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「もう二年経ったとか・・・実感湧きません」ブロマガで振り返る大震災
2013年3月11日、ついに東日本大震災から2年を迎えました。この「3.11」特設ページのトップで現在使われている写真は、震災から2カ月後の2011年5月に、宮城県気仙沼市の鹿折(ししおり)地区で撮影したものです。全長60メートルの大型漁船「第18共徳丸」が数百メートル先の港から流され、ガレキの中に埋まっていました。2年目を迎える3月10日現在の鹿折地区では、ガレキは片付いていましたが「第18共徳丸」は、あまりに巨大なため、そのまま残されていました。
2年目を迎えた3月11日には、ユーザーブロマガでも多くの震災に関する記事が数多く掲載されました。その中で、震災当時を被災地で過ごした方の記事をピックアップしてみました。
当時、宮城県女川町に住んでいたという「しほ」さんは、ちょうど第二子を妊娠中だったとのこと。多くの親戚を失った悲しみが綴られています、
・「2回目の投稿(´∀`)ノ」 - ポカポカ陽気が来ましたん(´▽`)ノ
同じく宮城県在住という「ひより」さんは、当時、牛乳配達の仕事をしていたそうです。震災翌日の配達では、「こんなときに、ありがとう」と感謝してくれる人もいれば、「こんな非常事態まで仕事か!お前にだって家族ぐらい居るだろ!守銭奴め!」と心ない言葉も吐かれたつらい思い出を書いています。
・「#0311nico あっという間。」 - PS
福島県いわき市で震災を体験したという「福ヲタ」さんは、「福島第一原発の状況が刻々と悪化し、余震と放射能に震える。ひょっとしたらこのまま死ぬかもと思い、遺書まで用意」と、原発から出た放射性物質の汚染への恐怖が生々しく書かれています。
・「2年前の3月11日、いわきにて」 - 月刊.swfランキング作者がニコつく3に出展するまで
また、福島第一原発から5キロ以内に自宅があるという「近江亭浅葱」さんが、3月10日に一時帰宅したときの模様を写真でレポートしています。破壊されたまま残された施設や、未だに高い放射線量などを元に「もう二年経ったとか・・・実感湧きませんね」と、淡々と書いています。
・一時帰宅に行ってきました。 - 紐なしボレィ(仮)
「あなたは3・11に何をしていましたか?」の記事募集には、3月11日17時現在、421件の記事が集まりました。ご協力をいただいた皆様、まことに有難うございます。 -
「このまま朝が来なかったら……」東日本大震災を振り返るブロマガ記事が続々登場
未曾有の被害を日本にもたらした東日本大震災から早くも2年を迎えます。これを受けて、niconicoのブロマガユーザーからも、様々な意見が届いています。漫画家の佐藤秀峰さんは「災害時、エンターテイメントに何が出来るか?」というブロマガを発表。多くの著名人が行った震災復興のためのチャリティーイベントについて「非難するつもりは毛頭ない」としながらも、「それが本当にエンターテイナーが行なうべきことなのか」と再検討しています。
元「実話ナックルズ」編集長でジャーナリストの久田将義さんは「【3.11特別記事】マスコミと原発アウトロー」という記事で、震災がもたらした原発事故の実態について書いています。福島第一原発の二十代の作業員に取材して『原発アウトロー青春白書』という本をまとめた経験を通して、マスコミや原発の現状を振り返りました。上京した原発作業員の「久田さん、福島ナンバーの車なんか止めて近所の人に何か言われませんかねぇ」という言葉を、「他愛のない冗談とは受け取れなかった」と思い返しています。
フリーランスのジャーナリスト集団「石のスープ」では、釜石市在住の編集者・駒林奈穂子さんの寄稿文「震災を知ることの意味」を掲載しています。「『知って下さい、忘れないで下さい』ということに意味はあるのか」と自分に問いかけながら、被災地と他地域の住民の認識のギャップについて分析しています。
こうした著名人のブロマガ以外にも、niconicoでは一般ユーザーに「あなたは3・11に何をしていましたか?」というお題で記事を募集。震災当時の生々しい証言が次々と投稿されました。
以下では、震災当日に実際に大きな被害や影響を受けたユーザーの皆さんの声を、一部紹介します。宮城県在住の「( ̄3 ̄)の人」さんの「夏光な日々」によると、震災後に水道や電気などのライフラインが停止したとのこと。「このまま朝が来なかったらどうしよう」と不安な思いを抱えていた日々のことがつづられています。福島県在住の「sneeeeeeeeeek」さんは、3月11日の震災当日に中学校の卒業式だったそうです。バンド演奏している最中に大きな揺れが体育館を襲ったことを「れもんとげーむ好きのブログ。」の中で、振り返っています。「僕達が演奏していた場所の天井が落っこちてきてしまった」と、間一髪で命拾いした恐怖を記しています。「秋葉原グルメ紀行」の動画で知られる「駅弁」さんは、震災当日、東京都の埋め立て地にある羽田空港にいました。突然の大地震に空港はどうなったのかをつぶさに撮影しました。「あの日の自分は…」の記事の中で駅弁さんは、「大津波警報も発令し、台場で建物火災が発生…自分にできる事は何なのか?その答えは『カメラを持って、ナレーションをしながら撮影す』」だった。きっといつの日か、この映像が役に立つ日が来るはず」と、そのときの決意を語っています。「あなたは3・11に何をしていましたか?」の記事は、まだまだ募集しています。ハッシュタグ#0311nicoをつけてブロマガにご投稿ください。 -
田原総一朗氏や根本復興大臣が出演 「3.11特集」を6夜連続放送
日本を大きく変えた東日本大震災から、まもなく2年。niconicoでは「3.11特集ウィーク」を実施します。3月6日から11日まで毎晩、特集番組を生放送することで、3.11から日本の未来を考えることがテーマになっています。被災地の復興はどこまで進んでいるのか、福島第一原発はどう収束するのか、震災報道の意義と課題は何かなど、連日の番組を通じて、東日本大震災の「過去」と「現在」を見つめ、私たちのあるべき「未来」を考えていきます。3月6日20時からは、岩手県大槌町と宮城県女川町の町長に、ジャーナリストの藤代裕之氏と哲学者の萱野稔人氏らが「被災地の声」をユーザーとともに聞いていく番組を放映します。
3月7日20時からは、東京電力で福島第一原発事故の記者会見を担当したことで知られる松本純一氏へのインタビューを放送します。
3月8日19時からは、第二次安倍内閣が掲げる"危機突破内閣"の重要事項の1つである「復興」をテーマに、他省庁との連携の問題や被災地の現状や今後の復興の道筋を根本匠・復興大臣に聞きます。
3月9日20時からは、被災地で活動しているNPOや市民メディアの方たちに、国や自治体による復興は進んでいるのか「実態」を聞きます。
3月10日20時からは、朝日新聞「プロメテウスの罠」を執筆した特別報道部の記者を招きます。メディア・アクティビストの津田大介氏らとともに、原発事故で何が起こり、事故が本当に「収束」したのかを考えていきます。
震災からちょうど2年を迎える3月11日の20時からは、『総括!3.11「メディア・原発・防災」』と題して、田原総一朗氏や東浩紀とともに、メディアは震災時、きちんと機能したのか? どのように原発と付き合うべきか? 「第2の3.11」にどう備えるべきかについて総括します。
3月11日にはこの他にも追悼式中継番組を予定しています。シアトルの「震災復興2周年応援イベント」、音楽家の坂本龍一氏らが参加する「Peace On Earth」。福島県主催の『3.11ふくしま復興の誓い2013』」の3番組です。
また、ニコニコチャンネルでも震災関連の生放送が控えています。孫崎享氏の「宇都宮健児さんと3.11を考える」(3月6日21時~)、津田大介氏の「おくの細道2012オーディオコメンタリー付き全編放送」(3月6日22時~)、福島第一原発観光地化計画チャンネルの「記者会見・特別座談会中継」(3月9日19時半~)、久田将義氏の「現役原発作業員インタビュー」(3月9日21時20分~)などが放送予定です。
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