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【第366号】25 or 6 to 40 〜人生は25までの繰り返しか問題
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【第366号】25 or 6 to 40 〜人生は25までの繰り返しか問題

2021-11-02 07:00
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    山田玲司のヤングサンデー 第366号 2021/11/2

    25 or 6 to 40 〜人生は25までの繰り返しか問題

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    先日、四十路を迎えた。


    まったくぬるっと40になったというかなってしまったので、まぁ感慨なんてさほどないんだが、放送でみんなに祝ってもらったことと、玲司さんが(光栄にも)俺の半生を質問形式で紐解いてくれたことで、あのあとなんだかんだ自分でも少し振り返えざるを得なかった。


    と言ってもそれも別にふわっと羊の肌を撫でるようなくらい軽いものだったから、別にこうして文章にするようなことは特になかった。


    そうしたうちに清ちゃんが、朝井リョウの「正欲」を読んで「これは僕のターニングポイントになる」と言った。


    「ターニングポイント」


    放送では清ちゃんターニングポイントいくつあんねん!まだターンしてないからターニングポイントかどうかわからんやん!みたいな感じでツッコンだりしたが、はて、我が人生のターニングポイントはいつだったろうか。


    弟が生まれて嫉妬に全身焼き尽くされた4歳の冬。

    抽選で国立の小学校に受かり、幼いながら1人、片道1時間かけて電車とバスで通うようになった6歳の春。

    体育会系の担任が恐怖を克服させるためなのかクラス全員、学校の隣にあった和歌山城の、その急傾斜の石垣と雑木林を本丸まで登らせて、怖さに目がくらみつつなんとか登りきって、生まれて初めて何かに勝った気がした7歳の秋。

    家族でデパートに行った時に婦人服売り場にあるマネキンの着てるスカートの中に潜り込むのが好きすぎて、何でそこに惹かれるのかわからないけど母親が怒るのもあってそのスカートの中にはこの世界の最大の秘密が隠されてると確信した8歳の春。

    TVで流れる昭和天皇の葬儀の様子を、何も言わず見つめていた元大日本帝国海軍の爺さんの、その膝の上で、いっしょにまどろむような沈黙を感じながら見上げた彼の澄んだ深い眼差しに、言いようのない哀しさと優しさを感じた8歳の冬。

    電車とバス通学により乗り継ぎのスムーズさを大事にしすぎてトイレに行けず放尿を我慢しすぎて尿管結石になった9歳の夏。

    林間合宿の高野山で知らない男に誘拐されそうになって担任が必死で追いかけてきて俺を奪い返してくれた10歳の秋。

    スイミングスクールに通っていたんだけどバタフライまでいってクロールよりしんどくて遅い泳ぎを覚える意味あんのかなと思ったら嫌になって、スイミング行くふりして初めてサボって近くのプラモ屋でガンプラやミニ四駆ばっか見て時間潰して、公園の水道で頭濡らして泳いできたフリをして家に帰って何食わぬ顔で家族を騙した時の罪悪感と快感に、初めて自分の内なる悪を感じた11歳の夏。

    中学校入学前の春休みに河川敷で野球してたら別の小学校の奴が来ていっしょに遊ぼうぜって事になって遊んだんだけど、そのあと中学の入学式で中学からの入学組にそいつがいて、帰る方向も一緒でなんかしら“縁”みたいなものってあるんやなと感じた12歳の春…。


    …いや、もうなんか、いいやw


    小学校卒業まででこんなにあるし、もっと細かく見ていけばターニングポイントなんて日光の猿より多い。

    ただこうしてみると、自分で選んだことなんてほんの少しで、ほとんどが受動的な事で構成されている。


    そうなのだ。


    誰しもが“自分では選択できなかった事”により人生の何かしらを決定されてしまう。


    では反対に、人生において能動的に、主体的に選んで、その結果や責任までを受け入れたのはいつだったか?


    そういう疑問が湧いてきたので色々想い巡らせてみると、俺に関してはやはり世界一周に出た27の夏か…となると、その1年前の沢木耕太郎の早稲田の学祭の講演だな…いや、そうなるとあれだわ、本格的に文学に浸かろうと決めた、25の秋か…。


    うん、俺にとってはたぶん、自分の人生を本当に自分で選択したのは、芝居を一度辞めようと、そしてちゃんと言葉を入れようと決意した25歳になる。


    というのも、それまでの人生は、すでに用意された物語の上を歩いていたようなもんだった。

    生まれる場所も親も選べないし、そのあと高校まではなんか自分の意思なんて特になかったし、高校じゃ仲間と必死で“青春ごっこ”をしながらこのままじゃ幸せすぎるから青春には孤独が必要だと感じて東京に行くことにして、そのために大義名分として演劇の大学に進んだ。

    そして大学辞めて劇団作って芝居続けることにしたことまでは、すでに用意されていたいくつかの道の中で、そういうタイプの物語を選択した、という感じだった。


    その物語を自分で崩したのが、25の時だった。

    その頃のことはこないだの放送でも言ったのでそっちを見てもらうとして、そこからやっと誰かが歩いた道や物語じゃなく、自分で白紙に描き込んでいく、そういう感覚で生きてきたように、今は思う。


    そしてそれまでの人生、25までの四半世紀は、今思えばまるで前世のように遠い。

    「長い夜」に見ていた夢のような感じで、本当にそうだったのかがもう、わからない。

    さっき書いた小学校までのハイライトも、記憶を都合よく編集したものだろう。

    本当はどうだったかなんて俺自身も、共に育った友人たちや親だってきっとわからないし、正確さなんてもはやどうでもいい。

    大事なのは何を感じたか、であるのだが…困った事にそれすらも実は、後から言語化することによってあの時感じた感情の雑味や複雑性を濾過してしまって純粋にあの時感じたそれではない。

    つまり、思い出すこと自体が「自己小説化」なのだ。


    だが、25以降の記憶は物語というよりは、地続きで40の“今”に繋がっている。

    遠い記憶ではなく、まるで昨日のことのような生々しさを未だに持ってるものが多くある。

    なんていうか、25以前以後では、白黒とカラー、伝聞と体験、神話と実録くらい違うのだ。

    これはシンプルに、自分がその道に進むことを主体的に選んだかどうかの割合なんだろうと思う。

    もちろん25を越えてからだって受動的に選ばざるを得なかったことは山のようにある。

    それでもたとえ受動的であれ、その道を行くんだという自覚は常にあったし、それが受動的選択であることを自覚はしていた。

    25まではそうではなかった。

    選んだつもりでいたが、ほとんど無自覚だった気がする。

    そんな意志と意識の違いが25ラインに、俺の場合は、ある。


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