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山田玲司のヤングサンデー 第425号 2023/3/13

「ぼっち」の武器

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「ぼっち・ざ・ろっく!」を観ていてずっと考えていた事がある。


それは「誰かに話しかけられるのを待っている人」がどんな気持ちで生きているのか、という事だ。


これはたやすく人に話しかけられる人にはわからない。


パワフルな有名人と(初対面で)毎週対談してきた僕も中学の頃はそんなだったと思う。


僕の子供時代も「学校の教室」って場所は過酷な場所だった。


生徒は大きく2種類に分かれていて、余裕たっぷりに「おまえどこ中?」とか聞ける人間と「誰か話しかけてくれないかな」と震えいるタイプの人間だ。


こういう「待ち」のタイプがタイミングを外すと、クラスではすでに「仲良しグループ」だの「派閥」だの「支配者」だのが決定していて、そこから挽回するのは日に日に難しくなる。


そんな状態になると「自分の意志であえて1人でいる」という事にでもしない限りメンタルがもたない。


難しそうな文庫本などを開いて「私は君ら俗人とは違うのだよ」みたいなモノローグをかましつつ「壊れそうな自尊心」を必死でガードして耐えるのだ。


きつい話に思えるけれど、実のところ僕が「絶望に効くクスリ」で会ってきた有名人のほとんどが「このタイプの人達」だった。


特に漫画家やミュージシャン、お笑い芸人、映画監督などのクリエイターやイノベーターにはこんな学生時代を送ってきた人が多い。


「普通」と言われる人達の中に安易に入れない人達が、その後「面白いもの」を生み出すのだ。


そんな傾向に気がついた僕は、その事を「1人で苦しむ人達」に伝えたくて「非属の才能」という新書を書いた。



【ぼっちの友達は誰か?】


ぼっちになると話相手は「自分自身」か「コンテンツ」や「有名人」あたりになる。


クラスメイトと話さないと、話相手がいきなり「アーサー・C・クラーク」や「ボードレール」や「寺山修司」になったりするのが面白い。


クラスメイトが「コンビニのお菓子の話」で盛り上がっている時に「人類の文明の終焉について」やら「バビロニアの謎」などに夢中になってたりするわけだから、その後「面白いもの」を生み出す人達が多いのもわかる。


そしてそんな「ぼっち」の「定番の友人」が「ロックスター」なのだ。


近代社会で「群れの中の暮らし」が始まってから「ロックスター」は現れた。


彼らの多くが「はみ出しもの」で「純粋」で「本当のこと」を求めている孤高の存在だ。


「この曲のこの気持ち凄くわかる」

みたいな曲に出会えたら幸運だ。

その日から憧れのロックスターが「イマジナリーフレンド」や「メンター」になって自分の深い部分を支えてくれるのだ。


僕にとってはそれが手塚治虫だったり甲本ヒロトだった。


(何度か語ったけど)ブルーハーツは「1985」という曲の中で「僕たちを縛り付けて、1人ぼっちにさせようとした、すべての大人に感謝します」と言っている。


この歌詞は強烈な皮肉と「ある種の真実」が含まれている。

「ぼっち」だったから出会えたのが「ロック」だったりするからだ。



【それでもしんどい】