結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年1月20日 Vol.147
はじめに
おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
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ある朝、ふとこんなフレーズが閃いた。
今日のあなたは、
自分史上最高に経験豊かであるとともに、
これから出会う自分の中で最も若々しい。
なるほど。確かにそうだな、と私は自分で思った。
今日の自分というものは、過去の自分に比べて一番経験豊か。 そりゃそうだ。 そしてまた、未来の自分に比べたら一番若い。 確かにその通り。
ふむふむ、なかなか元気が出る発想だな、 と私は思ってTwitterでつぶやいた。 しかし、その直後、私は気付いてしまった。
今日の自分は、
自分史上最高齢であるとともに、
これから出会う自分の中で最も未熟……
つまり、さっきのフレーズを逆にして考えたわけですね。 ま、まあ、元気が出るほうのフレーズに注目することにしましょう。
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ダイエットの話。
いや、ダイエットというほどではないのですが。 昨年2014年は、食事に注意し、定期的に運動をしてきました。 「習慣の力」を生かそうとしてきたのです。
その結果、昨年一年間で、おおよそ5キロ体重が減りました。 体脂肪率も少し減りました。体重が毎月どのように変化したか、 グラフで見てみましょう(実際の数字はさておきます)。
これはiPhoneのRecStyleというアプリで表示したものです。 このアプリは、週単位、月単位の平均でグラフを描いてくれますし、 毎日指定した時刻に「入力しましょう!」と励ましてくれます。
週平均・月平均でグラフを描いてくれるのはいい機能だと思います。 毎日測っていると、体重は意外に変化するものです。 そして変化があるとつい一喜一憂してしまいます。 一喜一憂するくらいならいいんですが、 つい「今朝は体重が減っていたから、ちょっと多めに食べよう」 という気の緩みに繋がってしまうのです。 その点、週単位のグラフを使って変化をにらむと、 (なかなか減らないので)気が緩むことが少なくなります。
体重の記録を取るのは、いつも朝の着替えの時です。 私の生活パターンでは、夜に測ると時刻のバラツキが大きくなってしまうため、 朝に測るようにしています。 もっとも、先ほどのグラフによれば、2014年の9月と10月には記録を忘れていますね。
グラフを詳しく見てみますと、
・最初の一ヶ月の体重は微減し、その後にぐっと下がっている。
・二ヶ月目と三ヶ月目で効果が見えて手応えあり。
・六ヶ月目で油断したのかいったん上昇した。
・でもまた二ヶ月かけて減らしていった。
そんな流れが見えてきます。 はじめの一ヶ月で嫌にならず、六ヶ月目であきらめず、が良かったのかもしれません。 継続は力なりですね。
結城が一年やってきたことは単純です。
・ご飯・そば・うどん・パスタをあまり食べない。
(まったく食べないと言ったら嘘になるというくらいしか食べない)
・野菜・果物を中心に食べる。
・特に野菜はいろんな種類をたっぷり食べる。
・ドレッシングをかけすぎない。
・筋トレをしっかり行う。
(さもないと、脂肪ではなく筋肉が減ってしまう)
(また、筋肉を増やすと基礎代謝が高くなる効果もある)
一年で5キロ減だとそれほどつらくはないし、 身体が軽くなるのも実感できてよいですね。 定期的に体重を測り、自分の体調の変化を見るのは、 一種ゲーム感覚でもあります。 いわゆる「育てゲー」に近い感覚でしょうか。
そのように考えると、ダイエットでも楽しくできるかも。
なお、健康や命に関わることなので、 この文章を読んで、自分で何かをやろうとする方は、 自己責任でお願いします。
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「数学文章作法」シリーズの話。
「数学文章作法」シリーズは、 ちくま学芸文庫のアマゾンランキングでずっと上位に入っています。 先日は2位、4位、6位でした。 みなさん応援ありがとうございます。
「数学文章作法」シリーズは、文章をふだん書いている人の「当たり前」 を書いており、文章を継続的に書く人が当然知っておくべき常識としてお勧めしています。 また、文章を指導する立場の人には、生徒に「このくらいは常識として読みなさい」 という感じに使える副読本としてお勧めしています。
文章を指導する立場の人には、現在注目している分野固有の内容や、 生徒固有の重要ポイントを教えるところに時間を使っていただきたい、 と思っています。つまり、「読者のことを考える」や、 「適切な言葉を選ぶ」といった基礎体力の部分については、 「数学文章作法を読んでおきなさい」としていただければいいな、と願っています。 リアルタイムで先生が生徒に教えるのは人的・時間的なコストがかかるものですから、 先生の時間を有効活用し、個別指導に力を注いでいただけるようにするため、 拙著をお使いいただければと思っています。
◆『数学文章作法 基礎編』
http://mw1.textfile.org/
◆『数学文章作法 推敲編』
http://mw2.textfile.org/
そして、今年はこの第三弾を書こうとしています。 今回の結城メルマガではその執筆のようすを「数学文章作法のスケッチ」として、 読み物にしようとしています。どうぞお楽しみください。
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ちょっと真面目な話。
ネットを見ていて、ふと思ったこと。 ネットを見ていると、二つの矛盾した感慨を抱くことがある。
・人は互いに絶対分かり合えない。
・人は深いレベルで分かり合える。
この両方の例をときおり見かけるからである。
相手とほんとうに分かり合えたかどうかを知ることはできない。 直接見ることができる心のサンプル数は1だ。 すなわち、人は自分の心しか見ることができない。 他の人の心は想像することしかできない。 しかも、直接見ることができる自分の心すら、いつもふらふら動いている。
自分と相手とでは、経験したことも、言葉の使い方も違う。 相手との対話で使える時間も限られている。 しかし、ほんとうに分かり合えたかどうかを知ることはできないけれど、 ときおり「分かり合えたかも?」と感じる瞬間がある。 これは奇跡と言えるかもしれない。
多くの人は、自分を平均的で標準的な存在と思う(のではないかな)。 よくあるのが「自分が育った家庭」というのが「普通」だと思っていたのに、 他の人と話してみたら違っていてびっくり!というケース。
多くの人は、自分を多数派だと思う。
・自分は話が通じる側
・自分は常識を持っている側
・自分は正統派に属している
・自分は普通である
・自分がいるのは安全な側
と考える。でも、よく考えてみると分かる通り、そんな保証はどこにもない。 自分がどちら側にいるのか、 そもそも「どちら側」なんてものがあるかどうかもわからない。
先日ある方から聞いた話。
会社で、自分はリストラする側だと思っていた。
でも、ふたを開けてみたら、自分はリストラされる側だった。
自分は大丈夫と笑っていたら、 ぜんぜん大丈夫じゃなくて、会社の同僚から「かわいそうに」と言われたという。 そのときになって初めて「少数派であることのつらさと孤独」を味わう。
誰でも、健康を崩すことがある。大失敗することもある。 他の人とは違う考えを抱くことだってある。 誰でも、ひょんなことから少数派になる(少数派であることに気付く) 可能性がある。そのとき初めて、 氷のように冷たい「現実という壁」に初めて手を触れることになる。
そして、そのとき初めて、
ああ、私があわれみつつ笑っていた、
あの少数派の人たちはこういう気持ちを抱いていたのか。
ということを知るのだろう。涙とともに。
そんなことを、ネットを見ながらふと思った。
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note(ノート)の話。
結城はnoteというサイトに文章を書いています。
◆結城浩 - note(ノート)
https://note.mu/hyuki
しかし、このサイトでは「自分の書いた文章の一覧」を簡単に得る方法がありません。 ですので、結城は自分の文章へのリンクを手動で作ってまとめていました。
◆結城浩 - note(ノート)
http://www.hyuki.com/note/
それはそれでいいんですが、 コンピュータが目の前にあるのに手動で作らなくちゃいけないというのがどうも…… どうも、気になります。
そこで、Rubyとcurlというプログラミング言語を使って、 「指定されたURLから順繰りに過去へのリンクをたどっていき、 各ページのタイトルとURLを表示するプログラムを作りました。 以下です。
◆note-prevs
https://note.mu/hyuki/n/ndd1eca584b0e
細かいところで手抜きをしていますので、 サイトの構成がちょっと変わると動かなくなりますが、 現在のところは、Rubyとcurlがある環境ならば動くはずです。
ところで、実際にこれを作ったら、もうなんだか満足してしまって、 実際に「自動的に自分のノート一覧」を作る気分が失せてしまいました……
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Vimの話。
結城はメインのテキストエディタとしてVimを使っている。 Vimはちょっとくせのあるエディタで、いくつかのモードを持っている。 コマンドモード(ノーマルモード)では、 入力したキーがそのまま文字として入力されるのではなく、 コマンドとして解釈される。
たとえば x というキーは「一文字削除」というコマンドになるし、 Dというキーは「行末まで削除」というコマンドになる。 jは「次の行に移動」で、/というキーは「下方向への検索文字列入力開始」である。 nは「最後に検索した文字列をカーソル位置から下に向かって再検索」だ。
強力なのは . (ピリオド)というコマンド。 これは「最後に行ったひとまとまりの編集を再度行う」というものである。
たとえば、/textrm[ENTER]と入力すると、textrmという文字列を検索する。 次にcwtextbf[ESC]と入力すると、それをtextbfという文字列に置換する(編集)。 この状態で、nを入力すると「次のtextrmを検索」し、 ピリオド.を入力すると再度textbfに置換する。
つまり、n.n.n.n.というキーシーケンスで「textrmを検索してはtextrmに置換する」 という編集作業を行うことになる。
くどくど書いたけれど、編集作業中はこのような操作は半ば無意識に行っている。 適当に編集作業して、n.n.n.n. という具合。
興味深いのは、こういった決まったキーシーケンスを、 まるで英語のイディオムのように次第に身につけていくということ。
・xpで「二文字の交換」を行う。
・ddpで「二行の交換」を行う。
・V]:norm .で「現在のカーソル位置から次の空行までを範囲選択して、
最後に行った編集を再度実行する」を行う。
このようなイディオムは、本を読んだり、他の人のブログ記事を読んだりして知る。 でもときには、自分自身で気付き、見つけ出すこともある。
編集作業で自分がよく使うイディオムというものは、 Vimに限らずどんなエディタにもあるだろう。 ただ、コマンドモードを持っているVimの場合にはよく目立つように思う。
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さて、それでは今週の結城メルマガを始めましょう。
今回は、「夢中になって書く」ことについての読み物、 連載「フロー・ライティング」をお送りします。 PDFをダウンロードしてお読みください。
それから、前回に続き「数学文章作法のスケッチ」をお送りします。
どうぞ、お読みください!
目次
- はじめに
- フロー・ライティング - 「熱い気持ち」で書くとはどういうことか
- 数学文章作法のスケッチ(4) - 章立て
- おわりに