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警視庁 IT特別捜査官(上) 容疑者確保
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警視庁 IT特別捜査官(上) 容疑者確保

2014-09-03 12:55

    「死んだ人間のこと、悪く言うやつはいないよ」

    「それは・・・・・確かにそうだけど」

    ついつい美琴の同性の関係者の中に、嫌疑者を探す思考になっている。丸一日一緒に捜査したが、事件に対する薫の視点の方向性は金城とはまったく違うことをつい忘れて話してしまう。

    「でもあの満冨って子も、少し変なことわたしに聞いたでしょ?」

    「ああ、どうやって死んだかって? 野次馬根性だよ、あれはたぶん。まあ、確かに、ちょっとずれた感じの子だったよな」

    散弾銃?

    そう聞いたときの悠里の顔が思い浮かぶ。薫の答えに、彼女は満足しなかったのだろう。

    そうじゃなくて。

    あの焦れったげな顔は、薫が彼女の質問の意図をまったく理解していなかったと言うことに対しての不満をはっきりと表していた。薫からどんな情報を得ようとしたのか。それにあの後。野上若菜や他の同級生たちと、あれからどんな相談をしたのだろう。確かに、彼女たちが、なにかを隠していることはまず間違いない。

    でも。

    美琴の人間関係図の中に、いまだマキだけが出てこない。マキとはいったい何者なのだ。美琴の話しかけ方のニュアンスからして同級生の女の子の名前のイメージが薫には強いが、もしかしたら苗字と言うことも考えられる。そうなると男か女かも分からなくなる。マキという人物は美琴のなんなのだろう。現在、もしくは過去のクラスメート? または恋人? それとも愛人?・・・・・・あらゆる可能性が考えられるし、すべての可能性が追及されえない。薫が調べない限り、このままだと永久に追及されないまま、消えていくだろう。情報のくずかごの中に放擲されて。

    薫の中の美琴の記憶だって、このまま風化しそうにない。これから捜査が、万が一間違った方向に進んでいったとしたならば、それこそ、この仕事を続ける限り永久に解けない枷になるだろう。

    (・・・・・今、やらないと)

    二人はそれからわけもなく無言になり、やがて小さな渋滞に捕まった。折りよく、薫の方の携帯電話が鳴った。

    「本部か?」

    連絡は簡潔だった。現状を報告し、薫はすぐに電話を切る。

    「ええ、今日遺体が到着したから、父親の帰国を待って仮通夜やって・・・・・葬式の見張りは交代で出ろって」

    「変質者なら、被害者の葬儀に顔を出さないとも限らないしな」

    「そうね」

    同乗の薫を慮って煙草が吸えないことがよほど堪えるのか、目を細めた金城は中指でしきりにハンドルをかりかり掻きながら、独り言のように、つぶやいた。

    「・・・・・・預かった写真とか成績表とか、葬式のとき、親御さんに返さないとな」

     

    深夜、自宅に戻った薫は、寝酒も飲まず気晴らしのテレビも点けずに、デスクに座り込んで捜査資料と格闘していた。今夜だけと言う約束で賃借した明日返す美琴の資料のすべてを、金城から預かったのだ。

    事件発生から日数が経つが、身元が割れた時点で彼女の関係者のあらましは大方洗い出しが終わっている。薫たち以外の別の班も動いて、現在から過去にいたる、学校内外に及ぶ、主要な関係者はあらかた調べつくされていた。

    もちろんまだ鋭意、関係者への聞き込みは進める方針だが、日常的に彼女と関係の深い人間たちよりも、ネット上のみで知り合った関係希薄な関係者の洗い出しに捜査の主眼は向けられてきていると言ってもいい。

    マスコミ各誌も、この猟奇的な女子高生拉致殺害事件を学校サイトかそれに類する裏サイトのトラブル、または出会い系サイトによる痴情のもつれや変質者のストーカー的犯行と位置づけて、見出しや特集を絞り始めている。

    それ以下は論外と言っていい、デマ情報の嵐である。

    彼女の父親が一流国際企業の重役と言うことで、例えば家庭は崩壊寸前で娘は出会い系サイトを使って援助交際をしていたとか、学校では二年で突然生徒会長になり、女王様のように威張っていていじめられても誰も文句を言えなかったとか、ネットの掲示板の掃き溜めに落ちていたような裏づけの薄い情報が週刊誌を通してそろそろ表の世界にも出ようとしている。いずれも興味本位の噂と憶測、悪意の作り話であり、捜査の参考になりそうな情報はまったく得られなかった。

    しかし、それにしても玉石織り交ぜた嶋野美琴に関する情報の、そのどこにも、まだ、「マキ」の名前は浮上していないのだ。

    (・・・・・・覚悟を決めよう)

    薫の中にいる美琴が、唯一の手がかりだと言うように、マキの名前を告げ続けている。悪夢はいまだ、断片的なイメージのフラッシュバックの形をとって、薫を揺さぶり続けている。

    (とにかくその名前を捜そう。それでもしその名前に引っかかるものがなければ、一応のふんぎりはつくはずだ)

    とは言ったものの、「マキ」はそれほど珍しい名前ではない。確かにありふれた、とは言わないが、まったく聞いたことのないと言う名前でもない。薫も、これまでの人生を振り返れば、マキと言う名前の同級生が、少し考えただけですぐに二人は思い当たった。

    嶋野美琴のクラス名簿の中に女の子の名前で二人、苗字なら学年で男と女一人ずつ、マキがいる。もともとがその誰もが嶋野美琴と接点がなく、捜査線上に浮上してこなかった名前ばかりだ。

    (ひとつひとつ、洗ってみるしか手はないのね)

    なにもかも正直に話せば、金城も手伝ってくれるだろうか。なにより、それは難しいだろう。もともと二人とも、捜査の割り当てから外れることなど出来はしないのだ。仕事の合間を縫って、独自にやるとしても確証がなければ、金城が薫にどれほど気があってお人よしでも、話に乗ってきてはくれるわけがない。

    何でも構わないから、なにか糸口になるようなものが欲しい。それがあれば。金城も分かってくれるだろうし、上司にも掛け合える。

    (そこまで行くのには、やっぱり一人でやるしかなさそう)

    まずは地道に、薫は学校関係者だけで六人いた「マキ」のプロフィールを書き写した。なるべく美琴と接触の度合いが高かったと思われる人物から、あたってみることにしよう。望み薄だが、納得したことで悪夢が治まるようになれば、それはそれで仕事に集中しなおせる。

    「・・・・・・そうだ」

    とりあえず美琴が公開しているブログを、薫はチェックしてみることにした。マキと言う名前に注意して読めば、なにか新たな手がかりが見つかるかもしれない。

    パソコンが立ち上がる間、空腹に気づいて、薫は冷蔵庫にビールを取りに返した。ドアを開けて、うかつな自分にがっかりする。買い物をしていないので、中はほとんど空っぽだ。特に予定はないが、これでは誰も家に呼べないところだった。

    今、満足なものはコーヒーに食パンくらい。考えた末、からしマヨネーズで合えた胡瓜の薄切りとハムのホットサンドウィッチに、冷凍庫に残っていたハワイコナのコーヒーを淹れて、つま先歩きでパソコンの前に戻ってくる。

    軽く焼いたパンを口に入れながら、満冨悠里から聞き出した、美琴のブログを検索する。

    まだ眠くはないが、濃い目のコーヒーをひとくち飲む。深煎りのコーヒーは丁寧にドリップしたとは言え、燻した古木のようにかび臭い。粉になるほど細かく挽いてあるせいもあるが、この風味は明らかに冷凍焼けを起こしている。しょっちゅうハワイに行く旅行会社の友達に、お土産にこのコーヒーのパックをもらったのは、確か半年以上前もだったことを思い出した。

    「んん?・・・・・・・」

    マウスを操りながら、薫は眉をひそめた。

    「・・・・・ない・・・・・」

    美琴のブログがどこにも見つからないのだ。影も形もない。封鎖された履歴すら、見当たらなかった。薫は考えうる限り、検索を試してみた。

    (誰かが、急遽封鎖したのかな)

    事件の注目度を考えると、突然の削除はありうることだが。

    無論、本人ではありえない。

    (でも・・・・・・じゃあ誰が?)

    HPや掲示板なども、美琴は運営していると聞いた。それらも試してみるが、つながらない。そのことごとくが、検索不能なのだ。まるで初めから、そんなものは存在していなかったかのように。

    普通こう言うものは、認証パスワードを知らなければいじることは出来ないはずだが。

    薫は自分の直感に打たれ、思わず、はっとした。

    (満冨悠里・・・・・あの子が?)

    そうだとしてなぜ、そんなことを。

    満冨悠里と野上若菜は、なにかを隠している。このことはすでに分かっている。「マキ」のことか。そうとは限らないにしても、もしかしたら、美琴はネット上にすでに、手がかりを残していたかもしれない。彼女たちが相談して、あわててそれを隠した。

    警察は押収した美琴のパソコンは調べたが、ネット上の情報についてはまだ全部を把握しているとは言いがたい。彼女たちに先手を打たれたとすれば、これは厄介なことになる。

    だがもし、「マキ」が糸口になれば、彼女たちを調べるための決定的な切り札になりえるだろう。さらに、「マキ」の正体が具体化してくれば、金城を動かすことはおろか、捜査を打開する有力な材料にすらなりうるのだ。

     

    公安の真田

    「おい薫、こっち」

    出動前のどんよりとした眠気を胃もたれのする缶コーヒーで紛らわせていると、金城が呼んでくる。手ぶり荒く、珍しくひどく不機嫌な顔をしているのが、徹夜明けの薫の気にも障った。

    「なに?」

    薫は、わざと物憂そうに立ち上がった。なにか文句をつけてくるのかとすら思った。薫が近くに来ると金城は、しょげたいたずら坊主みたいに下に口を尖らせて、

    「午前中、一時交代だって」

    え? きょとんとして薫は聞き返した。

    「あなたが?」

    「・・・・お前だよ」

    不満そうに金城は中にあごをしゃくり、

    「公安のやつが、お前に話があるらしい」

    「どうして?」

    「知るかよ」

    (公安?)

    まったく、予想外の横槍だった。公安などに用事はないし、関わりたくもない。日本の警察機構において刑事部と公安部は元来そう言う関係だし、薫にしてみれば今は特にだ。

    「待ってんだよ。例の・・・・・ほら、真田ってやつが」

    「真田さんが?」

    びっくりしただけの薫の声音がぱっと明るくなったように、金城には聞こえたのだろう。不完全燃焼の風呂釜のような、鬱屈した気分を金城は腹に飲み込んで、

    「お前をご指名だと。早く行けよ」

    と、言い捨ててさっさと行ってしまった。

    だから、不機嫌だったのだ。そういうところ、時々金城は、本当に、子どもっぽい。

    (でも、いったい何の用だ?)

    思い当たるふしはない。薫は、怪訝そうに首を傾げた。

     

    真田俊樹(さなだとしき)のことは、よく知っていた。公安に関わった人間で、彼の名前を知らないものはそうはいない。外国人グループの組織犯罪の捜査では、知る人ぞ知る実力者だ。噂ばかりではなく、薫は直接、真田の辣腕を実際に見て知っていた。

    真田はいわゆる、天才肌の捜査員だ。どこまでも人を追い詰めていく、この仕事が天職なのかもしれない。捜査員としてのカンや、追跡力、人間の迫力や凄みなどからしても、真田に及ぶ人間は、薫の周りにもそうはいないと思われた。捜査課の刑事になりたての頃は薫も、組織の違う人間ながら、重要な示唆をもらったものだ。

    真田は資料室にいた。出勤した薫が空き時間に、秘密で調べ物をするために漁っていた資料が散在していた場所だ。薫が入ってきたことにはなんのリアクションも示さずに、真田は彼女が置きっぱなしにした資料を熱心に読みこなしていた。

    「・・・・・あ、あの」

    私物のある部屋に、捜索令状もなしにいきなり踏み込まれたような、気まずい気分を感じながら、薫は声をかけた。真田は、細い銀縁の眼鏡の下の薄く切れ上がった一重で、入り口にたたずむ彼女の姿をじろりと見た。

    公安の人間は極めつけのエリートが多い。真田も薫とそれほど年齢は変わらないはずだが、アメリカの大学を卒業後、一種で警察に入ったいわゆるキャリアのはずだ。

    警察トップと言うのは、犯人逮捕の体力よりも、ペーパーテストの成績がどうしても重視される傾向にあるため、押し出しの弱い文官タイプが多いが、真田は違う。

    一八五センチの長身は一見痩せてはいるが、薄くしなやかな筋肉でほどよく覆われている。低重心で柔道体型の金城とは種類は違うが、芯の強い鍛えこまれた強靭さを感じさせる。

    だがいかにもスマートなスポーツマン的な体格よりも着目すべきなのは、そのたたずまいに備わった得体の知れない迫力だ。真田には、どこか殺気に似た、初見の人を一歩退かせるような凄みがある。公安の捜査員として、捜査をする相手に本能的な恐怖を感じさせるほどの人間的な迫力は重要な資質かも知れないが、ともすれば人格の暗さとも表現できる印象の鋭さは、真田の生い立ちとか、もっと個人的な部分から出ているように思われた。

    「すみません」

    と、薫は次に相手がなにか言う前に、畳み掛けるように言葉を継いだ。急いで机の上の資料を片付けようと手を伸ばす。真田が持っている捜査資料も奪いとりたかったが、どさくさに紛れても、そこまではさすがに出来なかった。

    「例の事件の?」

    真田は薫の行動を目で制して、聞いた。不承不承、薫は肯いて、

    「被害者の資料です。・・・・・・今日の夜、式場でお葬式があるので、そのとき、ご遺族の方にお返ししようと思って」

    念のため最後にもう一度見ているのだ、とまでは言い訳が続かなかった。

    「本当に、いい子だったんだな」

    「ええ、学校での人間関係は悪くなかったみたいです」

    「親御さんも自慢の娘ってやつだ」

    真田は皮肉まじりのため息で肩をすくめると、

    「・・・・・・で? そいつが運悪く、ネットの変質者に目をつけられて殺された、と、こう言うことか」

    なぜか含みのある言い方で、ファイルを閉じた。真田にしてはどこか回りくどいと、薫は思った。少しいやな予感もしたが、とりあえず彼女から口火を切ってみることにした。

    「なにか御用があると聞いたので、うかがったのですが」

    「人探しに協力してもらいたくてね」

    突然、真田は用件を言うと、自分で持ってきた鞄の中から資料を取り出した。

    「今、例の成田空港の貨物職員殺しを追ってるんだ」

    その話は知っていた。一ヶ月前、小さくニュースに乗った暴力団絡みの殺人事件だった。

    成田市の雇用救済者用のアパートで、男が殺された。部屋に侵入され、物色された形跡があることから単純な物盗りと思われたが、男の背後関係を洗うと、広域指定暴力団の存在が浮上したらしい。

    「一ヶ月前の殺しを追ってるんですか?」

    興味はなかったが、薫は怪訝そうに聞いた。

    「正確には少し違う。あのとき殺された職員と、十日ほど前、偽造パスポートで入国した男の身元が関係ありでね」

    真田が取り出した事件記事には見覚えがあった。確か、十日ほど前のことだ。成田空港で偽造パスポートを使って入国した男が、事前に情報を得て張っていた公安に逮捕された。捕まったのは、広域指定暴力団泰山会(たいざんかい)の直系若頭と言う、大捕り物になった。

    「・・・・・・実はその大物が確保された隙をついて、逃走した男がいるんだ。公安は今、そいつを追っててね」

    薫は視線を下に落とした。そこに、その大物を囮にして逃走に成功した、強運な男の資料がある。

    神津良治(こうづよしはる)、四十二歳。彫りの深い目が少し垂れた、気障な印象のハーフっぽい男。本人は盃を受けたやくざではない。その手先でベンチャー企業などへの融資や株式市場の操作などで暴力団の資金を運用する、いわゆる企業舎弟だ。

    もとは大手証券会社を退職後、某ITベンチャーの起業に参加、資金の調達、運用などを担当していた。この頃、暴力団と関わりを持ったのだろう。会社倒産後は本格的に暴力団の資金運用に携わり、香港、シンガポールの華僑ともつながりが深い。

    「つまり、その男を捜すのを、わたしに手伝って欲しい、とそう言うことですか?」

    薫は露骨に感情をこめた声を出して、真田に問うた。

    「せっかくですが、わたしは本筋の捜査があるのでそこから外れて真田さんに協力することは出来ません。それに」

    「・・・・・もちろん、今やってる君の捜査を外れてまで、協力してもらおうとは思ってないよ」

    「暴力団ならわたしの専門外です」

    真田は少し、困ったような顔をした。だが、

    「君の上司には掛け合ったが、別に悪い返事じゃなかったがな」

    真田の語尾に被せて、薫は聞いた。

    「大体どうして、わたしなんですか? 暴力団や組織犯罪に詳しい人間なら、わたしのほかに適任が山ほどいるはずです」

    「その理由を、一言で話は出来ない。また、君にする義務も本来ないんだ。・・・・・それに勘違いしてもらうと困るんだが、君に頼みたい仕事は、神津の逮捕それ自体とはまったく違う種類のものでね。つまり」

    「この事件の担当から外れる気はありませんし、専門外の事柄で足手まといになるのも、不本意です」

    「何度も言うが、仕事で余った時間でいいんだ。休日返上とは言わないが、まさかそんな時間もないわけじゃないだろう?」

    真田は、薫が積み上げた資料に目をやった。

    「その通りです。余った時間もないくらいなんです」

    薫はあわててそれらを引き取った。

    「ここで一言では語れませんが、わたしはこの事件に思い入れがあります。だから、他のことを考える余裕もないくらい忙しいんです。協力を要請するならぜひ、他の人をよろしくお願いします」

    「なんだか、話に行き違いがあるみたいだな」

    真田は、眉をひそめてため息をつくと、

    「仕切り直そう。そうだ・・・・・ここじゃなく、どこかでゆっくり、もう一度はじめから話を聞いてほしい。時間を取ろう」

    「失礼します」

    資料を抱えたまま一礼して、薫は部屋を出た。

    部屋の外に、金城が待っていた。突然の薫の退出に、びっくりしたようだ。たぶん、捜査に出るふりをして聞き耳を立てていたのだろう。ちょっと滑稽なくらい、彼は焦っていた。

    「な、な、なんだ、話は終わったのか?」

    「うん」

    金城の態度に気づいていないふりで、薫は肯いた。

    「たいした話じゃなかったから大丈夫。それより、交代はなしになったから、わたしと出てくれないかな」

    「お、おう」

    金城ははりきって、準備を始めた。

     

    どうも、薫とあの公安がくさいぞ。

    そう言われた時期があった。まだ、新米刑事のときだ。

    南口の新芸術劇場付近で売春をしていた、韓国人の立ちんぼがホテルで殺される事件があった。

    違法にキャッシュカードのデータなどを盗み取るスキマーと言われる小型の機械を使った犯罪が、ちょうど多発しはじめた頃で、この立ちんぼも一緒にホテルに入った客の財布からカードのデータだけを読み取って売り渡すのを副業にしていた。商売柄、風営業を中心にこの手口は拡がっており、その手の店が多い池袋でも摘発が相次いでいるときだった。

    背後に韓国マフィアと思われる海外組織が関わっているということで、事件に公安が入ってくることになった。言うまでもなくそれが真田だった。

    新米の薫が、真田の相手をした。公安と刑事は同じ警察でも、違う組織でその連携にはなんとなく壁があるものだ。当時の捜査責任者も、なにも知らない薫を真田につけることで、自分たちの縄張りを侵されないようにしたのだろう。

    捜査課は被害者の立ちんぼを殺した犯人、真田は被害者に違法行為をさせていた背後の犯罪組織、とお互いに目的は違うのだが、うかつに真田のような余所者に、捜査情報は漏らさないぞ、と言う空気が露骨な形でも流れていた。

    当然のこと薫は、捜査にはほとんど参加させてもらえず、真田とともに蚊帳の外に置かれた感じだった。もちろん薫は新米で右も左も分からないし、捜査の方針に異論を立てるほど事件に思い入れもない。たまに来る真田のあしらいを任されるだけ、仕事はお茶汲み程度のものでくさくさしてもいた。

    「なあ、君、現場の地理案内でもしてくれないか」

    唐突に、真田が言って薫を現状付近に連れ出そうとした。薫は驚いたが、公安の動きを監視しろとも言われていたので、いやだとも言えないし、せっかく刑事になったのに捜査に参加できない憤懣もあるにはあった。結局それから一ヶ月近く、真田の独自の捜査に、薫は付き合うことになったのだ。

    文句なく、真田は優秀な捜査官だった。あのとき薫には比較するような対象も経験もなかったが、後から振り返ってみても、真田は凄腕だった。収集する情報の目の付け所、事件を再構成するカンの良さ、つぼを得た職質や尋問のテクニックまで、余人の真似できない独特のノウハウを持っていた。

    そもそも公安と刑事では、捜査の目的もやり方も違う。前者は、国家の治安に影響する犯罪行為を行う組織の活動を未然に防ぐ意味合いでなされるが、後者は事件発生を起点にして、原因追求的に過去をたぐって逮捕者をたぐり寄せていくものなのだ。

    しかしそのどちらでも通用しそうな真田の手腕は、天性のものと言ってよかった。ほどなく、目的の犯罪組織ばかりでなく、一課が追っていた殺人事件の犯人まで、真田は挙げてしまったのだ。

    被疑者は組織の下っ端で、痴情のもつれから被害者を衝動的に殺害したらしい。その犯人だけを引き渡すと、真田はさっさと去っていった。評判の真田の凄まじい手腕に、誰もが舌を巻いた。

    ただ、正直なところ。

    目の前であれよあれよと事件を解決されて、あの後、大迷惑をこうむったのは薫だった。真田の名捜査のせいで薫が捜査情報を漏らしたせいではないか、と言うあらぬ疑いをかけられたのだ。

    「あの公安、新入りの薫を上手く落としやがって」

    必要以上に親しくしたのが原因だと、なにもしていないし、なにも知らされていないのに、薫は陰口を叩かれた。

    (わたしが女だからか)

    一番言われたくないことで、仲間内でミソをつけてしまったのだ。

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