本日は予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第3回です。今回のテーマは「幸福論」。予防医学という科学的アプローチは、「幸福」という抽象的・哲学的な概念にどこまで迫っているのか。その最新の動向について解説します。
石川善樹『〈思想〉としての予防医学』前回までの連載はこちらのリンクから。
前回、予防医学の観点から「がん検診」をめぐる人間の確率的な判断の問題を話しました。
おさらいしましょう。
アメリカでは乳がんの検診で本当にメリットがあるのは、せいぜい1000人に0.3~3.2人程度で、かなりの数の人はむしろ必要がないのに乳房を切除している現実があります(注:アメリカのデータなので、日本は別です)。例えば、ある人が「乳がん」の診断を受けたとしましょう。でも、そう診断されても、実際には11人に1人程度しか本当に治療する必要はないのです。手術をした場合には、残りの10人は必要もないのに、乳房を失う可能性があるのです。
果たして、その人は手術をしない選択肢を取れるのでしょうか。
――やはり、多くの人は乳がんの手術を受けてしまうでしょう。
注意したいのは、ここまでの人間の意志に伴う問題とは切り離す必要があることです。肥満が、友達の友達の友達からの「太る習慣」の隠れた影響を受けているだとか、あるいは一種の中毒症状から喫煙行動をやめられなかったりするだとかという話とは違うのです。むしろ確率論的には一見して非合理に見えるような判断であると納得した上でも、やはり人間はそういう「意志決定」をしてしまうという話です。
そして、ここに現代の予防医学において「過剰診断・過剰治療」が横行する原因があるのです。
1.人間ドックは本当にメリットがあるのか?
もう一つ、例を出したいと思います。
日本では、多くの人が一年に一度「人間ドック」に入ることが提唱されています。これは、「病気は早期発見・早期治療によって改善することが多い」という考えにもとづくものです。合理的な考え方であり、人間ドックの「光」の側面をよく示しています。しかし、人間ドックには「影」の側面もあります。それは「病気が早期発見・早期治療されることで、過剰診断・過剰治療が横行する」ということです。
人間ドックでは問題が見つかり次第、その病気の治療が開始します。しかし、実際には治療という行為は、人間の体に良い影響をもたらすものばかりではありません。
例えば、がんの放射線治療がそうです。
もちろん、人間ドックで診断される病気の中でも、乳がん・子宮がん・大腸がん・胃がんなどは、(乳がんのように、過剰診断がかなりの確率で起こるにせよ)やはり実際にがんであった場合には早期発見・早期治療が功を奏します。ところが、前立腺がんなどは、実はしっかりと効果が検証された治療が確立していないのです。
そういう状況でがん治療を行うのは、身体に多大なストレスを与えることになります。ある程度は働ける状態で死ぬまでの3年間を過ごせたはずの人が、特に治療が確立しているわけでもないのに放射線治療を受けたがために、苦しみながら3年間を過ごしてしまうこともあるのです。
治療という身体を苦しめる行為をするにあたって、それが本当にベネフィットがあるのか?――を本来であればもっと考えてもいいはずなのです。
前立腺がんについては、現状の医療技術で治療するよりも、放置したほうが苦しまずに済む可能性が高いという現実があります。治療のベネフィットに対して、デメリットがあまりに大きいと言えるでしょう。同様の問題は、脳ドックなどにも指摘されています。こちらに至っては、むしろ治療を受けた人の死期が有意に早まっているというケースさえ報告されています。
2.人間ドックのヘルスサーティフィケイト
とすれば、人間ドックは受けないほうがいいのでしょうか。
私は予防医学の研究者ですから、こういうときには予防医学の大原則に立ち返ります。予防医学の大きな目的は、
第一回で述べたような意味での「健康」を人々が維持することです。その意味で、「過剰診断・過剰治療」の可能性がある人間ドックというものは、個人が自分の意志で受けるのは自由だとしても、社会のあらゆる人間が受けるべきものだとは思いません。
むしろ私としては、第一回でも述べたように、結局のところ人間の健康を大きく左右するのは「生活習慣」であり、よほどそういう日々の心がけの方が大事なのだということを改めて強調したいくらいです。ところが、この観点でも、本当に人間ドックがどれほどメリットがあるのか、怪しい部分はあります。
例えば、喫煙者が人間ドックに入って「肺がんの疑いはない」と聞いたせいで、大喜びで「やっぱり大丈夫だ」と喫煙の習慣を維持していることがあります。実際には、喫煙は統計的にも明らかに肺がんの確率を高めるものですから、どんなに今は大丈夫だと診断されようと、健康のリスクを高める行為なのは疑いないのです。これは専門的には「ヘルスサーティフィケイト(健康保証効果)」と言われるもので、診断で問題がないと判明したために、患者がかえって「不健康な生活を続けてよさそうだ」と考えてしまう状態です。
結局のところ、人類は必ずしも正確に診断できるほど病気をわかっていません。せいぜい「この程度の確率であなたはこの病気の疑いがある」と言えるだけに過ぎません。また、仮にその診断結果が正しかったとしても、それを人間が正しく解釈するのもやはり期待できません。そういう現実がある中で、私たちはどう振る舞うべきなのかを考える必要があるのです。
その点で、通常の医療は「病気を治療して元に戻す」ことが目的ですから、たとえ過剰治療であっても、出来る限りの手段で病気に対処するのが正解になるでしょう。
しかし、予防医学の考え方は違います。我々の目的は「健康」な状態をなるべく長く維持することであり、それは心の健康まで含めたものです。例えば前立腺がんであれば、現代医療の限界を見据えて患者のQOLを目指すことを重視して、がん治療を受けずにおく選択肢もまた成立しうるのです。
そして、この二つの考え方は、現実の治療の場面において、結構簡単にぶつかってしまうのです。
3.孤独は人間を不幸にする
こういう問題を考えていくと、人間の「健康」を考える際には、やはり精神的な側面の考察も必要であるとわかります。
それは、予防医学が考える「幸福」とは何か、という問いそのものとも言えるでしょう。というのも、やはり「幸福」という言葉には、精神的に完全に満たされた状態を示すニュアンスが含まれるからです。
この「幸福」については、一つ予防医学が発見した面白い研究結果があります。
それは、友達の数が多い人ほど自分を「幸福である」と答える人が多く、孤独な人間ほどその逆であったというものです。しかも、その研究によれば人間関係の質はあまり重要ではなくて、単に人間関係の量――すなわち周囲の人間との「繋がり」の数が、とにかく彼らの「幸福度」に強く相関していたのです。
これは、ある意味では意外な結果です。よくTwitterやFacebookなどのソーシャルメディアに対して言われるように「繋がっている人の数が多くなると、人間関係が煩わしくなる」という考え方もあるからです。
しかし、この研究結果には、理論的な背景があります。
それは、ハッピーな感情はアンハッピーな感情よりも周囲の人間への伝染力が高いという事実です。たとえあなたの周囲に不幸な感情を撒き散らす人がいたとしても、その影響はないことはないにしても限定的です。しかし、あなたの周囲で起きた幸福な感情は、不幸な感情よりも強く伝わるのです。
とすれば、ネットワーク科学の観点から言えば、とにかく周囲に人を集めれば集めるほど、幸福な感情が自分のもとに伝播してくる確率は高まるわけです。実際、うつ病の抑止は、やはり友だちが多い人のほうが起きやすいという研究結果もあります。
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