閉じる
閉じる
×
※本来、8月16日に行われたイベント「だれかのタイムカプセルを掘り起こそう!」中に小冊子の形でみつかる予定でしたが、もろもろの都合でボツにしていました。
結局、私は景浦愛花よりもずっと弱かったのだ。
※
小学生のころ、景浦愛花はクラス内で絶対的な権力を握っていた。
景浦は綺麗で、成績がよくて、高価なブランド品やアクセサリーの類もたくさん持っていた。そして大人びた知識をひけらかすのが好きな子だった。
彼女はこののどかな松山の片隅を、自分の居場所だとは思っていないようだった。今すぐにでも飛行機に飛び乗って、大都会に移り住みたいと考えていた。そして現状を受け入れている私たちクラスメイト全員を、あからさまに見下していた。
私は景浦愛花が苦手だった。彼女がひたむきな努力家だということはすぐにわかったけれど、それでも相容れないものはどうしようもなかった。
だから私は、できる限り彼女に関わらないように過ごしていた。景浦にとっての私はつまらないクラスメイトのひとりでしかなく、彼女の方からこちらに近づいてくることもなかった。
そうも言っていられなくなったのは、小学3年生の、ゴールデンウィークが開けたころだった。
※
「ねえ、知ってる? 口紅ってルージュっていうでしょ。あれ、フランス語で赤っていう意味なのよ」
ある昼休みに、景浦の声が聞こえてきた。
「赤は本来、大人の色なの。ルージュみたいに。でも、あなたのそれはなに? 子供っぽくて、すごください」
相手を見下すことに全身全霊をかけているような、とげとげしい口調だった。
私は思わず、そちらに視線を向けた。ふたつ隣がマコという女の子の席で、どうやら景浦はマコと話をしているようだった。――いや、正確には、景浦が一方的にマコを非難していた。
「あなたもう3年生でしょ。いつまでそんなの持ってるのよ」
お前も3年生だろう、と私は内心で思う。
景浦はどうやら、マコの缶ペンケースが気に入らないようだった。まっ赤な缶ペンケースで、大きく舌を出した女の子のイラストがプリントされている。有名なお菓子のキャラクターだけど、私からみてもちょっと子供っぽいなと確かに思う。
マコはじっとうつむいていた。マコは気の弱い女の子で、景浦に反論なんてできるはずもなかった。だからいつも八つ当たりの相手に選ばれるのだ。
今日の景浦は、ずいぶん機嫌が悪いようだった。
「私が捨ててあげる」
そういうと景浦は、ペンケースをひっくり返して中身をざらざらと机の上にぶちまけ、そのまま窓辺に歩み寄った。
「いや」
と小さな声でマコが言ったのを、私は聞いていた。
でも景浦は足をとめなかった。ためらいのない動作で、彼女は思い切り、窓の外に缶ペンケースを放り投げた。
彼女は振り返り、満足そうに笑う。
「ほら、どうしたの?」
人を馬鹿にした笑みだ。マコが泣き出すのを期待しているようでもあった。
「優しくされたら、お礼をいわないとだめでしょう?」
――聞かなければよかった。
あまりの言葉に、血が頭に上って、視界がぐにゃりと歪むのを感じた。
小さな声で、マコが「ありがとうございます」と言った。
※
そのあとで私は、マコと少しだけ話をした。
「あのペンケース、気に入っていたの?」
「そんなことないよ」
「でも、泣きそうだったよ」
「べつに」
彼女はじっとうつむいたまま、ぼそりと言った。
「でも、お姉ちゃんがくれたから」
私には景浦愛花が許せなかった。
「盗られたものは、取り返さないといけないよ」
「盗られたわけじゃないと思うけど」
「おんなじようなものでしょ」
マコはうなだれているだけだった。
私はペンケースを捜すために教室を出た。
景浦がなんだというんだ。どうしてあんな奴の言いなりにならないといけないんだ。
そのとき私にあったのは、景浦への苛立ちだけで、先のことなんてなんにも考えていなかった。
※
ペンケースの捜索には、それほど時間がかからなかった。
でも時計の確認もせずに教室を飛び出したせいだろう、グラウンドの片隅に転がっているペンケースを発見したのは、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ったころだった。
ペンケースには、少しだけひっかき傷がついていたけれど、どこも壊れていなかった。
私は安心して教室に駆け戻り、次の国語の授業が終わったあとで、マコの席に行った。
「これ、あったよ」
そう言ってペンケースを差し出すと、マコは珍しく明るい表情で笑った。
「ありがとう」
彼女の表情をみて、私もなんだか気が晴れた。景浦は苛立たしいけれど、どうこうしようという気もなくなっていた。内心では私も、少しだけ景浦が怖かったのだ。
その時だった。
「どうしたの? それ」
景浦の声が聞こえた。彼女はあからさまに苛立っているようだった。
表情をこわばらせたマコに、景浦が詰め寄る。
「教えてくれる? 私がせっかく捨ててあげたのに、どうしてまだそんなださいペンケースを持っているの?」
景浦への文句なら無数にあった。
でも、私は口を開けなかった。いくらでもあるはずの言葉がみんななくなってしまった。なぜだろう、彼女は奇妙に怖ろしい。
震えた、小さな声で、マコが言う。
「私は、いらないっていったんだけど」
彼女の指先が私を指した。
「山本さんが、勝手に拾ってきたの」
「へぇ。だめじゃない。人が嫌がることをしたら」
景浦はこちらをみて笑う。
「私、あなたみたいなださい子、大嫌いなの」
目の前がまっくらになるのを感じた。
※
それからの私の学校生活は、簡単にいってしまえば悲惨なものだった。
クラスメイト、とくに女子たちに徹底的に無視された。マコも私とは口をきかなくなって、なんだかとても不条理に感じた。物がなくなっていたり、給食にゴミが入っていたりということが増えて、そんなことでずいぶん傷ついた。なによりもそのたびに、周りから小さな笑い声が聞こえるのがつらかった。おかげで私は、よく本を読むようになった。休み時間なんかは誰ともかかわりたくなくて、ずっと物語に逃げ込んでいた。
夏休みも、ほとんど家にこもって過ごした。
私を気にかけてくれたのは、ふたりの幼馴染みだけだったけれど、それで事態が好転することもなかった。私は景浦に逆らったことを後悔していた。それから、あの女の子のイラストがついたお菓子のことが嫌いになった。もうあの笑顔をみたくもなかった。
すべてが変わったのは、2学期になって、うちのクラスにひとりの転校生が現れたときだ。
久瀬くん。
彼は、クラスメイトの誰とも違っていた。