めるまがアゴラちゃんねる、第042号をお届けします。
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・ゲーム産業の興亡(52)
日本の国産パソコンが生みだしたスターたちのゆりかご


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特別寄稿:

新 清士
ゲーム・ジャーナリスト

ゲーム産業の興亡(52)
日本の国産パソコンが生みだしたスターたちのゆりかご

少し脱線が続いているが、元に戻す。日本のゲーム開発の能力が低下したのは、「失われた10年」があったためだと私は考えている。特に、その傾向が顕著になってきたのは、プレイステーション2世代から、さらに顕著になったのは、日本では完全に失敗した01年のXboxの登場後、アメリカでの市場シェアを取り始めた以降だ。

■日本では懐疑的に見られていたXboxの参入の影響

マイクロソフトは当時開発力を持っていた日本のゲーム会社の参入を促すために、日本の有力なゲーム会社にかなりの新作ゲームの開発資金を提供した。セガは97年に同社にとっての最後の家庭用ゲーム機ドリームキャストを発売したが、その段階で、マイクロソフトはXboxの開発にすでに入っていることが噂として流れるようになっており、セガはマイクロソフトに何度も共同開発の打診をしていた。
結局、マイクロソフト側は、この申し出を断り、Xboxを自社単体での参入に踏み込むことになる。ただ、Xboxがマイクロソフトにとって成功だったといえるのかどうかは、評価が分かれる。

開発初期の中核メンバーは発売時期には、ほとんどいなくなっており、その後、Xbox360世代になると一人もいなくなってしまった。また、結果的に多額の日本企業への投資は完全に失敗に終わっている。一般のユーザーからも、あまりにもサイズが大きすぎるハードであった点や、ディスクに傷がついてしまう問題が生まれたこともあり、評価は低くヒットしなかった。これは05年のXbox360でも変わらない。その後、マイクロソフトは日本市場について、現在では見限っている。

しかし、Xboxについては、いずれ触れることにするが、決定的に日本の家庭用ゲーム機と違っていた点がある。汎用のWindowsマシンとハードウェアのアーキテクチャーが近かったということだ。これは日本のゲーム会社にとっては後々大きなハンデとなってくる。

■マイコン世代とマイコンユーザー向け雑誌

日本のゲーム産業では、83年のファミコン以来、90年のスーパーファミコン、94年のプレイステーション、2000年のプレイステーションと、4〜6年程度の感覚で、新しいハードウェアがリリースされることが一般的だった。各家庭用ゲーム会社にとって、最も重要なポイントは、このハードウェアの切り替え期に大きく変わる技術のトレンドに的確に適応できることに成功できれば、新しい世代に乗ることができる、という点だった。そこに失敗した企業は苦戦する。
すでに書いているが、スーパーファミコンから、プレイステーションへの移行には、3Dのリアルタイムグラフィックスの表現能力が必要であったために、多くのゲーム開発者が自分の持っている技術をそのまま生かすことが出来なかったために、大きな壁となった。

(ついでに、簡単に触れて置くと、現在のソーシャルゲームでも同じ現象が起きている、ガラケー思想のゲームから、スマートフォン思考のゲームへの転換点にぶつかっており、そこへの切り替えが最も成功したのがガンホー・エンタテインメントの「パズル&ドラゴンズ」ということになる。

しかし、94年の3Dへの移行期には、日本のホビープログラマとして育った若い世代が多数入ってきたために、新しい技術の吸収が早かった。現在、40歳前後でゲーム開発者としてベテラン世代となってくる人たちには、「マイコンBASICマガジン(ベーマガ)」(電波新聞社)の存在は大きい。同誌は1982年に創刊され、2003年まで刊行されている。
この本に影響を受けていない現役の開発者はいないと行っていいほどの影響力を持っている。80年代に発売された国産パソコンには、標準でベーシックが搭載されていることが一般的だったことも大きい。誰でもプログラミングの基礎を学べたのだ。

当時、国産機パソコンとしては大きなシェアを持っていたNECのPC-8800シリーズやPC-9800シリーズ、シャープのX1、X68000、富士通のFM-7、FM-TOWNSなど様々なハードがしのぎを削っていた。もちろん実用用途でも使われていたのだが、当時は一通りの機能を揃えると20万円程度の価格がしたにも関わらず、ゲーム開発者を育てた役割は、非常に大きい。もちろん、類書として「I/O」、「ログイン」なども多数登場している。

■「マイコンBASICマガジン」が果たした役割

ベーマガの場合には、ユーザーの投稿によって送られてきたプログラムそのものが、それぞれのハードごとにページに印刷されている。そのゲームを遊びたいと思った場合には、何とそのプログラム自身を雑誌通りに数時間掛けて入力しなければならない。もちろん、うまく行かなくて、エラーが連続することは少なくない。
しかし、それでもマイコンでゲームを遊びたいと思った人たちは、それを入力してゲームを遊んでいた。中級者になると、そのプログラムを改造し、さらに、上級者になると、自分の遊びたいゲームそのものを作るようになったのだ。まだまだ、ゲームの表現能力には多数の限界がある。しかし、これらの書籍がプログラミング学習に果たした役割は大きく、輩出された人材は数知れない。

2010年には、日本のゲーム開発者向けのカンファレンスCEDECで、過去の多大なる貢献に対して、「CEDEC AWARDS 2010(プログラミング・開発環境部門)」の最優秀賞を受賞した。しかし、インターネット登場後の90年代に入ると、プログラムはインターネットでの配布が可能になり、紙に印刷する必要性がなくなっていく。
結局は、販売部数の低下を引き留めることができず廃れていき、2003年に休刊に至っている。マイコンから、Windows95などの汎用ハード時代に移行していったことで、こうした雑誌の役割も歴史的に失われていったという側面もある。これは、他のプログラミングの専門雑誌にも言えることだ。

■国産パソコンから登場した新しいスター

繰り返すが、日本のゲーム会社は、そこで成長してきた人材を多く取り込むことで、90年代は、世界的な競争力を獲得していった側面がある。

私はゲーム開発者のドキュメンタリー-02年の『「侍」はこうして作られた』(新紀元社)を執筆している。この本は01年前後に、プレイステーションからプレイステーション2時代に移行していく中で、ゲーム開発プロジェクトの苦闘を1年あまり追っている。
「侍」というゲームを開発したアクワイヤの遠藤琢磨社長は、ゲームに強いと言われたX68000の経験を持ち、登場してきた人だ。同社は、98年の『天誅』(プレイステーション、販売ソニー・ミュージックエンタテインメント)を成功させて注目を受けた。3Dゲームの中で、忍者となり「敵に隠れながら倒す」というコンセプトはこのゲームが最初と言われている。優秀な人材が流れ込んでくることで、新しいイノベーションを持ったゲームが次々と生まれていたのだ。

ただ、プレイステーション2時代になると、この状況は大きく変わる。技術的に非常に高度なものになるからだ。この次世代では、ドリームキャスト、01年の任天堂のゲームキューブが登場して争うことになるが、結果的にハードウェアのアーキテクチャーが複雑にもかかわらず、プレイステーション2が勝利する。しかし、この世代は完全にゲーム会社の外側にいる人間にはゲームを学習するチャンスがなくなった時代にはっきり変わる。

これは、逆にアマチュアのゲーム開発者を育てる環境を整備することが有利であると認識されるようになったアメリカのゲーム産業と、決定的に違っていた点だ。欧米圏では、オープン化志向が強くなった。この差が、Xbox世代に大きく華開くようになり、現在の開発力にまで大きく影響を与えている。


※ゲーム産業の興亡(51)において、参考書の紹介が抜けておりました。スティーブン・レヴィ『ハッカーズ』(工学社、原著1984)を参照しています。


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新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)名理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。日本経済新聞電子版での執筆、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin