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(続きはこちら: あなたの創造性を阻害する人生の枠を外すには )
先日日本人はクリエイティブという記事を見て、そうそうその通りなんだよと力説したくなりました。
世界中で「クリエイティブだ」と思われているのに、自信のない国ニッポン
最近、クリエイティビティにまつわる狂気に関する記事をみかけます。
じぶんのなかに狂気をちゃんと飼っておく
【赤ちゃんにやさしい国へ】クレイジーなひとりの女性が、日本の育児を変えていく。〜子育てシェア・アズママ取材〜
確かに独創的な取り組みを行うには、狂気のようなものは大切です。でも、コントロールが困難な荒れ狂う狂気が必要な人はまれで、普通は「狂気(養殖)」くらいを飼いならしておけば十分で、そのことも紹介したいと思っています。
しかし、これらの話を紹介する前に、まず紹介しなければならないことを今回は取り上げようと思います。
それは、人のクリエイティビティを阻害するもっとも大きな壁についてです。
それは自分が自分にはめた人生の枠です。豊かな発想のために発想の枠を取り払おうと言われたりしますが、その発想の枠は人生の枠が作り出していて、まずその人生の枠をなんとかしなくてはなりません。
以前東京の大学で大学と企業間の産学連携の支援をしていましたので、様々な企業のたくさん方とお話しました。特に年齢の近い人であれば、ブレストっぽい会話に発展しますが、そこで私は繰り返しある体験をしました。
それは、特に大企業の人に顕著ですが、発想に大きな制限があることです。互いの会話で発想が進むとき、その企業にとって好ましくなさそうなアイデアが出そうになると、発想そのものが停止して行くのです。最初のうちは私を警戒して、口にするのを避けてるだけかと思っていたのですが、どうやら思考そのものが停止し、顔は表情を失い、言葉はうつろになっていくのです。
つまり、あるアイデアを思いついたとしても、たとえば、それを社内で発表してもどうせ通りっこないと明白であれば、そもそもそのアイデアを思いつかないようにみずから思考に制限をかけてしまうのです。あるいは企業の存在意義に関わるようなちゃぶ台ひっくり返しなアイデアも含まれます。
心の中で考えたり思いついたりすることは止めることはできないと思われています。たとえば、幼い息子がバナナの皮よろしく、床の紙を踏んですてんと転んだら、本人ギャン泣きで「笑っちゃダメだ、笑っちゃダメだ」と思って笑いを堪えても、心の中では大爆笑するように。
でもそんなことはありません。ある発想が、自分の大企業の中での存在を不安定させるとか自分の人生に重大な恐れが生じる場合には、人間はその発想を決してしないように自らの脳に制限をかけるのです。
ですから、議論の中で、ある課題を共有し、問題点をあぶり出していくうちは、目もいきいきとし、話は弾むのですが、次のステップでいざ具体的な解決法を考え始め、もし行ってはまずい方向に発想が向き始めると、即座に目はうつろになり、表情は失せ、言葉は相づち程度に減ってしまいます。
思考を停止させてしまうのです。まるで、ロボコッブが自社の役員に立ち向かおうとした瞬間に制限プログラムによって動けなくなるのを見るようです。しかし、違うのはその制限プログラムを自ら設定してしまうことです。
子供が成長するにつれ、創造力を失っていくのも同じです。大人が子供の創造力を奪っていることを表すために、子供の背中に生えた翼を大人がもいでいる絵が象徴的に描かれますが、実際は違います。大人に取って迷惑なアイデアで親が嫌がったり非難するのを見て、子供は自分の翼に生えた羽根を一本一本自分で抜いていくのです。
これがあなたの創造力を阻む壁です。親に嫌がられないように自分の創造性を封印していく子供のように、自分に都合の悪いことが起こらないように、自らの発想を制限をかける壁があるのです。
もし、この壁さえなければ、
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