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山田玲司のヤングサンデー 第267号 2019/12/9

パレット理論

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今年は「愛☆まどんな」さんとの「白亜展」があったり、ヤンサン美術部の人達と仲良くなったりして、やたらとアートを体験する年だった。


そもそも美大生だった僕は、卒業後も絵を辞めなかったし、お金もないのに個展をやったりしていた男だっので、漫画を描きながらもアートとしての絵画は続けていたけど、それでも本業でアートをやってる愛ちゃんとの仕事は大きかった。


白亜展では大きな後悔がある。


白亜展の頃僕は他の漫画の仕事で限界まで追い込まれていて、満足いくだけの絵画が描けなかったのだ。


何枚ものキャンバスを並べて同時に絵を描いて「絵としてのパワー」が、納得のいくラインを超えたものだけを選んで展示した。

現場まで運んでみて「やっぱり絵としてパワーが足りてない」と思った絵は、展示しないでそのまま持ち帰った。


絵は不思議なもので、完成度を上げれば「絵としてのパワー」が上がるわけではない。

どこか書道みないな部分もあって、その時の「精神」みたいなものが線や色に宿るのだ。


そんなわけで、白亜展で展示した作品の多くがシンプルな作品になってしまった。

描き込めば描き込むほど「絵としての生命力」が失われていくので、そういう絵は次々にボツにしていったのだ。


白亜展の時点で僕の絵はあれが限界だった。

でも本当の僕はもっとやれたので、この件には大きな後悔が残った。


そんなわけで、今僕は時間を見つけては絵画を描いている。

白亜展に出した絵も手を加え続けて「生命」を吹き込んでいる。



今の僕は人生で一番自由に絵を描いている。

「こういうふうに描きなさい」と美大の予備校で教わった「テンプレ化した技術の呪い」がようやく消えてきたのかもしれない。



【絵を描くと見えてくるもの】


絵を描いていると色々なものが見えてくる。

特にデジタルでの作画を体験してからアナログの絵を描くとその違いは大きいと感じる。


僕がアナログで絵を描く時は、あまり大きなパレットを使わない。

仕切りのない皿(なんでもいい)に3色以上の色を置いて、混ぜながら画面に色を置いたり重ねたり流したりする。


お気に入りの色は決まっているのだけど、時々「これはどうだろう」と思う変な色も使う。


おなじみの色であれば、ある程度予想できる「混ざった色の感じ」が、思わぬ色になったりして面白い。


色数を増やして、その時の気分で色を混ぜたり混ぜなかったりする。


そうすると何度も「予想してない色」が生まれて、その色が画面にのっている色と反応して、どんどん「意外なもの」になっていく。


この「自分ではコントロールできない部分」が面白い。

ジャクソンポロックはそれを「神との共作」みたいに言っていたと思う。


このあたりがデジタルではなかなか味わえない体験だ。

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【パレット理論】

いくつかの色がパレット上で混ざり合っていく感じは、人間関係にも通じる。

チームで何かをやる時、参加する人それぞれに色があってそれが混ざって「いい感じ」になる。

ヤンサンでも、僕とおっくんだけでは出ない色が、しみちゃんや久世の色が混ざることで出てくる。

これはバンドなんかでも言える。

ジョンとポールの組み合わせに「ジョージ」が入ると更に色彩は複雑で魅力的になる。

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ところがこの「パレット」

延々と混ぜていくと、次第に「同じような色」になってしまう。

4色以上の色を混ぜた場合、間違いなく最後は「くすんだねずみ色」になって終わる。


こうなると画面は単調で生命力のないものになる。