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顔面核爆弾さん のコメント

>すさまじいですね……。
もちろん、あっちの連中は、特に運動家は日本とは比べものにならないほど過激で、フェミニストだけの特殊事情ではないでしょうが、だからといって許される話ではありません。
お恥ずかしいことですが、海外の事情には疎くて、知識がありません。詳細をお教えいただけないでしょうか。

アメリカではビッグレッドというアダ名で呼ばれる有名なフェミ二ストが主導して、男性権利運動に対して暴力的な手段で威嚇を行い、講演会を中止させようと何度も暴動を起こしました。何故そこまで男性権利運動の存在を恐れたかというと、フェミ様の目的は男女対等ではなく、男尊女卑的な社会の中でマッチョ男を永遠に糾弾し続けながら、男たちから養分を吸い続けることだったからです。フェミは王子様の作った社会のお姫様になることを望んでおり、『人間社会全体のシステム設計やインフラ設計』に関して将来自ら責任をとる気なんて毛頭ありません。そして、更に言えば『永遠の被害者』としての立場を譲るつもりもありません。
つまり、男性権利運動が主張するような真のジェンダーフリー社会が訪れると今までのように養分を吸い続けることが出来なくなり、自立せざるを得なくなってしまう……それはフェミ様にとっては脅威でしかない訳です。
『女=被害者』という役回りをきっちり演じさせてくれるのはマッチョ男なので、フェミ様が本当に好きなのはマッチョ男なのです(男らしくない非モテ男は当然嫌悪)。
その証拠に地球上に存在する全てのフェミ二ストが『内面がマッチョで表面的にはリベラルに振る舞う男』を求めています。前に島本さんがこういった現代の男性に求められている規範を『ネオマッチョイズム』と呼称し、批判していましたね。
フェミ様にとっての男の好みを順番に並べると、
リベマッチョ>>>>>バカマッチョ(DQN)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>負け犬チンポ騎士>>>>>>>>>私と兵頭さん率いる喪男
こんな感じでしょうね……。

>そうそう、彼らは男性性が何よりも憎く、弱者男性を殺してはその死体を貢ぎ物としてフェミニストに献上している。
フェミニストが望む貢ぎ物が強者男性の権力であることには、永久に気づけずに。

ネット上では負け犬チンポ騎士に多く遭遇しますが、彼らのようなイタイ男に対する的を射た女性のツイートがあったので引用します。

女というものをわかってて総取りするためにチン騎士やってるアルファはまだいいんだけど、非モテのチン騎士は見ててこっちが辛くなるんだよな。モテ男がセックストラブルで争ってる時に、チンコ入れさせてもらってないのに一生懸命女かばってる非モテのチン騎士みると涙出る。

(´;ω;`)ウッ…可哀想すぎます。

>ここはどうでしょう。
基本、フェミニストはナショナリズムを肯定しませんし(市川師匠はさすがに戦前の人ですし……)。
もちろん、内心は弱者男性など死ねばいいと思っているかも知れませんが……。
ただし、戦後の著書で醜い言い訳をしていたというのは(本当に不勉強で知らなかったのですが)いかにもですね。

少々私の説明が足りなかったので、今回はより詳しくフェミと戦争の関係を論じていきたいと思います。
女性解放運動には、女性にも、男性同様に、個人の自律や選択の自由、能力主義的な評価を保障すべきだという個人主義的・自由主義的な潮流がありました。こうしたフェミの理念は、戦後、国家が資本主義を父権主義的に管理していた時代には、資本主義に対する批判として有効に機能してきました。しかし、国家が管理する資本主義が崩れ、グローバル化したネオリベ的な資本主義が登場すると、個人主義的・自由主義的なフェミは、このネオリベ的な資本主義に奉仕するようになってしまいました。しかも、フェミは、ネオリベの犠牲になったのではなく、ネオリベの発展に積極的貢献してしまったのだとナンシー・フレイザー師匠は言います。
第一に、夫が外で働き、妻は家庭にとどまるという家族像は、戦後、国家が資本主義を管理していた時代のものでした。フェミは、この家族像を破壊して共働きを広めましたが、これはネオリベには好都合でした。共働きによって女性の労働力が増えた分だけ、賃金上昇は抑圧され、雇用は不安定化し、生活水準が下がりました。労働者たちは、生活水準の低下を埋め合わせるべく、労働時間を増やしましたが、これが賃金抑圧や雇用の不安定化をさらに悪化させるという悪循環を生じさせました。
第二に、フェミは、経済至上主義を批判し、家庭内暴力や性差別など、非経済的・文化的な問題に焦点を当て過ぎてしまい、経済的な問題に対して鈍感になり、ネオリベの台頭に対して抵抗力を持たなくなりました。
第三に、フェミは、福祉国家における父権主義を批判し、国家の役割を狭めようと運動しました。しかし、その運動もまた、市場化と政府の交代を狙うネオリベに手を貸す結果となったのです。
こうしてフェミが単なるネオリベの『侍女』へとなり果ててしまったことをナンシー・フレイザー師匠は嘆いています。
簡単にまとめると、1970年くらいまでは国家が管理する資本主義だったが、今はそうではなくなっている。で、その変化を無視し続けた結果、保守・フェミともネオリベの『侍女』へとなり果ててしまったといった感じです。
要するにフェミは左派に見せかけて、実は右派になり下がったとナンシー・フレイザー師匠に言われている訳ですが、殆どのフェミたちには自覚がないようです……。
自民党の今の安倍内閣はジェンダー(女性利権)以外の政策はかなり右寄りなんですが、フェミ(と彼女らの理論で利用してるLGBT)の利権は守るといった感じで、日本の右派政権自体がもう完全にフェミの支配下にあると言っても過言ではありません。
ネオリベ(新自由主義)は『自由』を掲げてはいますが、必然的に国家主義と結びつきます。何故なら、『戦争』が絡んでくるからです。
アメリカでもネオリベによって格差が広がり、貧困層の若者たちが軍の進学支援制度をめあてに入隊して、イラクなどに行かされて死にました。
ネオリベの『自由』は、あくまで投資家や企業家の経済活動の自由であって、万人の自由ではありません。
格差が広がれば、当然国は不安定になり、社会がバラバラになって『根ざすもの』や『属する集団』を失った人々が増え、自殺率や失業率も増加し、負の悪循環から抜け出すことは益々困難になっていくことでしょう。
「自分は『勝ち組』になれない、取るに足らない人間だ……」と思った時は「自分は日本人だ‼︎」と自信を持ち、中韓をけなしてスカッとしようと思う時があると思います(私も中韓は嫌いですwww)。ですが、フェミのボーイフレンドであるネオリベは愛国心を煽ることで格差や貧困や未婚の問題から人々の目をそらさせ、何でも中韓のせいにして国をまとめることで非モテ男を第3次世界大戦に向けて戦闘用チンポ騎士に改造しようと企んでいます。
近い将来、この地球上に起こることを私なりに予言していきたいと思います。
20XX年、北朝鮮が韓国を奇襲。
第2次朝鮮戦争が始まる。しかし、米日の全面支援のもとに韓国軍が短期間で北朝鮮を制圧。
20XX年、第5次中東戦争勃発。イスラエルとシリアを核にアラブ諸国が複雑に分裂。その後十数年間戦火収まらず。
20XX年、ロシアに軍事クーデター発生。旧ソビエト領の回復を目指し、東欧に侵攻。EU、米日が限定的ながら出兵して東欧を支援。ヨーロッパ大陸に緊張高まる。
20XX年、ヨーロッパ全域がロシアの支配下に入る。中国がロシアに宣戦布告。インドは中国を攻撃。
ついに米国が日本を伴ってロシアとの全面戦争に踏み切り、地球は第3次世界大戦に突入。同時に米国がヨーロッパ戦線において限定核兵器使用。
20XX年、ロシアが日本を本格核攻撃したのをきっかけに全面核戦争突入。核攻撃及びその後の核の冬のために、数年を経ずして全人類の90%が死滅。5分の4の国家が消滅。
20XX年の全面核戦争と核の冬を辛うじて生き残った私と兵頭さん率いる喪男解放軍は放射能を逃れて地下シェルターへ潜り、完全な地下生活者と化していた。
そうなっても、わずかに残った汚染度の低い緑の土地を争い、乏しい自然の食糧を求め、それに世紀を越えた怨念も加わり、人類間に戦火が絶えることはなかった。
それどころか時と共に戦火は激しさを加え、恐るべき新兵器の開発合戦によって、ついに地球を再び南北で二分して相争う残忍なまでの戦争へと発展していた。
その結果、大地は完全に荒れ果て、大気は厳重な装甲で身を覆わない限り即刻死を招くほど汚染しきってしまった。
喪男たちはそのためにも、敵を倒すためにも、武装した巨大な魔神(マシン)の怪物に搭乗して闘わねばならなかった。
くる日も、またくる日も……。
そんなある日、敗走する喪男解放軍のロボット部隊を追って、チンポ騎士軍飛行戦艦の編隊がミサイルやビーム砲を乱射しながら、いよいよ我々の二次元に迫った。
喪男解放軍ロボット部隊が、しらみ潰しに殲滅されていく‼︎
ついに喪男解放軍最強ニュー・ホモサピエンス部隊に出撃命令が下った。
キャプテンである私を先頭に愛する二次元美少女キャラのグッズを纏った喪男達が愛機へ走る。
「戦況はどうなっていますか、兵頭さん⁉︎」
「最悪でござるwww チンポ騎士軍のロボット部隊は超合金フェミZで出来てるらしいですぞwww」
「やはり、フェミがバックに潜んでいましたか……。ですが、私には女災理論ニューZで出来た最強の魔神(マシン)ポコチンガーZがあります‼︎ 私たちの辞書に『負け』なんて文字はありません! 兵頭さん、必ず生きて戻りましょう!」
「了解でありんすwww 俺氏の最強の魔神(マシン)グレートヒョードーに敵うロボットなど存在しないでござるwww」
戦場に赴くと、至る所が猛爆を受けていた。
爆発のたびに喪男解放軍が虫ケラのように粉砕されていく。
チンポ騎士軍のロボット部隊は新型兵器を駆使して、悪鬼の如く暴れ狂った!
風を巻いて黄金の光が走った!
最先陣を切っていたチンポ騎士軍のロボット部隊が、突如、凄まじい刃の一撃を食らった!
蒙々たる爆煙をついて、勇壮なシルエットが浮かび上がる。
地響きを立ててチンポ騎士軍に迫った。
それはポコチンガーZ!
その姿がおぼろげに浮かび上がったとき、早くもその手にはポコチンガー・ブレードが振りかぶられていた‼︎
竜が吼える如く、稲妻が疾駆する如く、唸りを生じ閃光を発してポコチンガー・ブレードが一閃した‼︎
ポコチンガーZは降り注ぐビームをものともしない。
チンポ騎士軍がビーム・ガンを投げ捨てた。光熱刀を抜き放って突進する。
しかし一瞬後、光熱刀は腕ごと切り飛ばされていた!
返す刀で、真っ向唐竹割りにポコチンガー・ブレードを切り下ろす‼︎
阿修羅の如く暴れ回るポコチンガーZの背後数十メートルに、いつの間にかフェミ戦艦が忍び寄っていた。
「何ッ、まさかチンポ騎士共はこいつを接近させるための囮だったのか!」
ポコチンガーZが愕然として振り向く。だが、既に遅い。
至近距離から光電磁砲が炸裂した‼︎
さすがのポコチンガーZも避ける術がない。
凄まじいパワーがいちどきに襲いかかった‼︎
次の瞬間、兵頭さんが搭乗するグレートヒョードーがポコチンガーZの機体を覆い隠し、恐ろしい威力を発揮する光電磁砲がグレートヒョードーの背中を貫いた。
ポコチンガーZはその場で棒立ちになっている。
ボロボロになったグレートヒョードーの機体は動かない、……いや、動けなかった。
兵頭さんの身体から滴り落ちる血の湖が、徐々に湖岸を広げていく。
「ひょ、……兵頭さん?」
盾となったグレートヒョードーの下から、ポコチンガーZは這い出てきた。
「逃げ、……逃げるでござる……。は、早く……。ングッ!」
命の残り火が真っ赤な血となって、兵頭さんの口から零れ落ちる。
「……俺氏の存在を肯定してくれた顔面核爆弾師匠を死なせたくなかったですぞ。顔面核爆弾師匠がいたから頑張れた。辛かったけど、俺氏、生きてて本当に良かった……」
声はもう、切れ切れだった。
視線の定まらないままに、兵頭さんは私を見つめる。
夢を摑み切れなかった兵頭さんの手に、私は額を押しつけた。
「死なないでくれよぉ、兵頭さんッ! まだ、何も始まってない。なのに……私を一人にしないでくれぇーーーーッッ!」
「初めて……顔面核爆弾師匠に会った時から、俺氏は君に運命を感じてたんですぞ。顔面核爆弾師匠は、独りなんかじゃないでござる……」
途切れがちな声で兵頭さんは言う。
「……兵頭さん」
地下シェルターで、兵頭さん率いる喪男たちとバカ騒ぎしたあの時間がかけがえのないもののように思い起こされ、胸を掻きむしりたくなるほどの愛おしさがこみ上げてきた。
「……顔面核爆弾師匠。君、あんまり友達いないでありんすね?」
「ん?」
「……しょうがないから、俺氏が君の親友になってやるでござる」
私は歯が砕けるほど歯を食いしばって、微笑んだ。
「……ふふふ、実は困ったことに友達少ないんですよ。ありがと、兵頭さん……」
束の間、私と兵頭さんの視線が絡んだ。

――さらば、我が愛する親友よ……

兵頭さんは静かに眼を閉じた。
兵頭さんの身体に触れようと、私は消えかかる力をその手に託す。

そして、兵頭さんの手から、命が消えた。

細められた半眼は、もはやこの世のなにも映していなかった。
兵頭さんの口からは、赤い血が唾液と混じって長い糸を引いて錘のように落ちる。
兵頭さんの命と引き換えに、私の身体には温もりが残された。
だが、命のない温もりは、いずれ消える。
兵頭さんの死と連れだって、私の手の届かない過去へと、温もりは消えていく。

――チクッッッショオオオオオオオオッ‼︎!

私の怒りが、唸り声となってほとばしる。

――私は空っぽだった。兵頭さんと出会った時、彼も空っぽだった。似たもの同士だった。一緒にいる事で、互いを満たしていた……。

兵頭さんが旅立ってから、喪男のままセックスする事も無く、友達もいないまま60数年の月日が経った。私もずいぶんと年を取った。
喪男解放軍の最後の生き残りとして、フェミ率いるチンポ騎士軍とは相変わらず戦う毎日を繰り返している。
ある日、風邪をこじらせてしまった私は震える寒さの中で毛布にくるまって寝ていた。
だんだん意識が遠くなる中、私はコクピットの中でかつての仲間達のことを思い出していた。
結局、みんなの夢を叶えることは出来なかったよ。
私はもう一生孤独のままなのか……。
「いいえ、顔面核爆弾師匠は独りじゃないでござる」
この独特の面白い話し方は、どこかで聞き覚えがあるような……。
「顔面核爆弾師匠! ようやくまた会えたでござるwww これからはずっと、ずっと、ずっと一緒ですぞwww」
そこには60年以上前に亡くした心の底から愛した親友の姿があった 。
「兵頭さん……⁉︎ 本当に兵頭さんなの……?」
「一緒に行くでござるwww」
震える涙が止まらない。
「兵頭さん……」
私は兵頭さんの手を受け取ると、永遠に続く光の中へと旅立っていった。
No.20
90ヶ月前
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  俺らがゲームに、なりました。  いえ、去年の今日、11月26日、丁度一年前に発売したゲームなので、正確には「なっていました」。  それが今回ご紹介する『 ネットハイ 』。  本作を一言で説明するならば、ネット文化、オタク文化を舞台にした『ダンガンロンパ』。いえ、どちらかと言えば『逆転裁判』の影響が大らしいのですが、ニコニコ生放送そのものが舞台に選ばれ、主人公と敵とのディベート中に聴衆コメントが流れる辺りはやはり、『ダンガンロンパ』的です(学級裁判でのガヤの声の演出も、ニコ動が着想の元になっていたと言います)。また、マスコットキャラの声はガチャピン、ムック(の声優さん)が担当しており、これもまたモノクマの影響が大きい。  本作は膨大なフォロワー数を誇る リア充どもを、ド底辺な主人公が爆発させる というゲーム。「ニコ生における論戦で、ツイッターのフォロワーを競うディベートバトルゲーム」なのです。  いえ、劇中では「ツイッター」に近しい「ツイイッター」というのが登場するのですが、面倒なので本稿では「元ネタと思しい」サービスの名前をそのまま書いていきます。ご了承ください。  それともう一つ。  本作はネタバレ禁止とされています。  しかし正直ネタバレなしに本作の面白さ、深さ、素晴らしさを批評することは困難です。  よって今回は体験版として公開されている第一話は置くとして、それ以降については、キーワードを白文字にすることで対処しました。  ネタバレしても面白さを損なうゲームではないと思いますが、以上のような次第ですので、どうぞご了承ください。  さて、本作におけるディベートは「ENJ(エンジョイ)バトル」と呼ばれるのですが、主人公は敢えて「爆発炎上バトル」と呼称します。というのもリア充どもを「炎上」させ、「爆発」せしめることが、このゲームにおける目的だから。そう、「オタク」という言葉を「非リア」と読み替えることで、そのバトルをある種の階級闘争に準えたのが、本ゲーム。  何しろ国家が「ネオ・コミュニケーション法」を施行、人々にツイッターアカウントの所持を義務づけ、フォロワーの数でヒエラルキーが決まってしまう、というのが本作の世界観なのですから。フォロワーがゼロになった者はアカウントを凍結され、「Zランク」にまで落ちてしまいます。これは実質的には社会的な死。「Zランク」は俗に「ゾンビアカウント」と呼称されるのです。  ぼくの想像なのですが、恐らくこの世界観の根底には岡田斗司夫氏の提唱する「評価経済社会」の概念があります。他者の評価が数値化され、そうした「人気」の高い者がヒエラルキーを形作る「いいね!至上主義社会」。それは既にネット上では確立しつつあり、しかしぼっちでありコミュ障なオタクにこそ厳しい社会なのではないか、という疑問。それが本作のスタート地点にある気がしてなりません *1 。  もう一つ、ネタ元を勘繰るとするならば、『ゲームウォーズ』でしょうか。以前にも採り挙げたことがあるアメリカの小説ですが、近未来、ヴァーチャルリアリティの中だけが居場所の超底辺少年が日本の巨大ロボを操り大活躍、というお話で、ここで描かれる「SNS運営によって大衆が支配される超格差、管理社会」といったディストピア的世界観は恐らく、本作の元になっている気がします。  アマゾンのレビューに秀逸な批評がありました。 表面的にはリア充爆発というケツの穴の小さいテーマに見えますが、中身は全然違いました。  そう、その通りなのです。  今まで「オタクvsリア充」のバトルは「オタクという唾棄すべき存在の、やっかみ」という解釈のみが許されてきました。本田透は『 電波男 』で(当初は「チクショー、オタクが何したっていうんだよ!?」というボヤき芸を想定していたところを急遽、路線を変えて)「オタクは勝った!」と勝ち鬨を上げましたが、そんな危険思想がこの社会で許されるはずもなく、彼は存在そのものが「黒歴史」として 葬られました 。「 女災 」という概念を提唱した者もまた、 しかり です。  そんな絶望的状況の中、現れた第三の戦士、それが本作の主人公「俺氏」なのです。   そう、本作は俺らのゲーム、なのです。  繰り返しましょう。 「オタク」ネタは、どうしてもそれを嘲笑しなければならない、という社会の「お約束」の前に、苦戦を強いられてきた。『 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 』、『 私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い 』は主人公を少女化することでそこをクリアしましたが、今やオタクネタのコンテンツは『 うまるちゃん 』、『 私がモテてどうすんだ 』とみな一様に、女性向けのものに埋め尽くされてしまいました。 ガガガ 。  そしてこれはむろん、「男性」全般に言える話です。ハゲは、インポは、ブサメンは、童貞は 笑われなければ、なりません 。  先に挙げたアマゾンのレビューは、それを表しているわけです。ただ単にオタクがリア充をやっつけるだけというお話であれば、それはケツの穴が小さい。いえ、決して小さくはないはずなのですが、世間はそう見る。  ならば、ぼくたちはどうすればいいのか。  その答えを、本作は完全に提示しています。  この「俺氏」はヘタレで気の弱いオタクですが、ある日、捨て猫をきっかけに、とある心優しい少女と会話を交わします。しかし彼女のツイッターはいきなり「炎上」、フォロワーがゼロとなり、アカウントが凍結されてしまいます。そう、ネット社会では日常茶飯事ですが、「こいつは悪者だから叩いていいのだ」と決まった者を、よってたかってそいつを晒しageて、集団でフルボッコにする。そうした様子を目の当たりにして、俺氏は「こんな腐ったシステムはぶっ壊してやる」と決意するのです。 「必然的に観客もhimeのフォロワーの比率が多くなる  最初から公平な戦いなんかじゃねえんだよ」 「でも、それじゃあENJバトルってなんのために……」 「そうだな……公開処刑ってところか」 「こ、公開処刑……」 「人気者に噛みついてきた無謀で愚かな人間を  フォロワーという 数の力でいたぶるんだ  観客たちはそうやって火あぶりになってもがき苦しむ人間を  画面の向こうで眺めて楽しんでやがるんだよ  なにがエンジョイバトルだ  それこそ炎上バトルじゃねぇか……!」 「ちょっとばかり失敗したヤツを フォロワーの数にまかせて  これでもかと叩いて笑いものにする  ツイイッターじゃめずらしくもねぇ光景だ  だけど、俺はそういうやり方が一番気に入らねぇ  だから言わせてもらおう  一緒になって叩いてるヤツら! そして見て見ぬ振りを  しているヤツら! どいつもこいつも最低のクズどもだ!」  フォロワーが四人しかいない俺氏ですが、現れた美少女型ナビゲーションAI「シル」と共に「ENJバトル」に殴り込み、圧倒的フォロワー数を誇るリア充どもへ、敢然と戦いを挑みます。 ■中央が「俺氏」。右が宿敵「MC」。左がナビの「シル」。可愛いです。  70年代、漫画やアニメの世界では、叩き上げがエリートを努力と根性でやっつけました。代表例は星飛雄馬と花形満ですね。  80年代はそうしたドラマツルギーが徹底的に無化されました。これはフジテレビなど、リア充をも含めた全体的な流れだったのですが、そろそろリベラル君たちがこれをオタクの仕業であると歴史修正を始める気もします。  90年代は本当の意味でのニヒリズムが蔓延し、シンジ君は戦いを拒否。  ゼロ年代は夜神月が、そしてなろう的チート主人公が人気を得るに至りました。  しかし10年代からは――と言っても、もう後半まで来てしまいましたが――再び「持てる者」へのカウンターが描かれる、70年代への回帰が始まるのかも知れません。  ただ一つ違うのは、「努力と根性」という要素は相変わらずオミットされていること。それは仕方がありません。現代で「努力すれば報われる」と語っても、それはギャグにすらならないでしょうから。  では、「俺氏」は何を武器に戦うのでしょうか。  本作では、 「愛」が敵と戦う武器に選ばれています 。  なぁんだ、と思われるでしょうか。  この「愛」こそ80年代に空疎に振り回され、世の中をエゴイズムに染めてきた諸悪の根源である、と言いたい人がいるかも知れません。  てか、そうした物言いは、(最近してないですが)以前、ぼくがよくしておりました *2 。  しかしまあ、待ってください。  ここから先は更に、本作のストーリーを詳しくご紹介していく必要がありそうです。 *1 本作一話では「食べログ」が登場。飲食店を逆恨みした者が不当に貶めるレビューを書き込む様が描かれ、「これもまた飲食店版のリア充ランキングだ」と語られます。 *2 「 兵頭新児の女災対策的読書・Rewrite 」「 Rewrite(その2) 」など。  俺氏は「 リア充、爆発しろ! 」「 特定完了! 」の決めゼリフと共にリア充どもの「正体」を暴いていきます。  本作における「ENJバトル」、基本は相手のゴシップを集め、その正体を暴露するという、かなりゲスなものです。とは言え、まず最初に俺氏はこのシステムそのものを否定しており、「そうした手法を使わざるを得ない矛盾に苦悩しつつも、それによりシステムそのものを否定しよう」とするところにこそ、本作の醍醐味があるわけなのです。  例えば、第一の敵、「Mrエリート」。 「超一流」のブルジョワである彼は、90年代あかほりアニメのライバル役でよくいたような、何だかちょっとカマっぽいスネ夫キャラです。彼はまさにリア充のお約束の行動として、ディナーをツイッターにうpします。高級フレンチを食べたとドヤ顔なのですが……ん? よくよく見ると何だかコラ画像のような……ENJバトルで、彼が本当に食べていたのは牛丼であったと暴露されます。まさかこれ、内田樹師匠と古市憲寿師匠が元ネタになっていたり……しないよなあ?  案の定、Mrエリートの正体は単なる牛丼屋のバイトでした。イケメンのアバター(?)とは裏腹に、本人はデブなキモオタ。  しかし、本作の秀逸なのはここからです。Mrエリートは牛丼をバカにされ、本人の「牛丼愛」故にそれを看過できず、正体を現してしまう。俺氏はそんな彼の牛丼愛を讃えるのです。  何となれば、俺氏は愛を武器に、戦うのですから。  とあるブログで「俺氏は相手に同情も、ましてや嘲りもしない、 敬意を持って臨むのだ 」と評していた人がいました。まさに「それな」です。  以降も次々と現れるリア充どもの正体を暴くことで、俺氏はバトルを勝ち進むのですが――ここで更なるネタバレをしておくと、本作のもう一つのすごさは、その女性観のシビアさにあります。  Mrエリート自身は男性ですが、彼のパートナー「部下子」は「意識高い系OL」。  彼女は俺氏がMrエリートにとって不利な 客観的事実をツイートすると 、猛然と噛みついてきて「ツイートを消せ」「訴える」「弁護士と相談している」と恫喝を始めます。   本作は俺らの、ゲーム化です。  本作は「推理ゲーム」をフォーマットにしてはいるものの、あくまで「民意誘導」こそがその目的(何しろシステムの中に「民意先導スピーチ」というものがあります)。論理の整合性に重きが置かれているわけではありません。だからこそ女性対戦者は「女子力」をもって戦いを挑んできます。彼女らはみな一様に被害者ぶり、或いは色仕掛け、「私のことが好きなの?」と主人公に問うことでバトルを乗り切っていくのです。  第二話の対戦者himeが「誰かhimeを守って!」「himeを守ってくれる王子様はどこ?」と続け、俺氏に対して「ひょっとしてあなたが王子様?」と迫る展開は、敵ながらあっぱれです。  ちなみに第二話のタイトルは「ウソつきは姫の始まり」。もうこれだけで「はは~ん」となる人がいるのではないでしょうか。このhimeは日本のオタク文化を愛し、ユーチューバーとしての知名度を誇るブリュンヒルデ王国から来たお姫様。「クールジャパンを愛する異国の姫」というのが既にオタク心をくすぐる設定で(そんなの、宇宙からやってきたぼくのことを溺愛してくれる美少女、といっしょですもんね)、当初は「少女の憧れである魔法少女アニメが好き」と語っていたところを「魔法少女は少女のためだけのものではない」と反論され、「深夜の、ちょっとエッチな魔法少女アニメ」も好きであると語ることで支持を挽回する下りは見事です。そう、俺氏が指摘するようにぼくたちは「アニメには夢がある」など一遍通りなことを言う「にわか」を何よりも憎みますが、そこを「あなたたちの愛する、 欲にまみれた深夜アニメ をも、受け容れる」と言われたら、「あぁ、本当に俺たちのことをわかってくれるんだ」となって、一発でメロメロになっちゃいますよね。  そして彼女は最後に「 姫は姫でもオタサーの姫 」という正体を現します。  彼女の取り巻きである「騎士くん」は彼女を守ると称して(彼女に不快感を与えた者へと過剰な報復行動に出るなど)暴走を続けていました。俺氏は「仮にそれが姫の命じた行為ではないにせよ、男たちの歓心を買い、彼らを操縦していたことで責任は免れない」と憤ります。そんな彼女が「どうしてみんな仲よくできないの?」を連発することで俺氏の戦意を削ぐ戦術を使っていた(口先では平和を謳いつつ相手の攻撃を続けていた)ことがまた、見事。ここでは「女性性」、即ち「受動性というジェンダーが持つ攻撃性」が十全に描かれているのです。  最終的に、彼女はアバターを暴かれ、本来の姿を現します(アバターを剥ぎ取り、相手の正体を「特定完了」することが本作のクライマックスです)。王冠を被り錫杖を手にした異国の金髪の姫が、「 姫と呼ばれたかったーーー!! 」と絶叫しながら、 ネコ耳に魔法少女ステッキを手にした、ルックスも微妙でボディラインもたるんだ 「いまいち萌えない」正体を現す様は悲惨でもあると同時に、しかしその「残念さ」に萌えてもしまいます。結果、彼女は 少数のサークルの中でファンに囲まれながら、オタサーの姫 に戻るのです。  第三の敵はボカロ。とは言え、本丸の敵はこのボカロを操るプロデューサーであり、俺氏は彼と、オタク文化の尊厳を懸けた戦いを繰り広げます。ここで語られるのは、「愛もないくせに、金の匂いを嗅ぎつけ、外から俺らの業界に入ってきたものへの違和」。  まさか、こんなテーマを語ることが許されていようとは、ぼくは夢にも思いませんでした。何しろ現実のオタク世界を支配する「運営」は、オタクたちがそんなことに疑問を持つことを厳に禁じています。 思想犯は矯正されるか、アカウントを凍結されるしかありません 。しかし俺氏はオタク文化に愛のない者へと、果敢に噛みつくのです。   本作は俺らの理想を描いた、ゲームです。  もっとも、このボカロもまた、「いろいろあって、 リア充界から都落ちしてオタク文化 にすがるようになった」切ない正体を現すのですが……。  第四の敵は「ギャル」です。「スウィーツ()」とか「携帯小説」といった表現はさすがに古いからか表には出ませんでしたが、要するにそういう感じの人物。「オンナのコわ、もっとワガママでいいと思う」という彼女の「恋愛脳」から発せられるワードはその理解不能さで俺氏陣営を苦しめ、一方、彼女の著作に感化された女性たちは「モンスター女子」としてネットにもリアルにも夥しい被害をもたらしています。ツイッター上で萌えキャラが叩かれる描写も(ちょっと抑えたものですが)あり、これが実際のいかなる事件をモデルにしているかは明らかです。 「女子はか弱い。女子は守られなければいけない  そんな考えがどんどん過激にエスカレートしていって  ついには男子が女子のために尽くすのは当たり前  女子のために尽くすことが男子の幸せだ――  そんな思想を持って男子を虐げるようになってしまったんだ  今や 女子たちはモンスターそのものだよ 」   本作は俺らのゲームです。  このギャルのもう一つの決めゼリフである「愛があれば、言葉なんてなくたって気持ちは通じる」に対して、殊更に俺氏は批判的で、男女のディスコミにおける女性の「ムードでわかれ」圧力が、オタクにとっては極めてムチャ振りであることが、ここでは十全に描かれるわけです。  さて、ではこの「ギャル」がどうなるかというと――みなさん、そろそろおわかりになってきたかと思います。  対戦相手の正体は例外もあれど、ぶっちゃけてしまえば、みな「非リア」でした。だからこそ正体を現した相手と俺氏とは和解し、友情を育んでいく。作品として非常に後味のいいものになっているのです。  このギャルの彼氏は非実在であり、そして彼女の正体は――あぁ、やっぱり 腐女子 だったか! そんな「 脱オタ 」しようとしていた彼女が オタク としての生き方を取り戻すことが、本話のテーマだったのです。  また、彼女のケータイ小説は映画化などがされるにつれ、スポンサーの意向に振り回されるようになったと描写され、そのスポンサーである企業こそが悪ではないかとも暗示もなされ、「ラスボス」への伏線を張ります。  第五話は、中でも一番、女性へと辛辣な話でしょう。  対戦相手はイケメンアイドルなのですが、ここでは実際の事件をモデルにした「バンビーナ事件」というものが描かれます。「バンビーナ」とはこのアイドルのファンである女性を総称する言葉なのですが、かつてこのアイドルの(正確には彼がかつて所属していたグループの)ライブが急遽中止になり、地方から上京してきたバンビーナたちがコンビニや行政に食事や宿泊場所を無償で提供せよと主張、またバンビーナを狙う 性犯罪者がいるなどのデマまでをも流してしまう 、といった事件が起きていたのです(彼女らが「か弱いバンビーナを守れ!」と自ら発信していたというのがまた、見事)。それ以降、バンビーナたちはタチのよくないファンとして暴走することになってしまったのです。   本作は俺らの住む現実世界の、ゲーム化です。  また、このアイドルは同時に俺氏の幼なじみでもありました。  俺氏の非リア、コミュ障は、元を辿れば小学生時代の金魚殺しの冤罪を着せられた過去に起因します。  証拠もなく俺氏を犯人として糾弾するクラスの一同。その吊し上げ、 糾弾会 の様を、俺氏は「今思えばネットの炎上に似ていた」と述懐します。  が、そこをただ一人、幼なじみは俺氏をかばってくれました。二人の友情はそれをきっかけとしたものでしたが――ENJバトルの場で、衝撃的な真実が明らかになります。 実は金魚殺しの真犯人は、この幼なじみ でした。「俺がこいつの味方をしてやったら、女どもは俺のことを優しいと言うのだ。証拠もなく犯人と決めつけた相手に『死ね』と罵詈雑言の限りを尽くしたその口でな!」。 「傑作だろ! オマエに「しね!」と言った口で  今度はオレに「好き」だとかぬかしやがるんだからな!」 「今世紀最高のイケメン、オンナたちバンビーナと呼び  数え切れないオンナを抱いた肉食獣!  だが、本当の肉食獣はそのバンビーナたちだった!」   本作は俺らの、ゲーム化です。  ここではイケメンアイドルの女性への失望がイヤというほど描かれます。  彼は 虚飾の世界に疲れ果てたアイドル という「正体」を晒し、退場していきます。いえ、現実の世界では 「女性を罵るイケメン」はミソジニストと呼ばれることも決してなく 、充分に需要があることでしょうが……。  アイドルの明かした過去の事実には、女性性のリアルがこれでもかというくらいに描破されています。 「『死ね』と言ったその口でイケメンのことは『優しい』と言う」。  残念なことに近い事例は世間のあちこちで見ることができますが、これを分析するならば、「判断を強者に委ねた者」「観客であることを許された者」故の無責任さである、とまとめてしまうことができます。  そうした匿名性、受動性は女性ジェンダーのネガティビティでもありますが、同時にネットの特性でもあります。  本作は何よりもそうした匿名性をこそ、受動性をこそ「悪」であると厳しく告発しているのことが、おわかりになるでしょう(考えれば『 絶対絶望少女 』のテーマもまさにこれでした)。  この五話を最後に、本作は以降、最終編へと突入していき、「女災」的テーマからはいったん、距離を置きます。しかしラスボス戦においてすら、俺氏はこの「リア充至上主義社会」、否、実のところフォロワーたちのリアクションが、「いいね!」を押す者が主導権を握っている……えぇと、ポピュリズム社会、みたいな形容でいいのかなあ、ともかくそうしたものの裏を掻く「邪道」で勝利を収めるのです。  そして、もう一つ。  先にぼくは「俺氏」は愛を武器に戦うと述べました。  しかしその愛は、「リア充」の言う愛ではない。  オタクが愛と言う時、オタク文化への愛を指すことが多く、そのニュアンスに独特のものがあることにお気づきでしょうか。それは「自己愛(ナルシシズム)」と言い換えてもいいでしょうし、「ライナスの安心毛布的なものへの愛」と言い変えてもいいでしょう。ぼくは時々、オタク文化を「裸の男性性」と形容しますが、要するにオタクのキャラやコンテンツへの愛情は、自らの内面への愛情だとも言い得るわけです。  自分を愛することをタブーとし、女性に全ての愛を捧げよと命じられた男性が、 フェミニズムによる社会動乱に乗じて 、とうとう自分自身を愛するガジェットとして、萌えというものを発明した――それが、オタクの言う「愛」の実体です。  先に「俺氏は敵に敬意を持って臨む」との意見を引用しましたが、Mrエリートが牛丼を愛しているからこそ俺氏は彼と友になり、またhimeが「 オタどもを搾取するオタサー姫 」である点については厳しく糾弾しますが、 オタク女子として愛する作品 がある一面に対しては、リスペクトもします。  俺氏は「いいね!至上主義社会」を基本的に否定していますが、オタクの愛を信じることで、民意を自分側に向けさせもするのです。オタク文化をバカにしたMrエリートを批判することで流れを変える展開など、その好例ですね。  今まで貼ってきた画像をご覧いただければわかるように、本作のキャラクターデザインは「島本和彦」系です。実際、ファンの中にはデザイナーさんを『グレンラガン』の人だと信じ切っている人が結構いるようです。  島本和彦先生と言えば、もう彼自身を語るのに別な記事を五つも六つも書く必要が生じてしまう作家なのですが……要は「男性性というものが否定されてしまう状況下で、一度、男性性を笑いのめし、しかしその中から立ち上がっていこうという実験をした作家」と定義することができましょうか。  本作もまたその魂を受け継いでいます。  ぼくは以前、オタクの内部指向を「格好は悪いけど、ぼくは自分のニーズに没頭する」、「対外的には自虐しつつ、自らの欲求を吐露する、スタイル」と表現しました *3 。  本作では島本先生の「熱血→ギャグ」という流れを「オタクの自虐」に読み替えました。 「男の魂」を笑いのめし、しかし感動に持っていくという島本先生の荒技に倣い、本作はオタクの愛の全肯定という荒技を敢行した作品である、と言えるのです。  ――ぼくは一ヶ月ほど前、本当に何気なく本作を手に取り、そして毎話、感動と驚愕に震え上がりながら、終えてしまうのが惜しいと感じつつ、プレイを終えました。  が、大変残念なことに本作、一般的な知名度はそこまで高いとは言えません。  興味を持っていただけた方は、まず体験版を――と思ったのですが、プレステストアを見てもどこから体験版をDLできるのかわかりません。ニコ動ででも見て気に入った方は購入していただけたら……と思います。 *3 サブカルがまたオタクを攻撃してきた件  ――その2 オタク差別、男性差別許すまじ! でも…?
兵頭新児の女災対策的随想
「女災」とは「女性災害」の略。

男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。



このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。