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めるまがアゴラちゃんねる、第039号をお届けします。
発行が遅れまして、大変申し訳ございません。
コンテンツ
・ゲーム産業の興亡(49)
日本のゲーム産業全盛時代に始まる「人材空白の10年」
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特別寄稿:
新 清士
ゲーム・ジャーナリスト
ゲーム産業の興亡(49)
日本のゲーム産業全盛時代に始まる「人材空白の10年」
前回、日本のゲームを開発するようなホビープログラマの「空白の10年」を指摘した。これは1990年代中盤から、日本のゲーム開発の技術レベルを引き上げる在野の潜在的な人材が生みだされることがなくなっていった状況を筆者が呼んでいる造語だ。この状況は、98年に「iPhone 3G」やソーシャルゲーム市場の発展が登場する時期まで続く。
■Windows 95の登場はホビープログラマを減少させたと推測される
日本の家庭用ゲーム機市場は、97年にピークの5887億円となるが、その後、ソフトウェア市場の規模は縮小し、2000年代に入ると3000億円前後で横ばい状態が続く。2012年には、2700億円とピーク時の半分以下にまで低下している。90年代にあれほどの多様性を持ち、世界に対して影響力を持っていた日本のゲームの時代は、すでに過去の物になっている。
その一つが、ゲーム産業を下支えする「人材」にもあると考えている。明白な統計が存在するわけではないが、特にホビープログラマの減少は、日本のゲーム開発力の潜在的な力を弱めていった要因の一つになったと思われる。
1995年に、マイクロソフトから基本OSで汎用性の高い「Windows 95」が登場したことで、それまで多くのホビープログラマを育てた日本の国産パソコンは置き換えられ、その歴史的な役割は急激に失われていく。一方で、Windows 95は、登場当初ゲームを開発するための環境としては、家庭用ゲーム機に比べると貧弱な環境だった。
当時、最も普及していたNECのPC-9800シリーズは自社OSを搭載していたが、Windows 95を搭載したパソコンが一般化していくことで、自社OSの地位を急速に失っていく。90年代には、自社OSとWindowsの両方を搭載していたハードを発売していたが、汎用ハードウェアのWindows向けのソフトウェアが増加していくに従って、NEC向けのソフトウェアしか動作しない日本独自のハードとしての地位を失い、98年には撤退を余儀なくされる。以後、NECはWindowsを搭載したパソコンにビジネスの主軸を移していく。これは、他の国産パソコンを発売していた富士通やシャープといった企業も変わらない。
ただ、ゲームという目線から見た場合、Windows 95の、特にリアルタイム3Dグラフィックスの基礎環境である初期の「DirectX」はあまり使いやすい環境ではなかった。また、技術的な概念が、プレイステーショ(PS)などの当時の先端技術であり、独自のハードウェアのアーキテクチャーの概念を持つゲーム機とは大きく違っている上に、表現能力は大きく劣っていた。さらに、ハードウェア間の性能のばらつきもゲームの開発を難しくした。
そのため、Windowsの環境で、学習したホビープログラマは、技術的に高度化していく家庭用ゲームの開発環境を持つゲーム会社の現場に入るとしても、即戦力になり得なかった。ゲーム会社に就職後、もう一度、PSなりの開発環境を学習しなおさなければならなかった。
■ゲームの開発環境の価格破壊によって多くの参入企業を集めたSCE
家庭用ゲーム機は、現在でも「クローズド」であることが基本だ。これはPSに限らず、任天堂向けであれ、セガであれ同じだった。特定のハードウェア向けのゲームを開発したいと考えた場合には、そのハードウェア会社と、最初に開発契約を行わなければならない。しかも、個人としては不可能で、企業として行う必要があった。それによって、初めてゲームの開発用の環境を購入する権利が与えられる。
開発環境の価格は、ゲーム機の時代によって変わるが、ファミコン時代の初期の開発機材は、1キット1千万円掛かっていた。ファミコンは、数人の開発チームで開発することが一般的だったため、当時は、人件費よりも機材費の方がはるかに大きかった。
後に、ファミコンの機材費は200万円程度に下がったが、スーパーファミコン時代には再び1000万円に引き上がっている。そのため、参入するためには、まず数千万円の開発初期コストを用意することが必要であり、大きな開発資金を持っている企業でなければ、参入することが不可能だった。
しかし、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)は、この部分でも劇的な市場変革を行った。SCEはPS向けに、多くの企業の新規参入を通じて、一本でも多くのゲームソフトを各社が発売することを望んでいたためだ。
PS向けの最低限の開発環境を整えるためのコストを500万円程度にまで引き下げ、当時のゲーム開発環境の価格破壊を行った。また、開発環境の完成度も高かったため、ゲーム産業への参入コストは大きく引き下がり、数多くのベンチャー企業が、SCEと契約し、独自にゲームを販売するサードパーティ(ゲームハード会社と契約をして独自にゲームを開発・販売する企業)が新しいゲームを開発するようになった。
■80年代にホビーパソコンでの経験を持つ開発者が引っ張った90年代
これが、90年代後半の百花繚乱の多様なゲームが登場する時代が生まれる要因の一つになった。すでに一度紹介しているように、開発コストは、やがて特に映像表現が高度になっていくにつれて、機材費よりも、人件費の方がはるかに上回っていく時代へと変わっていくが、PSが発売された当初は、小さな企業であっても、十分に市場で成功するチャンスが存在していた。当時、登場してきて、現在も生き残っている企業には「フロムソフトウェア」や「アクワイア」といった企業がある。
90年代は、PSのみならず、スーパーファミコン、セガサターンなどの日本国内での家庭用ゲームでの激しい競争や、次々にヒットを起こした格闘ゲームの「ストリートファイターⅡ」(カプコン)、「バーチャファイター」(セガ)といったゲームセンター専用のゲームも、次々に新しい分野のゲームが登場していた時期でもあった。
これらはコンピュータ性能の向上によって生みだされたゲーム開発の環境の発展が大きな要因だと考える事が出来る。ただ、もう一方で、ホビープログラマといった80年代に、国産パソコンを触った経験を持つ多数の優れた人材が、ゲーム産業に流れ込んで来たことも大きかったと考えられる。この世代は、現在では40代前後にあたり、いまだに家庭用ゲーム機の主力開発者として一線で活躍している。
■クローズドなゲーム開発環境が一般化したことで抱えた課題
しかし、94年以降、PSなど、クローズドな家庭用ゲームが当たり前になった時代になると、大きな課題が生まれる。Windowsがパソコンの中心になっていったことで、ゲーム会社に所属していない在野のホビープログラマは、家庭用ゲーム機向けのゲームを開発したり、ゲームについて学習したりすることが、事実上、不可能になったのだ。
クローズドな開発環境であったために、ゲーム開発のトレーニングをするためには、ゲーム会社に所属するか、ゲーム専門学校といった教育機関に所属しなければ、ゲームを簡単には開発できなくなった。それは、緩やかに、ホビープログラマがゲーム産業を支えていた土壌を縮小させ、長期的に日本のゲーム開発力を低下させる要因になったと思われる。
ただ、90年代は、ゲーム会社は人気産業でもあったため、有能な人材はいくらでも流れ込んできた。そのため、この問題を深刻に捉えることは、当時の日本のゲーム業界にはまったくなかった。
「あまりに大きすぎる成功体験は、やがて生みだされる危機を予見することを難しくする」が、結果論としては、97年前後の大きすぎる成功は、将来的に日本のゲーム産業に影響を与える課題を覆い隠してしまったように思う。どこの企業(特にハードウェア会社)も、ゲーム会社の外側にいる在野の人たちを、選択的に選んだ一部を除いて積極的に教育しようとしなかった。
■パソコン向けゲームが中心であったために欧米圏で進んだオープン化
一方で、北米は。逆にプログラマのみならず、幅広いホビーゲーム開発者が生まれやすい環境が、90年代の中盤以降、一般化していく。最先端のゲームが、Windowsパソコンで開発され、販売されるのが一般的であったことが大きい。日本では家庭用ゲーム機が中心になることによって、パソコンのゲーム市場はほとんど存在しないと言えるほどに縮小していくが、欧米圏ではそうではなかった。
パソコン向けゲームは、クローズドなプラットフォームでなく「オープン性」を持っていたために、改造しやすい(その中には、違法コピーも混じるため、当時から現在で、大きな課題を抱えているが)。ユーザーは発売されているゲームのプログラムやグラフィックスを改良したりすることが可能な自由な環境があった。その上、それをインターネットが発達していったことで、データの交換が容易になったことで、その状況は加速化した。
日本のゲーム産業とは対称的に、欧米圏では、さらにゲーム開発のオープン化は進み、やがて、ゲーム会社の企業戦略に積極的に取り込まれ、90年代の後半には、数多くのイノベーションを生みだす要因へと変わっていった。
□ご意見、ご質問をお送り下さい。すべてのご質問に答えることはできないかもしれませんが、できる範囲でメルマガの中でお答えしていきたいと思っています。連絡先は、sakugetu@gmail.com です。「新清士オフィシャルブログ」http://blog.livedoor.jp/kiyoshi_shin/ も、ご参照いただければ幸いです。
新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)名理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。日本経済新聞電子版での執筆、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin
・アゴラチャンネル報告
徹底検証 TPPでどうなる? 日本農業!
言論プラットホーム・アゴラの映像コンテンツで、ニコニコ生放送で提供される「アゴラチャンネル」。4月19日は農業ジャーナリストの浅川芳裕氏を招き、池田信夫アゴラ研究所所長と「徹底検証 TPPでどうなる?日本農業!」という対談を放送した。
浅川氏は農業技術通信社の月刊『農業経営者』の編集者として活躍しながら、日本の農業の可能性を訴え続ける気鋭のジャーナリスト。最近では15万部のベストセラーになった『日本は世界5位の農業大国--大嘘だらけの食料自給率』(講談社)が話題となった。最新刊『TPPで日本は世界一の農業大国になる』(ベストセラーズ)では、TPPを受け入れ農作物の関税撤廃などの一時的な試練に直面しても、日本の農業は強みを活かして、成長する景気になるという主張を展開している。
・なぜ農水族は黙ったのか
TPP(環太平洋経済協定会議)をめぐる国内議論が広がっている。関税の撤廃、税関手続きの簡素化などによる貿易と投資をうながすもの。しかし、これによって日本の農業がつぶれると、農家や農業関連団体が反対運動を繰り広げている。安倍晋三首相は、TPP交渉で参加を表明。「なぜか反対が静かだ」と、池田信夫氏が指摘した。
浅川氏は確認できない話としながら、理由を説明した。TPP対策として、「10兆円規模の財政支出があるらしい。その支出をどのように使うか話題になっている。麻生財務大臣が財務省を抑えた」という噂が農業関係者の間に広がっている。浅川氏は「10兆円は多いとは思うが、最近の農協と自民党農水族の沈黙を考えると、何らかの『密約』があった可能性がある」と分析する。
・TPPでも大丈夫、日本の農業
浅川氏は、数字を出して説明した。花、野菜など、低関税品が農業全体に絞める割合は62%。一方で、政治的な問題になっているコメ、酪農など、TPP交渉で手をつけない「聖域」は19%にしかすぎない。おそらく、関税を下げても、日本の農業の影響は「実は、北海道と本州の競争力は全然違う。今、若い農家の人は、反対を叫びながら、TPPに賛成する私を勉強会に呼んでいます」。
それどころか、酪農などにかかる高関税が、北海道などの強い地域が、自由に海外や、日本国内に産業展開することを妨げている面があるそうだ。「農業の出荷額で見れば日本は世界第五位。そして品種の質の高さと、生産管理のノウハウは世界的にみてすぐれているのではないか。TPPで逆に、世界で打って出る可能性が開ける」。このように浅川氏は期待を述べた。
・食品産業と農業を結びつける
「日本の産業の未来は厳しい。これから伸びる可能性があるのは、食ではないか」と池田氏は指摘した。これには浅川氏も同意した。「農作物を関税で保護することで、食品産業の原料費が上がり、国外移転をもたらした面がある。補助金行政では総合的に日本経済を考えてほしい」という意見だ。
農業分野では、「競争による活性化」を考える政治家、行政官がいない。しかし農業の現場では、さまざまな農家が、新しい取り組みに挑戦している。「日本の農業は可能性がある」。これが2人の一致した意見だった。
アゴラ編集部