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Vol.146 結城浩/再発見の発想法/数学文章作法のスケッチ(3)/本を書く心がけ/
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Vol.146 結城浩/再発見の発想法/数学文章作法のスケッチ(3)/本を書く心がけ/

2015-01-13 07:00
    Vol.146 結城浩/再発見の発想法/数学文章作法のスケッチ(3)/本を書く心がけ/

    結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年1月13日 Vol.146

    はじめに

    おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。

     * * *

    試験採点の話。

    学習院の田崎先生(@Hal_Tasaki)がツイートしていた、 大学生の試験採点と成績の話がおもしろかった。

     https://twitter.com/hal_tasaki/status/547659901552443393

    これによれば、田崎先生は以下のような方針で成績をつけているという。

     ・試験の点数が50点以上あるいは40点未満の場合、素点を成績にする。
     ・40〜49点の場合、試験当日までに完全なレポートが出ていれば、
      50点を成績にする。

    つまり、こういうことです。 学生が50点以上の「良い点」を取った場合には、そのままその点が成績になる。 学生が40点未満の「悪い点」を取った場合も、そのままその点が成績になる。 学生が40点〜49点の「ぎりぎりで単位を落とす点」の場合には、 レポートによる救済策が用意されていて、単位を得る最低点の50点が成績になる。

    結城がおもしろいと思ったのは、 救済策のためのレポート提出は「試験当日まで」であるという点です。 試験が終わってから「だめだったので助けてくれ」という「試験後の救済」ではない。 「まずい場合に備えて勉強し、レポートを出しておこう」というように、 学生が自分で単位を得る「試験前の保険」を掛けることができる。 これは、勉強させるためのよい方法ではないかと感じました。

     * * *

    教師と生徒の話。

    ある方からこんなメッセージをいただきました。 メールアドレスがなく公開許可が取れませんでしたので、 主旨を変えずに文章は結城が書き直しました。

     中学時代に教師から、
     「答えは合っているけれど、式が違う。教えたやり方と違う」
     と拒否されました。それから数学は嫌いです。
     結城先生は数学を嫌いになる子が出ないように頑張っていますが、
     私は数学が嫌いです。

    結城はこのメッセージを読んでとても悲しくなりました。 そして教師の責任というのは大きなものだとも思いました。

    もちろん、ある考え方を生徒に身につけてもらいたいというのは大事なことです。 もしも生徒が我流でばかり考え、 よりよい方法や身につけてもらいたい視点を学ばないとしたら困るでしょう。 しかし、それと同時に、生徒の考え方で正解までたどりついたら、 それに対する一定の評価は必要でしょう。

    それからもう一つ。学ぶ側の発想のことも思いました。 世の中には教えるのが下手な教師や不愉快な教師はたくさんいるでしょう。 でもそれで数学(に限らずある科目)を嫌いになるのはとてももったいないことです。

    メッセージをくださったこの方に限らず、 「教師が嫌いだから、その科目全体が嫌いになった」という生徒は、 とても多いと想像します。でも大人になってもそのような思いに支配されるのは、 結局自分が(広い意味で)損をするのではないかな、と思います。

    この文章を読んでいるあなたには、 「教師が嫌いだから、この科目が嫌い」という科目はありますか。

     * * *

    昨年のクリスマスイブの話。

    ちょうど彼女(家内)に用事が入り、彼女の帰宅が遅いことがわかっていたので、 特にパーティも何もなくイブが過ぎました。 でも、イブに何もないのはどうかとも思ったので、 結城は仕事から帰る途中で、小さな花束を買って帰宅しました。 夜遅く帰ってくる彼女のお出迎え用です。

    花束を持って帰宅した結城に、子供が尋ねました。

    子供「それ、自主的に買ってきたの?」

    結城「自主的って、どういう意味?」

    子供「お母さんに言われたから買ってきたのかどうか、という意味」

    結城「自主的です」

    子供「へえ」

    自分の子供から、こういう観点での質問をもらうとは想像していなかったので、 ちょっと新鮮な出来事でした。

    ちなみに、次の日。 肝心の彼女は花束に喜んでおりました。

    しかしながら、結城が「花束を買ってくる、とても気の利いた旦那さん」 をアピールし過ぎたため、最後にはいささか鼻白んでいましたけれど……

     * * *

    「すべて」と「ある」の話。

    芳沢光雄先生の記事「すべての学生は携帯を持っている」の否定文は? をめぐって「すべて」と「ある」という数学的な表現が話題になっていました。

     ◆【日経】「すべての学生は携帯を持っている」の否定文は?
     http://www.nikkei.com/article/DGXMZO81016150X11C14A2000000/

    以下、数学的な表現だとして考えます。

    まずは正解から。

     「すべての学生は携帯を持っている」

    を否定すると、

     「ある学生は携帯を持っていない」

    になります。

    つい、最後に「ない」だけをつけて「すべての学生は携帯を持っていない」 として否定したくなりますが、これは数学的には正しくありません。 「すべての学生は携帯を持っている」わけではないといいたいのですから、 たった一人でも携帯を持っている学生がいれば否定できます。

    ですから、「すべての学生は携帯を持っていない」はいわば否定しすぎです。 たった一人でも携帯を持っている学生が存在すれば否定できるのですから、

     「ある学生は携帯を持っていない」

    でいいのですね。 スローガンとしては「すべて」や「ある」がついたときの否定は要注意、 ということになると思います。

    ここから話は少しずれていきます。 もしも「学生」が世界にたった一人しかいなかったら何が起こるでしょうか。 もしも「学生」が世界にたった一人しかいないなら、 「すべて」と「ある」が同じ意味になるわけです。

     世界に学生が一人なら、
     「すべての学生は携帯を持っている」と、
     「ある学生は携帯を持っている」は同じ意味。

    ですから否定した文も同じ意味になります。

     世界に学生が一人なら、
     「すべての学生は携帯を持っていない」と、
     「ある学生は携帯を持っていない」は同じ意味。

    さらに話はずれていきます。 もしも「学生」が世界に一人もいなかったら何が起こるでしょうか。

    世界に学生が一人もいないとしたら、 この場合は「すべての学生は携帯を持っている」という主張は真になります。 そして「ある学生は携帯を持っている」という主張は偽になります。

    おもしろいことに、世界に学生が一人もいないとしたら、 「すべての学生は携帯を持っていない」という主張は真です。 そして「ある学生は携帯を持っていない」という主張は偽になります。

    世界に学生が一人もいないときには、 「すべての学生は携帯を持っている」という主張も、 「すべての学生は携帯を持っていない」という主張も共に偽になるのです。

    ちなみに、Rubyにはall?というメソッドがあります。 これは配列のすべての要素についてtrueであるかどうかを調べるものですが、 このメソッドに要素が0個の配列を与えるとtrueを返します。 つまり、世界に学生が一人もいないとき「すべての学生は……」に対して、 確かに真という答えを出していることになりますね。

    ところで、日本語としては「ある学生は携帯を持っていない」 という表現はあまりこなれていません。 「携帯を持っていない学生がいる」という表現の方が自然に感じます。 これについてもツイッターでいろんな話題が流れていたのですが、 長くなるのでまたいつか。

     * * *

    エゴサーチの話。

    先日「ネットで悪口は言うが、エゴサ→反論は許さない人々について」 というまとめを見かけました。

     ◆ネットで悪口は言うが、エゴサ→反論は許さない人々について
     http://togetter.com/li/761758

    以下は、このまとめとは直接は関係ないのですが、 結城が「エゴサーチ」についてどう考えているかを書きます。 あくまで私はどうしているかという話であって、他者に強制する話ではありません。

    結城は、TwitterでもWebでもいわゆる「エゴサーチ」をよくやります。 自分の名前「結城浩」で検索したり、 自分の本のタイトル「数学ガール」で検索したりするということです。

    Twitterで結城の本について感想が書かれていたら、 感想を書いてくださった方にリプライを送ったり、お気に入りに入れたり、 リツイートしたりします。 Webで感想を見つけたら、はてなブックマークに保存します。

    そのように、エゴサーチして見つけた読者の感想に「反応」することはありますが、 読者の意見に対してわざわざ「反論」することは少ない…ほとんどないと思います。 反応の内容はほとんどの場合「感謝」になります。 あるいは「情報提供」の場合も少しあります。

    エゴサーチして見つけた人全員にリプライするわけでもありません。 リプライしても相手が不愉快に感じないだろうな、 という人かを確かめています、いちおう。

    エゴサーチする理由の一つは、 結城の本を買ってくださった方や読んでくださった方に御礼することです。 それ以外にも「こういう方が読んでいるのだなあ」という「読者像を知る」のも 大きな理由です。

    読者像を知るという意味では「本を読んで面白かった」という意見だけではなく、 「こういうところに不満を感じた」という意見も非常に参考になります。 不満を感じたという読者さんにわざわざ「反論」のリプライをすることは、 ほとんどありません。 不満を感じた読者さんに「読んでくださって感謝」 のリプライをすることはたまにあります(少し緊張しつつ)。

    不満を感じた読者さんに「反論」のリプライをしないのは、 本の内容に関する読者の素直な感想に対して、 著者がこう読め、こう感じろというのは無茶なことだと思うからです。 著者はすでに自分の最善と思う表現を読者に渡したわけですから。

    不満を感じたという読者さんに「反論」 のリプライをすることはほとんどありませんが、 だからといって、不満を感じたというツイートをやめてほしいとは、 まったく思いません。 もしもそれが読者さんの素直な感想なら、 その意見を読むことは大事なことだと思うからです。

    まあ、面白かったというツイートもたくさん読みたいですけれどね!

     * * *

    さて、それでは今週の結城メルマガを始めましょう。

    今回は、「再発見の発想法」のコーナーでモーダルダイアログの話。

    それから「本を書く心がけ」のコーナーでは、 ネットのスピードと雑誌・書籍のスピード感の違いについて。

    そして、今年の大事なお仕事の一つ「数学文章作法」シリーズの 次回作へ向けてのスケッチです。

    どうぞ、お読みください!

    目次

    • はじめに
    • 再発見の発想法 - Modal Dialog(モーダルダイアログ)
    • 新言語Streemの記事を見て思ったこと - 本を書く心がけ
    • 数学文章作法のスケッチ(3)
    • おわりに
     
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