烈子とヤマトとハサウェイ
【選挙とハサウェイ】
今週は選挙の結果にただただ落胆しながら始まった。
投票所の列は見た事のないほど混み合っていたし(僕のタイムラインでは)SNSも投票に行く人達で溢れていたのだから期待もしてしまう。
ところが現実はあの様な有様で、多少の変化はあったものの、これほどまでに国民を不幸にしている現政権が維持されたという。
「何だこれ?」
僕の中の違和感はピークに来ている。
「絶対におかしい」
本格的に目隠しをされたまま暗闇に突き進んでいる気がする。
暗澹とした気分のままディスカバリーの企画を考えるが進まない。
結局最近観た「閃光のハサウェイ」の話と政治の話を組み合わせて考察をまとめる事にした。
こういう時「ガンダム」という共通言語の存在は本当にありがたい。
(ぜひディスカバリーレイジチャンネル122を御覧ください)
そして「バグラビ」収録。
今回はアライグマのOLがデスボイスで叫ぶ「アグレッシブ烈子」の話。
(3シーズンあったのだけど、途中からかなり面白くて一気見できた)
その直後に「宇宙戦艦ヤマト」考察のヤンサン生放送というスケジュール。
漫画学校の講義(オリキャラの作り方)も挟んでいるので中々の忙しさだった。
【ヤマトから鳥山明へ】
久しぶりに観たヤマトはひたすら「他者のために闘う物語」だった。
全キャラクターが「俺はいい、お前が生きろ」と本気で思っている。
「俺が私が」という内面的葛藤など出てこない。
同時に戦前の全体主義や武士道の「桜と死」みたいな「滅びの美学」も強く感じる。
そっちの危険性も感じるのは否めない。
そんなヤマトが「古臭いもの」とされた80年代、鳥山明が現れる。
「滅び」も「死」もない世界で、主人公は無邪気に「遊び」「強いやつと闘いてえ」と言う。
自分のやりたい事をやればいいという時代になったのだ。
しかし「烈子」になると「自分が何をしたいのかわからない人生」に悩む。
「他者」を捨てて「自分のため」に生きれば幸せだったはずが、肝心の「自分」を見失なうという現代(いま)が続いている。
おまけにヤマトの時代には常識でもあった「誰かのために生きたらその苦しみは終わる」という選択肢を烈子は誰にも教えてもらえないまま生きている。
(カバ恵さんが近い事を伝えてはいるけど)
【ハサウェイの中の松本零士】
「男には負けるとわかっていても闘わなければいけない時がある」というセリフは松本零士作品の定番のセリフだ。