第135号 2015.6.2発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、小林よしのりに関するWikipediaページを徹底添削「よしりんウィキ直し!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…作家・明治学院大学教授の高橋源一郎が自民党の「改憲マンガ」や「嫌韓マンガ」を批判している。しかし高橋の主張には、漫画文化に対する偏見が潜んでいる。「作家の主張」が込められた作品は悪なのか?主観で描かれるのは「幼稚」なのか?さらに沖縄も「弱者」認定する高橋に徹底反論!沖縄県民は「絶対的被害者」で「善人」なのか?「偏見」を抱き「差別」しているのは誰なのか、真実を見極めよ!!
※「ザ・神様!」…大好評!前回に引き続き特別編・もくれん風『中国びっくり取材紀行』をお届け!“東洋のベニス”蘇州でうっとりしながら夜を過ごす一行の前に、ヤバイおばあさん現る!!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!ギャグ漫画家の自分が保守を自称するという事について、どう思っている?スーパーの鮮魚コーナーで、パック詰めされている刺身に抱く切ない気持ち…?アメリカとの戦争に突入した戦前の日本は、十分な備えをしていたのか?日本人は戦争に向かない民族?スージョ、プ女子、カープ女子、オリ姫、ウマジョ等々の出現をどう思う?ダウンタウンの松ちゃんは自主防衛論者!?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第131回「漫画・沖縄、弱者認定の落とし穴」
2. しゃべらせてクリ!・第95回「のどかにうつらうつらの昼下がりぶぁい!の巻〈後編〉」
3. もくれんの「ザ・神様!」・第58回「もくれんの『中国びっくり取材紀行』・その3」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 読者から寄せられた感想・ご要望など
7. 編集後記
第131回「漫画・沖縄、弱者認定の落とし穴」 5月28日の朝日新聞「論壇時評」で、作家・明治学院大学教授の高橋源一郎が自民党の「改憲マンガ」や「嫌韓マンガ」を批判している。
わしは問題の「改憲マンガ」も「嫌韓マンガ」も読んでいないが、それらのマンガに「作家の主観がない」ことを知っている。「改憲マンガ」は自民党の改憲政策のCMだし、「嫌韓マンガ」は2チャンネルの匿名の嫌韓情報の絵解きマンガである。
高橋はこれらのマンガを批判するとき、どうやら暗に『ゴーマニズム宣言』も射程に入れてるようなので、彼のマンガ文化に対する偏見を指摘しておかねばならない。
高橋はこう書くのだ。
マンガは、素晴らしい表現力を持つ文化だ。なのに、これらの作品は、マンガの幼稚な部分ばかりを強調する(たとえば、善人はいい人っぽく、悪人は悪い人っぽく描く、とかね)。マンガへの愛も尊敬も感じられない。そこでは、マンガは、作者の主張(その主張が何であろうと)のために用いられる単なる手段、いや作家の横暴に反抗できない奴隷のようなものにすぎない。何かを奴隷にして苦痛を感じない人間は、他のなにかを奴隷のように扱うことにも無頓着になるんじゃないかって、ぼくには思えるんだ。
何とも気色の悪い文章だ。それは、64歳にもなって新聞で「…、とかね」だの「…って、ぼくには思えるんだ」だのと、カワイコぶった言い回しをしているせいだけではない。
高橋は明らかに、漫画に対して特別な偏見を持っている。「マンガは、素晴らしい表現力を持つ文化だ」と持ち上げられてもわしは特に嬉しくはない。映画でも、小説でも、音楽でも、素晴らしい表現力を持つ文化であって、漫画が特別というわけではない。
漫画に限って持ち上げるのは、漫画は相変わらず一段低級な文化のはずだと、高橋自身が思い込んでいる表われだろう。漫画を少数者・弱者の括りに入れ、勝手に美化しているのだ。
サヨク傾向の知識人が、「アイヌは、素晴らしい文明を持つ民族だ」というのと同じ感覚である。
そして、「虐げられているアイヌ民族」を捏造して「弱者の味方」になろうとする連中と同様に、高橋も「虐げられている漫画文化」をかばう「弱者の味方」を気どっているのである。どうしてもサヨクにはこのように、「弱者」に対して特別な偏見を持つ習性があるのだ。
全てのジャンルの文化には、良質から悪質まで、ピンからキリまである。漫画には幼児性愛マンガだってあるし、映画にはピンク映画もあるし、小説には官能小説だってあるし、低級と思われるそれらの作品群の中でも良質と悪質があるかもしれない。
文章ならばどう書き、どう読んでもいいが、漫画というものは愛を持って描いて、愛を持って読まなければならないものだなんていう感覚は、完全に差別である。
善人はいい人っぽく、悪人は悪い人っぽく描くというのは、『ゴーマニズム宣言』に反感を持つ者らから、耳にタコができるほど毎度毎度言われていることだが、わしはそれを「漫画の幼稚な部分」とは思わない。
コメント
コメントを書く今回のゴー宣を読んで、最近読み返した『差別論』(文庫本)の207頁の投稿文を思い出しました(「自分は反差別だ」と聞いてもないのに表明し始め、実は対象を利用して正義の味方ぶりたいだけの無自覚な差別者の話と、無知であるためにこれまた無自覚に差別心を露呈させてしまう人の話です)。
以前からネトウヨと反対の立場のはずの人たちが無自覚に差別をしているという点がずっと気になっていました。そういう「勝手に弱者認定して悦に入る差別」(こういうのを逆差別と言うのでしょうか?)を考えるきっかけとして、今回のゴー宣は大変わかりやすかったです。「漫画」や「沖縄」を別のことに置き換えるといろいろと見えてくるものがあります。
現在のゴー宣では皇位継承問題に関連して、男尊女卑という差別にどう対処するかも重要なテーマだと思います。今も議会で汚いヤジを飛ばしたり、時代にそぐわない専業主婦を強引に推奨しようとしたり、男系固執派が女性差別の表出として女性宮家に反対したりしているという件がありますが、それらに反対するあまり「女性」を無条件かつ過剰に持ち上げ、本当にフラットに問題を解決しようとする中で邪魔になるようなことはしたくないなと思いました。また、自分の中の男尊女卑感覚を警戒するあまり女性を逆差別していないかと不安に陥り、結果として何も言えなくなってしまうということにもなりかねないと思います。そうして傍観者になってしまったら、「今の日本人の無関心が悪い」などと言う資格もなくなります。
なので今回のゴー宣で提示されたことも、「サヨクはどうしようもないな」などと切り捨てず、自分に引きつけて考えていきたいです。そうやって物事の本質を押さえておけば、いろいろな差別の問題にも臆さず思考を進めていけるように思いますし、ひいては現場で生かすことができるんじゃないかと思っています。
ゴー宣を読みました。
自分を“良い人”にする為に、弱者の見方をする。結局、自分の事しか考えていないのでしょうね。私的な都合、主観しかない。やはりバランス感覚は大切ですよね。0か100か、善か悪か、弱者か強者かではなく。
自分が良い人になるかどうかは、結果であって目的ではないですよね。その結果だけが大切だから、本当は、弱者かどうかなど、どうでも良いのでしょうね。弱者が存在して欲しいとさえ思っているのかも知れませんね。
木蘭先生の『中国びっくりどっきり滞在記』またまたサイコーに面白かったです。後半は、ホラー映画を彷彿とさせる展開でしたね。鎌で首を駆っ切る殺人ばあさん。やっぱ中国恐え。やっぱ中国絶対行きたくねえ。
中国共産党は、質の良い監督にホラー映画を撮らせたらどうなんだろう。プロパガンダにならないか。
オープンカフェでコーヒーを飲もうとする木蘭さんに、『大丈夫なのか!?』と思って読んでいたら、やっぱり…。旅行中の食べ物も大丈夫だったのでしょうか?
冒頭の、『もっとでっかい字で、まだまだ数行くり返したっていいんだぞ。』は爆笑でした。その後の、スローガンの言葉を織りまぜての皮肉を込めた文章も面白かったです。
鋭い木蘭先生の感性で見た中国、これから先も非常に楽しみです。
中華料理を産み出した程の支那の文化、今の王朝では発達しなそうですね。
AKB総選挙では、高橋みなみの『矛盾との戦いが人生』との言葉にドエラく感動しました。
さや姉、まゆゆの、何処かふっ切れた感じのスピーチには安心しました。
北原里英、最近どんどん可愛くなって来て、また安定感もバツグンで、NGT、期待出来ますね!
( ・∇・)
NMBの子達を初め、他のグループの中にも、小林先生のブログで救われた子は、きっと多いのでしょうね。
配信お疲れ様です。マンガだけでなく、ドラマや映画でも●●が脚本だからダメだとか決め付ける人がいますね、弱者の味方をするふりをして、自己過信に陥り、頭をカルトにしてしまう人は後を絶ちません
私は悪でもいい面があることを描いたほうがいいと思ってましたが、あまり『情』でベタベタしすぎると、陳腐なものになるということですね、また一つ勉強になりました。
よく頭山がお秀さんと乳繰り合っている姿が描かれてて、『頭山はこんなことはしていない』とか『こんなことは言ってない』と文句つける人は、想像力を働かせず、カルトに閉じこもっているからなのでしょう。
事実は当事者にしかわからない・・だが、大東亜論、戦争論、ゴー宣という漫画に描かれたキャラクターたちや、作者である先生の息吹を感じ取るのが、我々読者の務めだと思います。
「善人はいい人っぽく、悪人は悪い人っぽく描く」
これって変なことでしょうか?
書かれているように、漫画でも小説でも面白いものは全てではないでしょうけど、むしろこの手法がうまく使われていると思います。
高橋源一郎氏は作家ですよね?
これを悪口のように使ってしまうのが作家として大丈夫かな?と思いました。
高橋氏の本は全く読んだことが無いのでその部分を批判することは避けますが。。。
弱者ハラスメントって言葉、ありそうです。
弱いと思われている立場から、弱いということを嵩にかけ、自分は弱いんだ、だから自分をいじめる奴は最低だ!
と逆にいじめる。
それに便乗するのがサヨクでしょうか。
SAPIOの大東亜論読ませていただきました。
自分は大久保のことはやはり西郷と並ぶ傑物だと思います。だからあのような俗物のように描かれると受け入れるのは抵抗があります。
明治の改革は留守政府だけで行われたかのようですが、それら改革は使節派遣以前から政府内で示されていた方針を実行したのではありませんか?
正直、西郷や頭山を正義として描くのはわかりますが、敵対する側にも正義があるという描き方が良かったです。
大久保が今の日本を見たら
「うんうん、俺のやり方を受け継いでよく日本を守っているな。」
なんて思うでしょうか?そんなことはないと思います。
とはいえ、批判するなというわけではありません。
自分が大久保を批判するならやはり江藤新平(自身が大河ドラマで見たいぐらい好きな人)に対する処遇は非道であると言わざるをえません。
まあ、自分なりにその時の大久保の心情を予測するなら、司馬遼太郎の「燃えよ剣」で土方歳三が自身の作品である新撰組をメチャクチャにしてくれた伊東甲子太郎にたいする感情といったところでしょうか(土方は伊東を闇討ちし遺体を囮にするという武士として有るまじきことをした)。
しかし、ネット内の西郷はいくらでも批判バカにしても良いが大久保の批判は許さない!という風潮も気に入りません。
今回は先生の大久保観の批判をさせていただきました。失礼しました。
柴犬ですまん・・・
ブログ読みました
『柴犬』見付けたとき
「シバケンだ――――っ!」でしたか?
それとも
「シバイヌだ――――っ!」でしたか?
どっち叫んだんたろう
やはり、感想を書かないとおさまりが悪いので、次号配信ぎりぎりでも
、元気が無くても、少しでも感想書きます。
うーん。「ゴー宣」に関しては難しかったので、次回Q&Aで質問しよ
うかなと思ってます。
ただ、高橋源一郎は、今月号のSAPIOから、連載が始まったではないで
すか(^^;) 先が思いやられますが。
「しゃべクリ」で一番ハマったのは、「新聞を読んでもムカムカしまし
ぇんが、ウトウトしましゅ。」でした(笑)。よしりん関係の流行語を
巧みにネタに入れるセンスをいつも尊敬してます。
「なんかよくわからんけど支持するって人を「B層」と言うそうでしゅ
が、その「B」って、「売国奴」のBだったんでしゅか?」というのも
ツボりました(笑)。コレ使おう(笑)。
あとmemetaa2さんの前号の「ゴー宣」の感想とみなぼん編集長の返信が
とても共感しました。安倍自民は、企業しか見ていない。国民全体を見
ていない。国益とか女性の活躍とか平和安全とか、言葉を言ってはいて
も、虚しい建前ばかり。富裕層総理と名付けたい。
沖縄で美味しいものが食べられたようで、良かったです。みなぼん編集
長、グッジョブです。