ウルグアイの元大統領ムヒカ氏が来日していて、毎日話題になっていますね。

 世界一貧しい大統領と呼ばれた男 ムヒカさんの幸福論:朝日新聞デジタル 
――「世界で一番貧しい」という称号をどう思いますか。

 「みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」

 「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」

 このような幸福論ゆえに、一方では「最も豊か」とも言われています。

 確かに、今「豊かである」とされている人たちが、決して豊かとは言えないというムヒカ氏の言葉には真実が込められています。

 しかし、その一方でムスカ氏の幸福論も古臭い20世紀の考え方です。そのような考え方では社会はうまくまわらないということは、特に長いデフレ期に苦しんでいる我々にはもはや自明です。

 モノが豊かになりましたが、心は貧しいままと誰もが思っています。であれば、これからは心を豊かにするために私たちは邁進しなければなりません。

 農場で働くというムスカ氏のところに、旅芸人が訪れたとして、心打たれる演奏をしたとしましょう。ムスカ氏は感動したお礼にいくばくかのお金を払ったとしましょう。これも立派な経済活動です。しかもその経済活動の結果、心が豊かになっています。これを無数に繰り返せば、モノまみれではない形で、世界の経済活動が活発になるのです。

 お金は悪いものではありません。ムスカ氏が先ほどの旅芸人に一晩の宿や食事を提供したとしたら、その行為を責める人など誰もいないでしょう。お金は単にその形を変えただけです。お金になったらよくないと思うとしたら、それは単にお金の悪い使われ方を当てはめているからです。これは良いお金の使い方です。

 ムスカ氏は一国の大統領でしたから、当然、国民がのびのびと暮らせるように考えなければなりません。そのためには活発な経済活動が必要です。しかし、彼の幸福論から、忌むべきモノの経済活動から脱却せよとのメッセージは伝わりますが、新しい経済活動への指針は見えません。それはモノの活発な経済活動がつまづいた瞬間、長いデフレに入ってしまった日本そのものです。日本もまた新しい経済活動への方向性を見出せないでいます。

 あるいは彼は、自分への給料のほとんどを寄付したと言われています。寄付そのものは素晴らしいことですが、寄付というからにはそれは経済活動としては持続的ではありません。社会として寄付にまわすべきお金は、豊かな経済活動に生まれた余剰です。余剰でもないお金を寄付に回すのは、種籾を食べてしまうようなものです。

 社会の中にムスカ氏のような清貧な生き方を好む人がいるのはもちろん構いませんが、彼の言葉は20世紀からさんざん語られている物質社会への反省までであり、しかし21世紀の今、私たちはその反省をもとに新しい経済活動の車輪を生み出さなければならないところにまで追い詰められているのです。

 ムスカ氏の言葉は古いと言いましたが、いまだにそれがすばらしいと言われるのは、まだ、モノの次に作るものをきちんと見定めていないからです。「心を豊かにする」モノ・サービスというのは、大変難しいです。

 なぜなら、「モノ」は作ることはできますが、「心」は作ることができないからです。「心を豊かにする」モノ・サービスは、そのあと誰かの「心を豊かに」しなければ、その目的が達成できません。それは「モノを豊かに」することよりはるかに難しいのです。


《ワンポイントミライ》(

ミライ: おお。今日も熱いですね。でも、また掛け声だけ? 具体的な話は!?

フツクロウ: ホッホッホ。二回連続じゃの。