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目標を持つという護身術
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目標を持つという護身術

2013-06-12 01:15

     若い人ほど参考になるのではないでしょうか。昨日のNHKクローズアップ現代で、80歳エベレストに登頂した三浦雄一郞さんが紹介されました。
     はじめ500メートルの山に登ってみたら、3、4年さぼってメタボで、500メートルの山が登れなかった。メタボのじいさんが、これから一大変身してエベレストに登ったら、こんなおもしろいことはないんじゃないか。
    とエベレスト登頂を目標にトリーニングを再開。そして今回80歳で登るにあたっては、70歳の時に比べて筋力がアップした部分もあったようです。

     途方もない目標を持ったことで、高齢になってもなお身体的に成長できるとは。

     さて、この日々の目標・目的が有効なのは、高齢者だけではありません。いわゆる生き甲斐として老若男女全ての人を支えるものです。目標なしに生きることはとても厄介ですが、目標さえあれば生きるのは随分楽になります。

     しかし目標を持つことは、そんなに簡単なことではありません。なぜ難しいのでしょうか。またどうすれば目標を持てるのでしょうか。

    自分のための目標は難しい。
     目標を考えるうえでまずある大きな落とし穴は、三浦さんのような「エベレストに登りたい」といった「自分のための目標」を持つことは、難しいということです。

     自分の姿は鏡を見ないと見られないように、自分のことを知ることは他人を知ることより困難です。例えば「病気に苦しむ人を救う為に医者になりたい」という目標では、前提となる病気の人はいなくなることはないですから、その部分が揺らぐことはありません。でも、「エベレストに登りたい」といった自分のための目標は、迷いがあるときに「なぜ登りたい?」と自問自答してますますはまってしまうかもしれません。
     60歳を超えて「エベレストに登りたい」などという目標を持ち続けられるのはそれだけで超人です。誰もにできることではありません。
     「目標をもって生きよう」というのは、ぱっと聞くと、自分のための目標を持つ印象がありますが、それはそれなりに難しいことです。自分のための目標を持てる時は、それはごく簡単なことに感じますが、それが出来ないとき、それは突然難問になり、持とうとしてもなかなか持てません。そんな時のために他人を活用しましょう。

    他人のための目標を持つ。
     自分のための目標が見つからない時は、とりあえず自分のことは棚上げにして、他人のための目標を持ちましょう。「病気に苦しむ人を救いたい」といったものです。いわゆる「人のためになりたい」です。なぜ他人のためにならなければとならないと悩んでしまうなら、「自分のために」「人のためになること」を考えましょう。人は目標がなければ生きて行けません。でも自分のための目標は難しいのです。その為に、とりあえず人のためになることを目標にするのです。

    でも現代は他人のためを目標にするのも難しい
     でも、「人のためになること」を目標にすることも、この現在は簡単なことではありません。今生きにくい根本的な問題はここにあります。たとえば、ボランティアで近くの公園の清掃を続けることは、人の役に立っているという実感が持ちやすいですが、若い人がこれで長期間モチベーションを保ち続けることは難しいでしょう。人の役に立つなら「もっと」役に立ちたいと思うことでしょう。もっと大きな役割が必要です。でも、それがなかなかに困難です。

       たとえば「人の役にたっている」という実感を持ちながら仕事をできる恵まれた環境は、現在そんなに多くありません。仕事は高度に細分化されていて顧客の姿が見えにくいこともあれば、顧客からの反応は多くは批判になりがちなこともあります。さらには、その仕事は過去を引きずった、できれば生まれ変わるべき仕事だったりもします。
     しかしいかなる仕事であれ、給料をもらっているからには、誰かの役に立っているはずですから、少なくともきちんと働くことを目標にするだけで、人のためになることを実践していることになります。でも現実は、そう実感できずただお金のために働いていると感じてしまいがちです。 さらには、学校にいる人や働いてない人もいるでしょう。

     そこで、人の役に立つと思うことを実践したり、将来人の役に立つために今は勉強したりするためには、自分がそう信じるものに頼ることになりますが、変化の激しい現在、それが本当に人の役に立つのか心もとないのが現実です。

     今生きにくい根本的な問題はここにあるのです。昔は、人の役割は社会が決めていました。学ぶことやその後するべき仕事や嫁ぐ先は家や社会によって決められました。自分の自由はありませんが、それで社会の役に立つことは保証されていました。それはそれで生き甲斐のある人生だったことでしょう。

     また高度成長期の頃は、自分がどう人の役に立つかはある程度個人が自由に選ぶことが出来ました。物質的に豊かになるという共有された社会の目標があり、したがって「どう誰かを物質的に豊かにするか」の「どう」を選べば自分の目標にすることができました。

     今はそれがとても難しいのです。今我々はどう豊かになりたいか共通の目標がありません。人の役に立つと実感できる行動や勉強を見つけにくいのです。

     あまりに難しいため、みんな自分のために生きるべきと考えがちです。でもそれは人のために生きるよりさらに困難です。
     そのため、大きな目標は持たず、毎日楽しく生きようという考えにもなりますが、それで持続的に生活するのは簡単ではありません。言い換えれば食っていけません。

     現代、目標を持つということは、かくも困難なことなのです。

     さらに、それだけ困難であるにもかかわらず、「目標を持って生きよう」とあたかも簡単なことのように語られることが問題なのです。

    目標を作る方法
     したがって、自分の目標を立てたいけれど、見つからなくて困っている人は、次のステップを踏みましょう。

     自分のための目標は棚上げにする。
     自分のための目標を無理に作り出すのはやめましょう。それはとても難しいことです。
     一方、自分のための目標は出てくる時は、自発的に心の底から勝手に出てきます。理由なんてありません。あるように思えても、それは多分後付けです。

     自分がなんとかしたいと思う問題を大切にする。
     あるいは自分がなんとかしたいと思う問題を見つけることを足元の目標にする。この世は問題だらけです。問題を見つけることは簡単です。でも、その中でもこれだけはなんとかしたいと思えるものを見つけること、それは複数でも構いません、それは大切な最初の目標です。

     それをどのように解決したいか、どのような手法で解決したいかを考える。
     なんとかしたい問題が見つかれば、それをどのように、あるいはどのような手法で解決したいかを考えることが次の目標になります。

     それがIT - 誰でも化 / 共生共創 - 物から心 / 持続 - 循環といったキーワードに沿っているか検討する。
     解決へのアプローチが決まれば、それが具体的な当面の目標になりますが、上で考えたように、そのアプローチが本当に人の役に立つことになるのかは不安です。「病に苦しむ人を救いたい」「そのために医者になりたい」という伝統的なアプローチであれば、不安も少ないですが、今時の問題の多くは伝統的なアプローチでは歯が立たないことが多く(だから問題として残っている)、アプローチも工夫しなければなりません。

     そのアプローチがIT - 誰でも化 / 共生共創 - 物から心 / 持続 - 循環といったキーワードに沿っているか検討しましょう。沿っているようであれば、「今時」のアプローチであり、やれば周りに受け入れられやすく、広がりやすいと考えられますし、ツール・手法も豊富です。なので、行動や勉強のよりどころとする当面の目標にできます。
     行動や勉強をしているうちにその目標はおかしいと思えば、修正しましょう。もともとのなんとかしたい問題は変わりません。少し回り道しましたが、その経験はいつか役に立ちます。
     なんとかしたい問題が入れ替わったとしたら、それにあわせて目標も修正しましょう。世の中問題だらけです。手を付けられるものから付ければいいのです。

    目標を持つことは護身術
     人生目標を持つべきか、持たなくてもよいのかという問題が気になるかもしれませんが、そんなのは哲学者にでも考えてもらえましょう。
     目標があった方が、圧倒的に楽です。今目標を持つことは困難ですが、持てれば楽です。ここで紹介したような機械的なステップを使ってでも、持った方が楽です。持つのは大変ですが、現代を生きる護身術なのです。

    (遅刻してすいませんでした)
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