さて普段とは調子の違う記事を載せる水曜日。水曜日の馬車目線[S馬]として、現代社会頻繁に言われているけど、ちょっと立ち止まって考えてみたいパターンを紹介します。
1年程前に
「イチローチョップスティック」をスルーする力でネットが捗る
という記事で、とある騒動を紹介しました。大リーグで活躍するイチローに対し、野球中継中イチローのバットを「チョップスティック」つまり箸と表現した解説者がいて、視聴者から「差別表現だ」と苦情がたくさん入ったというものです。
しかし日本人から見てこの記事はとても不思議でした。別に差別に聞こえません。日本の掲示板など見てもみんなピンと来ていません。むしろ日本人にとっては箸でハエを捕まえるという逸話があるように褒めてるようにすら聞こえますし、「確かにイチローなら箸で打ちかねん」と思う人も多いでしょう。当のイチローも特にコメントもなかったと思います。
一部のアメリカ人がなにかを慮って、抗議したのでしょうが、イチロー本人には大きな問題ではなかったという、日本人にとっては滑稽なエピソードですが、このような当事者でない人が的外れなことで騒ぐ話は私たちの周りでたくさん起こっています。
それが、 ”イチローチョップスティック”パターンです。的外れに騒いでも誰も得しないので、見かけたらスルーするのが一番です。
また、私たち一人一人も油断するとやってしまいがちです。やってしまいそうになったら、自分の心に気付きましょう。もし、仮にイチローのチョップスティックの話を聞いて腹がたったのなら、それは自分自身がその表現が気に食わないか、あるいはその解説者が嫌いか、そんなところです。イチローの心情を慮(おもんぱか)って憤っていると思うかもしれませんが、それは気のせいです。その思慮は恐らく的外れで、でも自分が気に食わないという感情は本物です。ですから、 ”イチローチョップスティック”しそうになったら、そうではなく、「あの解説者がイチローのバットをチョップスティックというのは腹が立つ」と正面から腹を立てればいいだけです。
この”イチローチョップスティック”は、未来が大切にする共生・共創の天敵です。相手をあるがままに受け入れるのでなく、相手不在で的外れなところで理解や議論が進むからです。そのような議論を見た時にたとえ発言しなくても、心の中でああだこうだと議論に巻き込まれてしまっては大きな損害です。敏感に察知して、”イチローチョップスティック”だと気付いたら、即スルーして巻き込まれないようにしなければなりません。
ということで、最近見かけた”イチローチョップスティック”。