完全にフェミ史観だったように思うので)

まさにそういった感じです。
アメリカでは2012、2013年のファレルやナサンソンの講演会の時にフェミニストたちによる鬼のような暴行・脅迫・破壊などの暴力的妨害活動がありました。
兵頭さんもご存知かもしれませんが、男性権利運動が受けているフェミニスト団体からの嫌がらせ行為は立派な犯罪です。現に怪我人や死傷者も出ています。
日本でも日弁連の「両性の平等委員会」が離婚後の共同親権ですらない面会交流原則法案に反対し、男女平等な子育てを妨害しています。
何度も言いますがフェミニズムは男女平等にする気など更々なく、男が不利になる制度では現状を保守する女性利益主義でしかありません。

>う~ん、だったら二次元の世界に来ればいいのにと思うのですが、そっちにも素養が必要と言うことでしょうか。

確かに二次元は神です。ですが、私は一時期激しいミソジニーを拗らせた時、二次元の女性キャラにさえ嫌悪が湧いてしまい、大好きな『カードキャプターさくら』や『セーラームーン』、『プリキュア』といった名作が見れなくなった時期がありました。その時は心が強烈に病んでおり、『漫画版デビルマン』を作中のセリフを全て覚えてしまうくらい繰り返し毎日読んでいました。
『漫画版デビルマン』のラストの如く人類が滅亡し、天使が地上に君臨する日を只々待ち続けることしか出来なかった私の前に現れたのが兵頭さんでした (//∇//)
私は兵頭さんという名のマジンガーZに搭乗し、フェミ大元帥率いるバドフェミ戦闘獣軍団に立ち向かう決心を固くしました。だがしかし、フェミ大元帥には私たちの無敵の必殺技・女災理論パンチでも全くダメージを与えられず、ついには私が搭乗するマジンガーZを大破寸前まで追い詰めます。その魔の手は全世界を恐怖のドン底へと叩き落としました。日本も壊滅的な被害に遭い、終わりを只々待つだけの状況です。
 フェミ大元帥率いるバドフェミ戦闘獣軍団の猛攻から私とマジンガーZを救い出してくれるグレートマジンガーは果たして現れるのでしょうか⁉︎
個人的には久米師匠がグレートマジンガーに搭乗して救いに来てくれることを願っているのですが、おそらくボスボロットか将又ロボットJr.ぐらいの力しか発揮できないのではないかと半信半疑でもあります……。
なので、今は女たちの醜態にどんなに絶望しようともゲイにはならない兵頭さんのような強い精神力を私も育んでいきたいと思います。ミソジニーを拗らせないように二次元の女の子たちを崇拝することで精神の安定を保ちつつ、フェミ大元帥との戦いに身を投じる覚悟です。

>ただ、一般論ですが『おそ松さん』人気を見てもわかるように女というのは男の美醜に、実のところほとんどこだわっていません。

そうだったんですか⁉︎
『おそ松さん』は初っ端から六つ子全員が美男子化して超絶カオスなパロディをやり過ぎてしまったが故に1話目がBD・DVD第1巻に収録されなかった事件がありましたね。放送当時は2話目以降、六つ子が通常のビジュアルで物語が進行するようになったので幻滅して途中で見るのを止めた女性オタクも多かったと聞きました。『おそ松さん』に女性ファンが多いのは事実だとは思うんですが、男性ファンも普通に多いんじゃないでしょうか? 周囲にいるリア充男たちがやたらと『おそ松さん』を勧めてくるので私は嫌いになりましたがwww しかも男友達が私に『おそ松さん』のパーカーをプレゼントしてきたのでホントに困りました……。まあ温かいので部屋着として使わせてもらっていますがね(今ちょうど着てますwww)。
でも、見た目に関しては合コンや街コンに参加してみれば分かるように女性の反応は露骨ですよ……。
肌の綺麗さ、髭の有無、体型、髪型、服装(ファッションセンス)、靴、姿勢、歩き方など全てを女性は総合的に評価します。
超絶グロメンな私ではありますが肌の手入れや髭を徹底的に抜くのを毎日欠かさずやり、レディースの服よりも圧倒的に高いメンズ服(男性差別じゃね?)を着るようにし、超高い靴(履き心地最高♡)を履いて背筋をまっすぐにして歩くようにしたら少しはマシな対応をしてくれるようになりました(ゴミを見るような対応から普通の対応になっただけですが……)。
キモオタから一般人もどきにフォームチェンジしただけでも世界は変わります(モテないことに変わりはありませんがwww)。

>フェミニスト(や小学生女子)たちは極度に知的能力が劣っているがため、相手が「敵」だという認識を生理的な認識へと直結させてしまうだけで(これこそがレイシストの本質だと思うのですが)、彼女らの言う「気持ち悪い」は基本、真に受ける必要のないものだと思います。

これはフェミに限らず女性全般に言えることなんですが、彼女らの『キモい‼︎』発言の背景にはヒトラーもひっくり返るほどの優生思想があるんだと思います。『キモオタなんて劣等種の分際でアタシたち女様の裸で欲情するなんて許せない‼︎ 今すぐキモオタを断種しなきゃ!』的な意味合いの恐ろしいほどの見下しと差別心が普段の女性の発言からひしひしと感じられます。その証拠にオタクを池沼と同一視するような偏見が世間には溢れているように感じます。例えば、KTBアニキの「必死すぎる…非実在の自慰ツールがなくなったら死んじゃうんじゃないかってくらいの必死さ」「必死に自己の主張を通そうと戦うのではなく、『え、不快?ならやめますね』で済む話」といった明らさまな上から目線のオタフォビアを全面に押し出した主張に賛同する女性は大変多いです。要するに前にも言ったように女はオタクが嫌いだからチンポ騎士はオタクを「キモい! 死ね!」と叩くわけですよ。そうすれば、モテるからwww
オタクを叩けば、女にモテるというのは私がツイッターでチンポ騎士を演じた実験で完璧に実証済みです。いやはや〜、女にモテる方法ってホンマ簡単ですわwww オタクをスケープゴートにすればいいだけですからwww
非モテ男はフェミ社会から不良品として扱われ、女からもチンポ騎士からもさげずまれる運命に今日も抗い続けています。こんな状況の非モテ男たちが将来に希望を持てるでしょうか⁉︎ 非モテ男たちはどんどん心のバランスを崩していき、自殺する者が後を絶ちません……。
社会的資源に恵まれたリア充男(イケメン、金持ち、権力者)にすり寄る女に対し、嫌悪感を覚える非モテ男が多い理由は彼女らの行為そのものが社会の中で優位な位置を占めるリア充男を賞賛することで覇権的男性性強化のための共犯関係を築くからです。これは相対的に社会的資源に恵まれない非モテ男(不細工、貧乏人、底辺)をより一層貶めることにつながります。
『フェミニズムは女性差別に反対し、男女平等を目指す思想』という建前は大嘘でフェミニズムの実態とは単に非モテ男駆除を目的とした政策です。
要するにオラオラマッチョヤリチン暴力DQNの優秀な遺伝子をボス猿ハーレム精液スプリンクラーにて全女性にぶちまけて優秀な遺伝子を残す優生政策をフェミニズムは推し進めています。フェミ様は女性が万一非モテ男の劣等な遺伝子を受け継いでしまわないようにするため、生存競争に敗北した弱い個体のオスが群がっているオタク文化を潰そうと画策し、非モテ男たちの心の拠り所を奪おうとしています。そして、その不満の矛先を中韓に向けさせることでナショナリズムを躍動し、戦争を起こそうとフェミ様は企んでいるのです。古来より戦争は各々の国にとって不必要な人間同士を戦わせて処分するための都合のいいゴミ処理として機能してきました。何故なら、戦争で男が死ねば雇用や未婚の問題は全て解決するからです。
その証拠に戦前フェミニストとして活動していた市川房枝師匠は「男は暴力的、戦争好きで女は平和的な生き物‼︎ 今までの戦争は全部男が悪い!」と今のフェミ様となんら変わらない宗教的なドグマ概念を掲げて男性を口汚く罵っておりましたが、戦争が始まった途端に人格が変わったかのように突然意見を翻して、「戦わない男は情けない‼︎ 結婚出来ない! 男なら国のために戦って相手国の男を殺すべき!」と愛国者を気取りながら戦争に反対する男性を中傷し、公職の地位まで就いたのです。
ちなみに市川房枝師匠は戦争に賛同する理由として「この戦争は女性を解放するための、女性の人権向上のための戦争」と主張しました。市川房枝師匠率いる当時のフェミ様は戦争を女性のための解放戦争と捉えていたのです(自分らは安全圏で戦うわけでもないのに……)。
戦争に負けた後、戦争責任を追及されると市川房枝師匠は「自分は女だから責任をとる必要はない‼︎ 男が戦争を起こした! 私は女だから庇え!」と主張しましたが、GHQは当時から男女平等思想だったので、「公職についといて責任をとらないなんて通用しない‼︎ 君は男を大量に殺してきたんだ!」と他の男性と同等に責任をとらされ、公職を追放されました。
その後は自身の著作でひたすら「私は悪くない。戦争に利用されただけだったのに私は公職を追放されて可哀想だった」と現代のフェミ様と全く変わらない幼稚なロジックで男性に責任転嫁をしております。
『女性のための』戦争が終われば全部男が悪い、男は暴力的、女は平和主義者で被害者だと主張する市川房枝師匠のダブスタには思わず感服してしまいます。ちなみに日本のフェミニズム界のトップに君臨する上野千鶴子師匠は市川房枝師匠を褒め称えております。要するに上野千鶴子師匠のようなフェミニズム左派も市川房枝師匠のようなフェミニズム右派も本質は同じで女性利益主義者だということです。男女平等なんて微塵も考えていないし、『男性の人権』という思想は皆無で、『子どもの人権』に対する配慮もありません。あるのは『女性の利益』だけです。彼女らの本音が「女の既得利権のために戦争で男は死ね‼︎」であることが分かってもらえたと思います。
今のフェミ様は再び我が国に戦争を起こし、非モテ男を殺すための準備に取りかかろうとしています。そのための入り口が『表現規制』という名のオタク文化破壊工作なのです。

>そうですね、メンタリティ的にはそうですが、何と言いましょうか、彼女らの「ボーイフレンド」は彼女らに取っては格下なんじゃないでしょうか。
自分を甘やかしてくれる自分寄りもエラい彼氏が、もうあんまりいない。
今のフェミニストたちのこじらせ振りは、そうしたことによる欲求不満ではないかと思います。
>よく言われる「フェミニズムは勝ち組女性のためだけの思想だ」ということですね。
そしてだからこそ、ぼくはネットにおける「ツイフェミ」や「まなざし村」の隔離政策が許せない。
彼女らは恐らく力のないワープアの、「野良フェミ」だと思えるからです。

だから、負け犬チンポ騎士はツイフェミやまなざし村の住民に嫌われているんですよね。こういった現象について兵頭さんが前にこれ以上ないくらいの的確な表現をしていたので引用させていただきます。

思うにフェミの理解者がフェミニストに評判が悪いのは「女は強い、女は強い」と、まるで幼女に母性を演じさせる富野アニメを見る萌えオタのごとくに(それも想像するに吹けば飛ぶような風体で)手揉みしながら卑屈に笑みを浮かべているからではないでしょうか。その時のフェミニストの心情は「女は被害者だと言ってるのに、コイツ全然わかってない!!」というものでしょう。

いつ読んでも「素晴らしい‼︎」の一言に尽きます。皆藤師匠やきりりん師匠なんかは典型的な上記の例ですねwww
おそらく負け犬チンポ騎士は自分のことをリベフェミという名のプリキュアに力を貸す妖精だと思っているんでしょうが、現実世界には弱者を救う伝説の戦士プリキュアは存在しません。この世界に存在するフェミキュアはサバーク博士やメフィストやキングジコチューに対して甘えの裏返しのツンデレ行動をするだけのドンヨクバールでしかありません。フェミキュアは甲斐性のないヘタレへの苛立ちから、男の中でも弱い立場にあるオタク&負け犬チンポ騎士に対して必殺の『フェミキュア・エクストリーム・レインボー』を放ちました。そして、オタク&負け犬チンポ騎士は今にも完全に浄化されようとしているのです。ドM体質の負け犬チンポ騎士は喜んで浄化されていくでしょうが、完全にとばっちりを食ったオタクからすれば堪ったもんじゃありません。嫌でもフェミキュアとの戦いに身を投じなければならない過酷な運命を背負った私の前に現れたのは女災界からやってきた妖精・兵頭さんでした。
「女災界は完全にフェミキュア率いるサバーク博士とメフィストとキングジコチューの手に落ちたモフゥ‼︎ 世界を奴らから救うには伝説の戦士オタキュアに君が変身して戦うしかないモフゥ! フェミキュアの魔の手から世界を救ってほしいモフゥ〜」と私は兵頭さんに頼まれます。私は兵頭さんから変身ブローチを授かると魔法つかいプリキュアの後釜を狙うかの如く、颯爽と全裸になって変身!
「萌えと非モテを司る超絶グロメン核爆弾・オタキュア‼︎ 全てのオタに変わってフェミの息の根とめてみせる♡」
決め台詞をかますと私は果敢にドンヨクバールと化したフェミキュアに立ち向かうのであった……‼︎
だがしかし、私一人の力では戦えないと悟った兵頭さんは他にもオタキュアに変身できる素質を持った者たちを集め、オタキュア軍団を組織しようと考えます。そんな中、「オタキュアの正体は現代生活に不満を持つ底辺である」と高名なリベラル君が発表したため、オタキュア狩りの名の下、罪のないオタクがフェミ政府により次々と殺戮されていく事態へと陥りました。
数日後、フェミキュアはテレビやネットで私がオタキュアに変身する瞬間の映像を公開し、無数のオタクがオタキュアとなって社会を混沌に導いているとプロパガンダを始めました。
私の大切な二次嫁はチンポ騎士によって惨殺され、妖精・兵頭さんも暴徒と化した表現の自由クラスタたちに惨殺されました。最後の希望だった兵頭さんも奪われ、全てに失望した私はオタキュア軍団を率い、地上の覇権を賭け、フェミキュア率いるサバーク博士、メフィスト、キングジコチューとの決戦に臨みます。
20年ののち、人類は滅亡し、オタキュア軍団とフェミキュア軍団との最終戦争・ハルマゲドンが勃発‼︎
やがて戦いは終わり、半身を失った私にフェミキュアはこう語ります。
「アタシがフェミキュアになった理由はオタク文化がセックスの希少価値を損なう恐れがあったからなの。これは昔、売春防止法を主婦たちが強力に推進した時と同じよ。売買春の報酬は、他の職業で素人の女性が受け取る賃金よりも破格に高い。これは、セックスの希少価値が高いからであって、有用性価値が高いからではないの。その証拠に、援助交際がブームになった時、素人の女子高生の方がベテラン売春婦よりも高値で売れたわ。なぜ、ベテラン売春婦とは違って、セックス・テクニックが皆無で、ただマグロやってるだけの女子高生が高く売れるかといえば、それは多くの男が『素人の女子高生は処女』と信じているから。男が、これだけ処女にこだわるのは、言うまでもなく、経験者よりも処女の方が希少価値が高いから。もしも売買春が合法化され、売春婦になることが経歴上のスティグマでなくなると、より多くの女性が売買春市場に参入して供給過剰となり、売春料金は、通常のマッサージ料金と同じ水準にまで暴落してしまうの。これは麻薬を合法化すると、麻薬の価格が通常の薬の水準にまで暴落するのと同じことよ。たとえコンドームの技術革新のおかげで性病が蔓延したり、非嫡出子が続出したりしなくなったとしても、男女の経済格差がなくなってフェミニストたちがおとなしくなったとしても、ポルノに対する社会的偏見がなくなったとしても、否、むしろポルノの類に対するあらゆる障害がなくなればなくなるほど、そして素人が気軽に売春できるようになればなるほど、セックスの希少価値がなくなってしまう……。こういった規制緩和による価格破壊で打撃を受けるのは女なの‼︎ セックスで御飯を食べさせてもらっている専業主婦もデフレの危機に晒されちゃうわ……。いつでも、安く、簡単に女を買うことができるようになれば、男たちは、もはや性的快楽のためだけに結婚する必要はなくなってしまう。そうなれば、大多数の女性が売れ残ることになるわ。規制緩和で専業主婦が減るだけなら、何も問題はないし、むしろ女性の自立という観点からは望ましいと考える人もいるかもしれないけど、セックスの希少価値が下がることによる弊害はこれだけにとどまらないの。売買春を合法化しても、婚外交渉を肯定しない限り、既婚の男女は売買春ができない。結婚してしまうと、未婚の時のように、いつでも、安く、簡単に女を買う『セックス・オン・デマンド』が享受できなくなるということになれば、子供も欲しいが、それ以上にいろいろな女と一生遊び続けたいという選好を持つ男たちは結婚しなくなる。そうすれば、そうした男が作るであろう子供の分だけ人口が減少する。戦前の日本では、妻が夫の買春を容認したために、公娼制度を作っても、あまり独身者を増やすことにはならなかったけど、妻が夫の不倫に寛容でなくなってしまったから、そういうわけにはいかないわ。キリスト教徒が、売春やオナニーや避妊や同性愛を禁止するのは、生殖を目的としない、性的快楽だけを求めた非本来的な性行為は『産めよ、殖えよ、地に満てよ』という神の人間に対する祝福に違反するからよ。キリスト教に限らず、性道徳の背景には、人口増加を善とする思想があるわ。婚前交渉を肯定して、結婚しなくても愛があればセックスができるようになれば、あるいは、売買春を肯定して、結婚しなくても金さえあればセックスができるようになれば、結婚するカップルが減り、それは結果として少子化を促進してしまう……。では、二次元がお金を媒介としない婚前交渉よりも嫌われるのはなぜか? それは、相思相愛の婚前交渉は、物々交換一般と同様に、『私が欲望する商品の所有者が、私が所有する商品を欲望している』という欲望の偶然的な二重の一致を必要とするために、成立が困難であるけど、貨幣というコミュニケーション・メディアが媒介すれば、片想いでも簡単に交換が成立する、つまり、二次元は、婚前交渉よりも成立が簡単で、それだけセックスの希少価値をより大きく下げるからよ‼︎ ポルノまがいの二次元の合法化は人口増加を抑制し、種の存続を危うくするから非難されたの‼︎ 人類が滅んじゃったのは、み〜んなアンタのせいよ! バ〜カッ‼︎」
フェミキュアの話を全て聞き終わる頃には、私の身体の感覚はなくなっており、自分の死がもう間近に来ているのだと悟っていた。
そして、私は静かに目を閉じると、か細い声で最後の力を振り絞って呟く。
「最後の最後まで人のせいにするんだな……でも、ありがと♡ お前がいたから、私は兵頭さんや他のオタキュアに出会うことが出来た……。お前が憎んでいたホモソーシャルはお前が作り出したんだぜ……。皮肉な話だよな……。兵頭さん、みんな……今そっちに行くからね……」
私の全身が眩い光に包まれていく。
だんだん意識が遠くなる中、私は兵頭さんとの約束を思い出した。
結局、兵頭さんとの約束を果たすことは出来なかった……。
私は一生、非リアのままだったな……。
「いいや、一緒にリア充になるモフゥ‼︎」
この話し方は……。どこかで聞き覚えがあるような……。
「また会えたモフゥ‼︎ これからもずっと、ずっと、ずっと一緒モフゥ♡」
兵頭さんと他のオタキュア軍団は一斉に私を抱き寄せる。彼らは何ら変わらぬ優しい笑顔で私に手を差し伸べた。
「兵頭さん、みんな……」
震える涙が止まらない……。
私は彼らの手を熱く握りしめると、永遠に続く『二次元』という名の光の中へと旅立っていった。
No.16
90ヶ月前
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  俺らがゲームに、なりました。  いえ、去年の今日、11月26日、丁度一年前に発売したゲームなので、正確には「なっていました」。  それが今回ご紹介する『 ネットハイ 』。  本作を一言で説明するならば、ネット文化、オタク文化を舞台にした『ダンガンロンパ』。いえ、どちらかと言えば『逆転裁判』の影響が大らしいのですが、ニコニコ生放送そのものが舞台に選ばれ、主人公と敵とのディベート中に聴衆コメントが流れる辺りはやはり、『ダンガンロンパ』的です(学級裁判でのガヤの声の演出も、ニコ動が着想の元になっていたと言います)。また、マスコットキャラの声はガチャピン、ムック(の声優さん)が担当しており、これもまたモノクマの影響が大きい。  本作は膨大なフォロワー数を誇る リア充どもを、ド底辺な主人公が爆発させる というゲーム。「ニコ生における論戦で、ツイッターのフォロワーを競うディベートバトルゲーム」なのです。  いえ、劇中では「ツイッター」に近しい「ツイイッター」というのが登場するのですが、面倒なので本稿では「元ネタと思しい」サービスの名前をそのまま書いていきます。ご了承ください。  それともう一つ。  本作はネタバレ禁止とされています。  しかし正直ネタバレなしに本作の面白さ、深さ、素晴らしさを批評することは困難です。  よって今回は体験版として公開されている第一話は置くとして、それ以降については、キーワードを白文字にすることで対処しました。  ネタバレしても面白さを損なうゲームではないと思いますが、以上のような次第ですので、どうぞご了承ください。  さて、本作におけるディベートは「ENJ(エンジョイ)バトル」と呼ばれるのですが、主人公は敢えて「爆発炎上バトル」と呼称します。というのもリア充どもを「炎上」させ、「爆発」せしめることが、このゲームにおける目的だから。そう、「オタク」という言葉を「非リア」と読み替えることで、そのバトルをある種の階級闘争に準えたのが、本ゲーム。  何しろ国家が「ネオ・コミュニケーション法」を施行、人々にツイッターアカウントの所持を義務づけ、フォロワーの数でヒエラルキーが決まってしまう、というのが本作の世界観なのですから。フォロワーがゼロになった者はアカウントを凍結され、「Zランク」にまで落ちてしまいます。これは実質的には社会的な死。「Zランク」は俗に「ゾンビアカウント」と呼称されるのです。  ぼくの想像なのですが、恐らくこの世界観の根底には岡田斗司夫氏の提唱する「評価経済社会」の概念があります。他者の評価が数値化され、そうした「人気」の高い者がヒエラルキーを形作る「いいね!至上主義社会」。それは既にネット上では確立しつつあり、しかしぼっちでありコミュ障なオタクにこそ厳しい社会なのではないか、という疑問。それが本作のスタート地点にある気がしてなりません *1 。  もう一つ、ネタ元を勘繰るとするならば、『ゲームウォーズ』でしょうか。以前にも採り挙げたことがあるアメリカの小説ですが、近未来、ヴァーチャルリアリティの中だけが居場所の超底辺少年が日本の巨大ロボを操り大活躍、というお話で、ここで描かれる「SNS運営によって大衆が支配される超格差、管理社会」といったディストピア的世界観は恐らく、本作の元になっている気がします。  アマゾンのレビューに秀逸な批評がありました。 表面的にはリア充爆発というケツの穴の小さいテーマに見えますが、中身は全然違いました。  そう、その通りなのです。  今まで「オタクvsリア充」のバトルは「オタクという唾棄すべき存在の、やっかみ」という解釈のみが許されてきました。本田透は『 電波男 』で(当初は「チクショー、オタクが何したっていうんだよ!?」というボヤき芸を想定していたところを急遽、路線を変えて)「オタクは勝った!」と勝ち鬨を上げましたが、そんな危険思想がこの社会で許されるはずもなく、彼は存在そのものが「黒歴史」として 葬られました 。「 女災 」という概念を提唱した者もまた、 しかり です。  そんな絶望的状況の中、現れた第三の戦士、それが本作の主人公「俺氏」なのです。   そう、本作は俺らのゲーム、なのです。  繰り返しましょう。 「オタク」ネタは、どうしてもそれを嘲笑しなければならない、という社会の「お約束」の前に、苦戦を強いられてきた。『 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 』、『 私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い 』は主人公を少女化することでそこをクリアしましたが、今やオタクネタのコンテンツは『 うまるちゃん 』、『 私がモテてどうすんだ 』とみな一様に、女性向けのものに埋め尽くされてしまいました。 ガガガ 。  そしてこれはむろん、「男性」全般に言える話です。ハゲは、インポは、ブサメンは、童貞は 笑われなければ、なりません 。  先に挙げたアマゾンのレビューは、それを表しているわけです。ただ単にオタクがリア充をやっつけるだけというお話であれば、それはケツの穴が小さい。いえ、決して小さくはないはずなのですが、世間はそう見る。  ならば、ぼくたちはどうすればいいのか。  その答えを、本作は完全に提示しています。  この「俺氏」はヘタレで気の弱いオタクですが、ある日、捨て猫をきっかけに、とある心優しい少女と会話を交わします。しかし彼女のツイッターはいきなり「炎上」、フォロワーがゼロとなり、アカウントが凍結されてしまいます。そう、ネット社会では日常茶飯事ですが、「こいつは悪者だから叩いていいのだ」と決まった者を、よってたかってそいつを晒しageて、集団でフルボッコにする。そうした様子を目の当たりにして、俺氏は「こんな腐ったシステムはぶっ壊してやる」と決意するのです。 「必然的に観客もhimeのフォロワーの比率が多くなる  最初から公平な戦いなんかじゃねえんだよ」 「でも、それじゃあENJバトルってなんのために……」 「そうだな……公開処刑ってところか」 「こ、公開処刑……」 「人気者に噛みついてきた無謀で愚かな人間を  フォロワーという 数の力でいたぶるんだ  観客たちはそうやって火あぶりになってもがき苦しむ人間を  画面の向こうで眺めて楽しんでやがるんだよ  なにがエンジョイバトルだ  それこそ炎上バトルじゃねぇか……!」 「ちょっとばかり失敗したヤツを フォロワーの数にまかせて  これでもかと叩いて笑いものにする  ツイイッターじゃめずらしくもねぇ光景だ  だけど、俺はそういうやり方が一番気に入らねぇ  だから言わせてもらおう  一緒になって叩いてるヤツら! そして見て見ぬ振りを  しているヤツら! どいつもこいつも最低のクズどもだ!」  フォロワーが四人しかいない俺氏ですが、現れた美少女型ナビゲーションAI「シル」と共に「ENJバトル」に殴り込み、圧倒的フォロワー数を誇るリア充どもへ、敢然と戦いを挑みます。 ■中央が「俺氏」。右が宿敵「MC」。左がナビの「シル」。可愛いです。  70年代、漫画やアニメの世界では、叩き上げがエリートを努力と根性でやっつけました。代表例は星飛雄馬と花形満ですね。  80年代はそうしたドラマツルギーが徹底的に無化されました。これはフジテレビなど、リア充をも含めた全体的な流れだったのですが、そろそろリベラル君たちがこれをオタクの仕業であると歴史修正を始める気もします。  90年代は本当の意味でのニヒリズムが蔓延し、シンジ君は戦いを拒否。  ゼロ年代は夜神月が、そしてなろう的チート主人公が人気を得るに至りました。  しかし10年代からは――と言っても、もう後半まで来てしまいましたが――再び「持てる者」へのカウンターが描かれる、70年代への回帰が始まるのかも知れません。  ただ一つ違うのは、「努力と根性」という要素は相変わらずオミットされていること。それは仕方がありません。現代で「努力すれば報われる」と語っても、それはギャグにすらならないでしょうから。  では、「俺氏」は何を武器に戦うのでしょうか。  本作では、 「愛」が敵と戦う武器に選ばれています 。  なぁんだ、と思われるでしょうか。  この「愛」こそ80年代に空疎に振り回され、世の中をエゴイズムに染めてきた諸悪の根源である、と言いたい人がいるかも知れません。  てか、そうした物言いは、(最近してないですが)以前、ぼくがよくしておりました *2 。  しかしまあ、待ってください。  ここから先は更に、本作のストーリーを詳しくご紹介していく必要がありそうです。 *1 本作一話では「食べログ」が登場。飲食店を逆恨みした者が不当に貶めるレビューを書き込む様が描かれ、「これもまた飲食店版のリア充ランキングだ」と語られます。 *2 「 兵頭新児の女災対策的読書・Rewrite 」「 Rewrite(その2) 」など。  俺氏は「 リア充、爆発しろ! 」「 特定完了! 」の決めゼリフと共にリア充どもの「正体」を暴いていきます。  本作における「ENJバトル」、基本は相手のゴシップを集め、その正体を暴露するという、かなりゲスなものです。とは言え、まず最初に俺氏はこのシステムそのものを否定しており、「そうした手法を使わざるを得ない矛盾に苦悩しつつも、それによりシステムそのものを否定しよう」とするところにこそ、本作の醍醐味があるわけなのです。  例えば、第一の敵、「Mrエリート」。 「超一流」のブルジョワである彼は、90年代あかほりアニメのライバル役でよくいたような、何だかちょっとカマっぽいスネ夫キャラです。彼はまさにリア充のお約束の行動として、ディナーをツイッターにうpします。高級フレンチを食べたとドヤ顔なのですが……ん? よくよく見ると何だかコラ画像のような……ENJバトルで、彼が本当に食べていたのは牛丼であったと暴露されます。まさかこれ、内田樹師匠と古市憲寿師匠が元ネタになっていたり……しないよなあ?  案の定、Mrエリートの正体は単なる牛丼屋のバイトでした。イケメンのアバター(?)とは裏腹に、本人はデブなキモオタ。  しかし、本作の秀逸なのはここからです。Mrエリートは牛丼をバカにされ、本人の「牛丼愛」故にそれを看過できず、正体を現してしまう。俺氏はそんな彼の牛丼愛を讃えるのです。  何となれば、俺氏は愛を武器に、戦うのですから。  とあるブログで「俺氏は相手に同情も、ましてや嘲りもしない、 敬意を持って臨むのだ 」と評していた人がいました。まさに「それな」です。  以降も次々と現れるリア充どもの正体を暴くことで、俺氏はバトルを勝ち進むのですが――ここで更なるネタバレをしておくと、本作のもう一つのすごさは、その女性観のシビアさにあります。  Mrエリート自身は男性ですが、彼のパートナー「部下子」は「意識高い系OL」。  彼女は俺氏がMrエリートにとって不利な 客観的事実をツイートすると 、猛然と噛みついてきて「ツイートを消せ」「訴える」「弁護士と相談している」と恫喝を始めます。   本作は俺らの、ゲーム化です。  本作は「推理ゲーム」をフォーマットにしてはいるものの、あくまで「民意誘導」こそがその目的(何しろシステムの中に「民意先導スピーチ」というものがあります)。論理の整合性に重きが置かれているわけではありません。だからこそ女性対戦者は「女子力」をもって戦いを挑んできます。彼女らはみな一様に被害者ぶり、或いは色仕掛け、「私のことが好きなの?」と主人公に問うことでバトルを乗り切っていくのです。  第二話の対戦者himeが「誰かhimeを守って!」「himeを守ってくれる王子様はどこ?」と続け、俺氏に対して「ひょっとしてあなたが王子様?」と迫る展開は、敵ながらあっぱれです。  ちなみに第二話のタイトルは「ウソつきは姫の始まり」。もうこれだけで「はは~ん」となる人がいるのではないでしょうか。このhimeは日本のオタク文化を愛し、ユーチューバーとしての知名度を誇るブリュンヒルデ王国から来たお姫様。「クールジャパンを愛する異国の姫」というのが既にオタク心をくすぐる設定で(そんなの、宇宙からやってきたぼくのことを溺愛してくれる美少女、といっしょですもんね)、当初は「少女の憧れである魔法少女アニメが好き」と語っていたところを「魔法少女は少女のためだけのものではない」と反論され、「深夜の、ちょっとエッチな魔法少女アニメ」も好きであると語ることで支持を挽回する下りは見事です。そう、俺氏が指摘するようにぼくたちは「アニメには夢がある」など一遍通りなことを言う「にわか」を何よりも憎みますが、そこを「あなたたちの愛する、 欲にまみれた深夜アニメ をも、受け容れる」と言われたら、「あぁ、本当に俺たちのことをわかってくれるんだ」となって、一発でメロメロになっちゃいますよね。  そして彼女は最後に「 姫は姫でもオタサーの姫 」という正体を現します。  彼女の取り巻きである「騎士くん」は彼女を守ると称して(彼女に不快感を与えた者へと過剰な報復行動に出るなど)暴走を続けていました。俺氏は「仮にそれが姫の命じた行為ではないにせよ、男たちの歓心を買い、彼らを操縦していたことで責任は免れない」と憤ります。そんな彼女が「どうしてみんな仲よくできないの?」を連発することで俺氏の戦意を削ぐ戦術を使っていた(口先では平和を謳いつつ相手の攻撃を続けていた)ことがまた、見事。ここでは「女性性」、即ち「受動性というジェンダーが持つ攻撃性」が十全に描かれているのです。  最終的に、彼女はアバターを暴かれ、本来の姿を現します(アバターを剥ぎ取り、相手の正体を「特定完了」することが本作のクライマックスです)。王冠を被り錫杖を手にした異国の金髪の姫が、「 姫と呼ばれたかったーーー!! 」と絶叫しながら、 ネコ耳に魔法少女ステッキを手にした、ルックスも微妙でボディラインもたるんだ 「いまいち萌えない」正体を現す様は悲惨でもあると同時に、しかしその「残念さ」に萌えてもしまいます。結果、彼女は 少数のサークルの中でファンに囲まれながら、オタサーの姫 に戻るのです。  第三の敵はボカロ。とは言え、本丸の敵はこのボカロを操るプロデューサーであり、俺氏は彼と、オタク文化の尊厳を懸けた戦いを繰り広げます。ここで語られるのは、「愛もないくせに、金の匂いを嗅ぎつけ、外から俺らの業界に入ってきたものへの違和」。  まさか、こんなテーマを語ることが許されていようとは、ぼくは夢にも思いませんでした。何しろ現実のオタク世界を支配する「運営」は、オタクたちがそんなことに疑問を持つことを厳に禁じています。 思想犯は矯正されるか、アカウントを凍結されるしかありません 。しかし俺氏はオタク文化に愛のない者へと、果敢に噛みつくのです。   本作は俺らの理想を描いた、ゲームです。  もっとも、このボカロもまた、「いろいろあって、 リア充界から都落ちしてオタク文化 にすがるようになった」切ない正体を現すのですが……。  第四の敵は「ギャル」です。「スウィーツ()」とか「携帯小説」といった表現はさすがに古いからか表には出ませんでしたが、要するにそういう感じの人物。「オンナのコわ、もっとワガママでいいと思う」という彼女の「恋愛脳」から発せられるワードはその理解不能さで俺氏陣営を苦しめ、一方、彼女の著作に感化された女性たちは「モンスター女子」としてネットにもリアルにも夥しい被害をもたらしています。ツイッター上で萌えキャラが叩かれる描写も(ちょっと抑えたものですが)あり、これが実際のいかなる事件をモデルにしているかは明らかです。 「女子はか弱い。女子は守られなければいけない  そんな考えがどんどん過激にエスカレートしていって  ついには男子が女子のために尽くすのは当たり前  女子のために尽くすことが男子の幸せだ――  そんな思想を持って男子を虐げるようになってしまったんだ  今や 女子たちはモンスターそのものだよ 」   本作は俺らのゲームです。  このギャルのもう一つの決めゼリフである「愛があれば、言葉なんてなくたって気持ちは通じる」に対して、殊更に俺氏は批判的で、男女のディスコミにおける女性の「ムードでわかれ」圧力が、オタクにとっては極めてムチャ振りであることが、ここでは十全に描かれるわけです。  さて、ではこの「ギャル」がどうなるかというと――みなさん、そろそろおわかりになってきたかと思います。  対戦相手の正体は例外もあれど、ぶっちゃけてしまえば、みな「非リア」でした。だからこそ正体を現した相手と俺氏とは和解し、友情を育んでいく。作品として非常に後味のいいものになっているのです。  このギャルの彼氏は非実在であり、そして彼女の正体は――あぁ、やっぱり 腐女子 だったか! そんな「 脱オタ 」しようとしていた彼女が オタク としての生き方を取り戻すことが、本話のテーマだったのです。  また、彼女のケータイ小説は映画化などがされるにつれ、スポンサーの意向に振り回されるようになったと描写され、そのスポンサーである企業こそが悪ではないかとも暗示もなされ、「ラスボス」への伏線を張ります。  第五話は、中でも一番、女性へと辛辣な話でしょう。  対戦相手はイケメンアイドルなのですが、ここでは実際の事件をモデルにした「バンビーナ事件」というものが描かれます。「バンビーナ」とはこのアイドルのファンである女性を総称する言葉なのですが、かつてこのアイドルの(正確には彼がかつて所属していたグループの)ライブが急遽中止になり、地方から上京してきたバンビーナたちがコンビニや行政に食事や宿泊場所を無償で提供せよと主張、またバンビーナを狙う 性犯罪者がいるなどのデマまでをも流してしまう 、といった事件が起きていたのです(彼女らが「か弱いバンビーナを守れ!」と自ら発信していたというのがまた、見事)。それ以降、バンビーナたちはタチのよくないファンとして暴走することになってしまったのです。   本作は俺らの住む現実世界の、ゲーム化です。  また、このアイドルは同時に俺氏の幼なじみでもありました。  俺氏の非リア、コミュ障は、元を辿れば小学生時代の金魚殺しの冤罪を着せられた過去に起因します。  証拠もなく俺氏を犯人として糾弾するクラスの一同。その吊し上げ、 糾弾会 の様を、俺氏は「今思えばネットの炎上に似ていた」と述懐します。  が、そこをただ一人、幼なじみは俺氏をかばってくれました。二人の友情はそれをきっかけとしたものでしたが――ENJバトルの場で、衝撃的な真実が明らかになります。 実は金魚殺しの真犯人は、この幼なじみ でした。「俺がこいつの味方をしてやったら、女どもは俺のことを優しいと言うのだ。証拠もなく犯人と決めつけた相手に『死ね』と罵詈雑言の限りを尽くしたその口でな!」。 「傑作だろ! オマエに「しね!」と言った口で  今度はオレに「好き」だとかぬかしやがるんだからな!」 「今世紀最高のイケメン、オンナたちバンビーナと呼び  数え切れないオンナを抱いた肉食獣!  だが、本当の肉食獣はそのバンビーナたちだった!」   本作は俺らの、ゲーム化です。  ここではイケメンアイドルの女性への失望がイヤというほど描かれます。  彼は 虚飾の世界に疲れ果てたアイドル という「正体」を晒し、退場していきます。いえ、現実の世界では 「女性を罵るイケメン」はミソジニストと呼ばれることも決してなく 、充分に需要があることでしょうが……。  アイドルの明かした過去の事実には、女性性のリアルがこれでもかというくらいに描破されています。 「『死ね』と言ったその口でイケメンのことは『優しい』と言う」。  残念なことに近い事例は世間のあちこちで見ることができますが、これを分析するならば、「判断を強者に委ねた者」「観客であることを許された者」故の無責任さである、とまとめてしまうことができます。  そうした匿名性、受動性は女性ジェンダーのネガティビティでもありますが、同時にネットの特性でもあります。  本作は何よりもそうした匿名性をこそ、受動性をこそ「悪」であると厳しく告発しているのことが、おわかりになるでしょう(考えれば『 絶対絶望少女 』のテーマもまさにこれでした)。  この五話を最後に、本作は以降、最終編へと突入していき、「女災」的テーマからはいったん、距離を置きます。しかしラスボス戦においてすら、俺氏はこの「リア充至上主義社会」、否、実のところフォロワーたちのリアクションが、「いいね!」を押す者が主導権を握っている……えぇと、ポピュリズム社会、みたいな形容でいいのかなあ、ともかくそうしたものの裏を掻く「邪道」で勝利を収めるのです。  そして、もう一つ。  先にぼくは「俺氏」は愛を武器に戦うと述べました。  しかしその愛は、「リア充」の言う愛ではない。  オタクが愛と言う時、オタク文化への愛を指すことが多く、そのニュアンスに独特のものがあることにお気づきでしょうか。それは「自己愛(ナルシシズム)」と言い換えてもいいでしょうし、「ライナスの安心毛布的なものへの愛」と言い変えてもいいでしょう。ぼくは時々、オタク文化を「裸の男性性」と形容しますが、要するにオタクのキャラやコンテンツへの愛情は、自らの内面への愛情だとも言い得るわけです。  自分を愛することをタブーとし、女性に全ての愛を捧げよと命じられた男性が、 フェミニズムによる社会動乱に乗じて 、とうとう自分自身を愛するガジェットとして、萌えというものを発明した――それが、オタクの言う「愛」の実体です。  先に「俺氏は敵に敬意を持って臨む」との意見を引用しましたが、Mrエリートが牛丼を愛しているからこそ俺氏は彼と友になり、またhimeが「 オタどもを搾取するオタサー姫 」である点については厳しく糾弾しますが、 オタク女子として愛する作品 がある一面に対しては、リスペクトもします。  俺氏は「いいね!至上主義社会」を基本的に否定していますが、オタクの愛を信じることで、民意を自分側に向けさせもするのです。オタク文化をバカにしたMrエリートを批判することで流れを変える展開など、その好例ですね。  今まで貼ってきた画像をご覧いただければわかるように、本作のキャラクターデザインは「島本和彦」系です。実際、ファンの中にはデザイナーさんを『グレンラガン』の人だと信じ切っている人が結構いるようです。  島本和彦先生と言えば、もう彼自身を語るのに別な記事を五つも六つも書く必要が生じてしまう作家なのですが……要は「男性性というものが否定されてしまう状況下で、一度、男性性を笑いのめし、しかしその中から立ち上がっていこうという実験をした作家」と定義することができましょうか。  本作もまたその魂を受け継いでいます。  ぼくは以前、オタクの内部指向を「格好は悪いけど、ぼくは自分のニーズに没頭する」、「対外的には自虐しつつ、自らの欲求を吐露する、スタイル」と表現しました *3 。  本作では島本先生の「熱血→ギャグ」という流れを「オタクの自虐」に読み替えました。 「男の魂」を笑いのめし、しかし感動に持っていくという島本先生の荒技に倣い、本作はオタクの愛の全肯定という荒技を敢行した作品である、と言えるのです。  ――ぼくは一ヶ月ほど前、本当に何気なく本作を手に取り、そして毎話、感動と驚愕に震え上がりながら、終えてしまうのが惜しいと感じつつ、プレイを終えました。  が、大変残念なことに本作、一般的な知名度はそこまで高いとは言えません。  興味を持っていただけた方は、まず体験版を――と思ったのですが、プレステストアを見てもどこから体験版をDLできるのかわかりません。ニコ動ででも見て気に入った方は購入していただけたら……と思います。 *3 サブカルがまたオタクを攻撃してきた件  ――その2 オタク差別、男性差別許すまじ! でも…?
兵頭新児の女災対策的随想
「女災」とは「女性災害」の略。

男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。



このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。