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2012年10月第4週号
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2012年10月第4週号

2012-10-22 09:21

    めるまがアゴラちゃんねる、第014号をお届けします。
    またまた更新が遅れました。申し訳ございません。

    コンテンツ

    ・「ゲーム産業の興亡」(24)ソーシャルゲームの一つの源流「マルチプレイヤーオンラインゲーム」の登場

    ・『気分はまだ江戸時代』連載最終回 「中国はソフトランディングできるか」与那覇 潤 / 池田 信夫

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    特別寄稿:

    新 清士
    ゲーム・ジャーナリスト

    「ゲーム産業の興亡」(24)
    ソーシャルゲームの一つの源流「マルチプレイヤーオンラインゲーム」の登場

    ソーシャルゲームの定義の問題を考えていく上では、ソーシャルゲームがどこから来たのかを、もう少し考えてみる必要があるだろう。一つの源流として、まずWindowsから来た、「オンラインゲーム」に触れる。

    ■ソーシャルゲームとオンラインゲームの違い
    Facebookや日本のガラケーと呼ばれる携帯電話向けのソーシャルゲームは、一般的にユーザーのゲーム内の活動をすべてサーバ側で処理をしている。ゲームを起動するたびに、ゲームは、ゲーム会社のサーバからユーザーのコンピュータ(クライアント)上に送信される。ユーザーの端末上には、ゲームを起動するまで、ゲームが手元にないという状態になる。ゲームサイズは様々だが、Facebookの数MBのサイズから、日本のガラケー向けのHTMLを使った100KB程度の小さなサイズまで幅がある。
    過去のオンラインゲームとソーシャルゲームの区分けは、08~09年前後は、サーバからゲームがそのつど送信されてくるかどうかにあると考えられてきた。一方で、90年代末に登場したマルチプレイヤーオンラインゲーム(MOG)の場合、ユーザーはクライアントにゲームをインストールし、サーバとのやりとりをするのが、当たり前だった。

    最初にこの分野が立ち上がってきたMOG(マルチプレイヤーオンラインゲーム)の場合、ユーザーがインストールしているゲームのクライアント環境が、サーバになることができるプログラムが入っており、ゲーム会社はそのサーバ情報を他のユーザーに送信するマッチング機能を持っているようにしていた。90年代の後半に、パソコン向けのゲームとして登場し、銃による対戦型のファーストパーソンシューター(FPS)が、この分野を牽引することになった。
    例えば、対戦型のFPSで、少なくとも1500万人以上が遊んだと考えられている「カウンターストライク」(Valve(バルブ)、00年、Windows用)の場合、ユーザーは専用のゲームサーバを立ち上げ、2〜32人の任意のユーザー人数を設定して、対戦することができる(一般的には8〜16人)。

    このゲームは、シングルプレイ用の「Half-Life」(Valve、98年、Windows用)に付属する多人数の「対戦モード」が元になっている。発売当時は、CD-ROMのパッケージ販売が前提となっており、ネット対戦機能はCD-ROMを購入者へのおまけ機能的な側面が強かった。
    その後、そのおまけ機能から発展して開発された「カウンターストライク(Counter Strike」は、後に単体でパッケージ販売されることになるが、それでも「ハーフライフ(Half-Life)」を購入した人は、それまでも変わらず遊ぶことができ、ゲームのアップデートを受けることもできた。オンライン対戦型のゲーム環境を提供すると、商品寿命が長くなることが理解されるようになってきていた時期だ。

    ■ネット流通プラットフォームから始まったゲームのサービス化
    ただ、一方で、当時の仕組みでは、違法コピーが蔓延するのもWindows用のゲームでは当たり前の状態だった。ゲームを遊ぶ場合には、購入時にパッケージに付属するシリアルナンバーと、物理的なCD-ROMをWindows PCに入れておく必要があった。それは違法コピー対策でもあったが、シリアルナンバー生成のパターンは解析され、ゲームのディスクはコピーされ、CD-ROMもPCに入れてあると偽装できるデータも作られた。そのため、大量の違法コピーデータがインターネット上に出回ることになった。

    当時、中国でインターネットカフェのサービスモデルが韓国から持ち込まれる形で、立ち上がりかけていた時期で、そのキラータイトルの一つが「カウンターストライク」だった。ただし、そのほぼすべてが違法コピーだった。02年に、Valveは、GDC(ゲーム開発者会議)で、本格的なゲームのネット流通のバーチャルプラットフォーム「Steam(スチーム)」を開始することを発表し、パッケージのみの販売から離脱することを電撃的に明らかにしたことで、ゲーム産業全体を驚かせた。

    そのときの発表資料では、「ハーフライフ」(実質的に「カウンターストライク」)の利用者は月に34億回もゲームが遊ばれていることを指摘した上で、「AOL Time Warnerが月に36億ビュー。また、イタリアのインターネット総利用量よりも多い。しかし、Valveにとって利益は皆無である」としている。さらに「アジアでのサイバーカフェで『カウンターストライク』が一番人気となっている国がいくつかあるが、利益は皆無で、Half-Lifeの中国版と韓国版は一本も売れていない」と述べている。

    Steamは、03年にスタートし、現在では世界最大シェアを持つWindows向けのゲームのネット流通プラットフォームとして、強力な存在感を持っている。Steamはバーチャルプラットフォームとしてユーザーのアカウントと、ゲームそのものの所有権を紐付け、違法コピーができないようにした。そして、ユーザーにとってはゲームのダウンロード、随時のアップデートを簡単にする。さらに、当然だがクレジットカードを登録すれば、小口決済の仕組みも持っている。実質的な、ゲームプラットフォームの「サービス化」への道だ。

    現在のネット流通をめぐる戦略は、アップル、グーグル、マイクロソフト、任天堂、ソニーなどの参入によってより複雑な状態になっている。これはまた、いずれ触れる。ただ、ポイントとして「ネット流通」という概念が、02~03年頃に、Valveは技術的に可能であると判断し、「カウンターストライク」といったキラータイトルを使って、新しいビジネスモデルの中核を生みだした点は意識していいだろう。現在のソーシャルゲームにもつながる重要な流れだ。

    ■ブロードバンド普及の夜明けをにらんだ戦略
    02年の段階では、Valveのゲームを遊んでいるユーザーは「75%がブロードバンドに接続している」というのが、ネット流通を開始するにはタイミングがよいとGabe Newell (ゲイブ・ニューウェル、共同創業者、Managing director)が判断する根拠にしていた。
    発表の中で、ブロードバンド普及率は、当時最も普及が進んでいると考えられていた韓国で60%、アメリカでは15%と述べている韓国で国策としてブロードバンド回線の拡大が押し進められていた時期でもあり、05年までに、家庭からのインターネットアクセスの回線速度の80%を20Mbpsにするという目標が立てられ、それに合わせて韓国でオンラインゲーム産業がまさに立ち上がりはじめていた時期だ。

    ただ、当時のオンラインゲームには、今でいう「ソーシャル」要素は皆無だった。ネット対戦ゲームは、オンラインゲームという独立したジャンルを生みだした。同じ時期には、ちょうどブログの普及が始まっている。フェイスブックの登場は、04年であり、まだソーシャルネットワーク(SNS)という概念がそもそもなかった。

    ちなみに、日本は、02年のブロードバンド回線は29.6%(光は1.4%)で、ナローバンドのISDN(64Kbps)が16.8%、ダイアルアップの電話回線が44.9%という時代だ(※1)。ところが、2010年には、ブロードバンド回線は77.9%(光は52.2%)と、大きく状況が変わっている。ネット流通プラットフォームの最初の出現から、まだ10年程度しか経過していないにも関わらず、世界は大きく変化した。

    ここにも、「広義のムーアの法則」が影響していることが、読みとれる。


    (※1)総務省 情報通信統計データベース

    <お詫びと訂正>
    前回の「 (23)『ソーシャルゲーム』は、それほど”ソーシャル“ではない」に間違いがありました。
    ・アップルのGame Centerの開始年の記述が抜けておりましたが、2010年8月です。
    ・MMORPG「ファイナルファンタジーX」と記載しておりましたが「ファイナルファンタジーXI」の間違いです。


    新 清士(しん きよし)
    ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。連載に、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
    Twitter ID: kiyoshi_shin


    『気分はまだ江戸時代』

    与那覇 潤
    池田 信夫

    最終回

    「中国はソフトランディングできるか」

    池田 もしかすると意外に中国はマイルドに市民的自由を持った普通の国になっていく道があるんじゃないかという感じがするんですね。というのはやっぱり中国が一番恐れてるのは、ソ連みたいになることだと思うんです。ゴルバチョフがグラスノスチっていって言論の自由を認めた途端にひっくり返ったわけだけど、あれはもうソ連経済がボロボロで、もう全然根っこがないところにちょっとゆすったらあっけなく倒れてしまったわけです。
    中国は逆でしょ。共産党が押さえている企業は、チャイナモバイルとかファーウェイとかレノボとか、みんな時価総額で日本の大企業をはるかに超えている。共産党にものすごい富があるわけだから、多少グーグルで悪口なんか言われたって、ソ連みたいに簡単にひっくり返る可能性は私はないと思う。もうちょっと雅量をもったら、意外と先進国になるんじゃないか。

    與那覇 私もその可能性を追求するべきだと思います。つまり、思想・言論の自由とか、情報統制の解除とかの面で、中国の状況を改善することを目指す場合、いわゆる西洋型の民主化=「一党制をやめて複数政党制にせよ」という要求とセットにしないほうが、うまい気がするんですね。
    「情報公開や市民的自由を認めることというのは、すなわち一党制を否定することであり、多党制を導入して欧米型の民主主義に変えろという要求なんだ」と理解したら、もう共産党は死に物狂いで阻止するわけで。そうではなくて、「いや、単一政党制でいいですから、その下で『本当に道徳的な徳治』をやってください」というかたちで要求していくほうが、勝算があると思う。
    世間で一般にイメージされる「民主化運動」というのは、人権の保障や言論の自由化と、複数政党制の導入をバンドルしてしまっているから、共産党は断固拒否して弾圧してくるし、実際に中国人の多数派も「外国の人がいくら応援してくれたって、それには乗れないよ」ということになってしまっているわけでしょう。
    主体的に「多党制は国家を分裂させるからダメだ」と判断している場合もあるし、「そこまで言ったら弾圧される」から、まずは一歩引いてコミットしている場合もあると思いますが、ともかく、海外から無責任に「複数政党制だけが民主化だ、立ち上がれ!」とか煽っていても埒があかない。
    そこで、中国の一党制はいわば皇帝専制以来の「伝統」だと考えるセンスが重要になってくる。なにせ1000年以上やっている伝統だから、これは生半可なことでは覆せないわけです。だとしたら、それこそ前近代以来のやり方にしたがって、「皇帝独裁でいいですから、本当に儒教道徳に相応しい、真の徳治者になってください」というかたちでおだてて誘導するアプローチが、一番有効性があるだろうと。
    換言すると、中国に対して「民主主義だけが正解だから、西洋化しろ!」と要求するのではなく、「いや、西洋化なんかしないでいいですから、むしろ近代化に伴って『前より悪くなった部分』くらいは改善して、かつての中華文明の栄光くらいは取り戻しましょうよ」と提案する、ここがミソだと思う。たとえば先ほども申し上げたように、王朝時代の中国というのは、イデオロギーは一つに決めるが、教え込まない社会だったからこそ、そこそこやってこれたわけです。
    ところがこれがアヘン戦争の頃から近代西洋との接触が始まると、なにせ普通の国民は放ったらかしで教育してこなかったせいで、バンバン裏切るようになっちゃった。
    戦争が起きると勝手に逃げたり、傀儡政権を作ったり、あるいは平時でも買弁といわれたようにヨーロッパ商人とくっついて、自国民を搾取するとか、そういう連中がどんどん出てくる。その結果、「わが国がどうして没落したかというと、やはり徹底的に正しいモラル(たとえば愛国心)を教え込んでこなかったからではないか」という話になって、正統イデオロギーが一つのままで、自由放任ではなく教育徹底ということにしてしまったから、かえって前近代よりも息苦しい中国になってしまった。
    つまり、近代化の過程でヨーロッパ・モデルと中途半端に接触した結果、反動が起きているのが今の中国だというのが、歴史の立場から導ける重要な示唆ではないかと。これ、チベット問題もまさにそうだといわれています。前近代の清朝までだったらそこそこうまくいっていたのが、清末から中華民国時代にかけて「周辺地域に自治を許すと、よその国に取られてしまう」という経験を散々してしまったので、今は「何が何でも許さない」という形になっている。とにかくガチガチに国内に縛りつけて徹底して党の指導に従わせ、少しでも背こうとしたら、全面的に潰してやるぞと。
    つまり、従来型の中華体制を続けていたところ、近代の時期に猛烈な煮え湯を飲まされてしまったせいで、今になっても「伝統中国のやり方に戻すこと」に対する恐れが、おそらく中国という国の指導部にはあるのでしょう。
    だから、まずはその恐れを解除してもらうことが、問題改善のためのファースト・ステップになる。近代のあいだにあなた方は随分トラウマを経験したし、そのトラウマ体験の一部を日本が担ってしまったことは申し訳なかったけれども、そろそろ解除して伝統的なあり方に戻ってもいい頃だし、そうやって中国本来の姿を取り戻した方が、これからは国際社会の敬意も得られてお得ですよと。
    そういう歴史の認識に立って、周辺諸国からアプローチする手法が必ずあると思うんです。その意味で、必要なのは「中国礼賛」でも「中国バッシング」もない、「中国誉め殺し」とでもいうべきスタンスだと思いますね。

    池田 歴史というのはヒストリーで、これはストーリーと語源は同じですから、所詮お話だと思うんですよ。お話というのは結局どういう立場からどういう意図で語るかによって、いろんなお話があってもいいんで、それこそ「歴史教科書をつくる会」の人みたいに国民の物語をつくりたければそれでもいいんだけど、もう昔のイデオロギーの物語にみんな囚われ過ぎだから、もうちょっと新しい物語を考えたほうがいいんじゃないか。
    歴史的に見て、いま日本はかなり大きな変化に直面していると思うんですが、それになかなか適応できてない。それを解決するためには、過去の出来事にどういうヒントがあるかなというプラグマティックな見方で歴史を見るのもいいのではないか。
    戦争が正しかったどうかといった下らない論争を今ごろやってもしょうがなくて、それよりなんでわざわざ負ける戦争をやったのかとか、あんなひどい負け方したのはなぜかとか、といった『失敗の本質』に書いてあるような現代にも通じる問題を考えたほうがいいと思います。それを検証して、そのときと同じ間違いをやったら3度やらないようにするとか、もう少し現実的な物語を歴史の中から読み取っていくというのもあるんじゃないかなというのが私の個人的な感想です。

    ※ 次号からは新しい連載が始まります。
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