八千代はその、年期の入ったビジネスホテルで、てっとりばやくツインルームをひとつ借りた。
「喫煙できる部屋で頼む」
と彼はいう。
――喫煙?
八千代がタバコを吸っている姿をみたことはない。
前払いの会計を済ませ、差し出されたペンを断り、内ポケットから高級そうな自前のペンを取り出して住所や間前をさらさらと書き込む。そして決まりきったストーリーをなぞるように受付と会話を交わす。
「チェックインは?」
「16時からになっております」
「そう。まだ少しあるね。荷物だけ部屋に置かせて貰いたいんだけど」
「よろしければ、フロントでお預かりいたしますが?」
「ありがとう。でもついでに、できれば部屋で一服したい」
「かしこまりました。お部屋は整っておりますので、ルームキーを――」
八千代は、「助かるよ」と笑った。
それからペンをくるりと回してしまおうとして、手から飛ばす。ペンはカウンターの向こうに落下して転がった。
「ああ、すまない」
そう言って、八千代はカウンターから身を乗り出す。受付がボールペンを拾い上げ、それを八千代に渡した。
「ありがとう」
と照れたように笑い、八千代はそのペンと、古臭いルームキーを受け取る。
それから、オレに「いくぞ」と声をかけて、エレベーターの方へと歩く。
小さな声で、オレは言った。
「おかしいと思ってたよ。あんたがでかい旅行鞄なんて持っているから」
「善意を利用するのは気がひけるが、いちばん平和的な方法なんだ」
「部屋はわかるのか?」
「候補はあるが、確証はない」
八千代は5つの部屋番号を告げた。
「なぜわかる?」
「フロントに鍵がない部屋を調べただけだ」
なるほど。今はチェックアウトの後で、チェックインの前だ。多くの鍵はフロントに揃っている。
「候補の中でシングルルームは?」
「2つ――だが、シングルだとは確定できない」
「どうして?」
「ここはシングルの部屋数が少ない。代わりにツインも、ひとり客に貸し出している」
「いや。シングルでいい」
「なぜわかる?」
「バスから窓の外を眺めてたんだよ」
「いつか詳しく訊きたいね」
と、八千代は肩をすくめた。
