めるまがアゴラちゃんねる、第054号をお届けします。
発行が遅れまして、大変申し訳ございません。

コンテンツ

・言論アリーナ ご報告
参議院選、どうなる政治と民主党・議員会館から生中継
2013年7月22日放送

・ゲーム産業の興亡(64)
マイクロソフトの一般ユーザー向け開発環境「XNA」が抱えていた限界
新清士(ゲームジャーナリスト)


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言論アリーナ ご報告

参議院選、どうなる政治と民主党・議員会館から生中継
2013年7月22日放送 http://live.nicovideo.jp/watch/lv145609750

アゴラ研究所の映像コンテンツ「言論アリーナ」。参議院選挙翌日の7月22日正午からの放送は「参議院選、どうなる政治と民主党・議員会館から生中継」を放送した。出演した藤末健三議員(民主党)の参議院議員会館事務所からの放送で、文化振興とIT政策に詳しい中村伊知哉慶応大学教授を招いた。司会は政策家の石川和男氏だった。

参院選翌日の参議院議員会館は人もまばら。それなのに、落選した議員の引っ越し用に、廊下を傷つけないようにプラスチック板が敷かれ、落選議員の名札がそのままになっていた。「悲哀を感じますね」と中村教授はつぶやいた。議論は、参議院選挙の総括、今回からのネット選挙、大敗となった民主党の行く末をめぐるものについてだった。

藤末議員は経産省勤務後、東大工学部で准教授を務めるなど学会に転じた後に政治家に転じた。民主党政権では総務副大臣などに就任。同党きっての経済政策通、そして論客です。 中村氏は慶応義塾大学のメディアデザイン研究科教授で、郵政省の行政官、政策コーディネーター、社会プランナーなど、多彩な経歴を持つ才人。

石川氏は、経産省勤務の後で、政策研究大学院大学客員教授、東京財団などで研究活動を行い、社会保障経済研究所を創設して代表を務めながら、中立の立場から政策提言活動を続けてきた。3人とも日本の政策立案に官学の立場から関わってきた。

■参議院選挙の総括─民主党信頼が崩壊した

参議院選挙は定数242・改選半数の中で、公示前の84議席から115議席まで議席を増やした。連立を組む公明党と組むと135議席を確保。しかし安倍首相がかかげる憲法改正を可能にする議席3分の2は確保できなかった。

中村氏は「自民党が追い風と組織力を活かして『横綱相撲』を取ったようだった。本当は争点になるべき点がたくさんあったのに、野党に付け入れる隙を見せなかった」と話した。藤末議員は今回、改選ではなかったが応援に全国に飛び回ったところ「民主党への厳しさを実感した」と述べた。「反省しているのか」など、演説にヤジが多かったという。

また自民党の方が、選挙戦術は上手であったという。他議員の応援などがきっちり決まっていた。民主党は東京選挙区で1人を擁立したのに、もう一人の候補に他の議員が応援するなど、選挙の混乱が目立ったという。「敗北した都議選でも次点落選が多かった。選挙戦術でも反省すべきところが多い」と述べた。

■民主党の悪影響─人材の落選による政策力の低下

「ここまで数が減ると、力がなくなる。『数は力』というのは事実だ。しかし、それを集め、政策を成し遂げようとする政治家には厳しい時期が続きそうだ」と藤末議員は厳しさを語った。そして、民主党では政策立案の中心になった東京選挙区選出の参議院議員だった鈴木寛氏が落選。京都選挙区の参議院議員だった松井孝治氏が引退など、優秀な人がいなくなってしまった。「これは党の政策立案能力でボディブローのようにじわじわとダメージになる」という。

今後の展開では、「憲法改正を持ち出したら逆にチャンスでは。政界が再編するし、民主党はそれに懐疑的な人の力を結集できる」と石川氏が述べた。藤末、中村両氏はそれに同意した上で、「今の雰囲気だと、経済優先でやるのではないか。安倍首相は改革派だと思うが、古い自民党がしばらく選挙がないということで、復活しそうだ」(藤末議員)との分析があった。

中村氏は、「1930年代のドイツ、日本のように、政治の混迷や停滞が過激な政治勢力を産む。この3年、与党の安定多数で政治は落ち着くかもしれない。しかし停滞でマイナスのエネルギーも生まれるかもしれない」と指摘した。

ネット選挙が今回解禁された。しかしその力は「まだどの候補も使いこなせてないという感じだ」と中村氏は指摘した。無党派の山本太郎氏、三宅洋平氏などが成果を出したように見えた。「有権者の中心がシニア世代に移っている。若年投票率の低さも考え、もう少し使いやすさと面白さを研究したい」と藤末議員は振り返った。

■「民主党は保守中道に舵を切るべき」

それでは民主党が生まれ変わるにはどうすればよいのか。藤末議員は3つの方策をまず徹底すべきと、述べた。

1・まったく新しい人を表に出し、党のイメージを完全に変えること

2・保守中道路線を明確に示すこと

3・党内のガバナンス体制(人事と報酬)を徹底的に作ること

特に、自民党の右派の力が強まる中で、民主党が生活者のために、そして国民政治のために、対立軸を鮮明にすることは、「日本のためになる」と藤末議員は強調した。

視聴者は6638人、コメント数は1万という反響を読んだ放送となった。「言論アリーナ」では、アゴラ研究所に加えて、いくつかのシンクタンクが協力して映像番組を提供する。アゴラ研究所は、この「アリーナ」(集会場、劇場)を、視聴者の皆さんと共に政策を生み出し、社会を変える場に発展させていく。

(アゴラ編集部)




特別寄稿:新清士(ゲームジャーナリスト)

ゲーム産業の興亡(64)
マイクロソフトの一般ユーザー向け開発環境「XNA」が抱えていた限界

前述のように、ユーザー主導の「イノベーションの民主化」は、ゲーム開発へと広げていく有効性は、01年代に入ってくると、社会的な認知を受けるようになった。04年にマイクロソフトがXbox360向けの開発環境を一般ユーザーにも開放する「XNA」が登場したことで、ゲーム会社の積極的な取り組みへの流れの方向性は、決定的なものになった。繰り返すが、一般のユーザーが先端となるゲーム機を利用できるようになったインパクトは、絶大な物があった。

■XNAで開発したゲームは他のユーザーへの配布は不可能だった
これまで、マイクロソフトの基礎的なコンピュータグラフィックスの開発環境としては「DirectX」が中心だった。それがより簡単かつ学習が容易な開発環境としてXNAが登場したことで、大学といった教育機関に積極的に取り入れられ、定着が進むようになっていった。日本でも、専門学校を中心にXNAは基礎的な学習環境として普及していった。

ただ、XNAの最大の弱点は、XNAで開発したゲームを簡単に他のユーザーに配布することができないように制限がかかっているところにあった。「実行ファイル」と呼ばれるゲームそのものをパッケージ化しても、そのまま遊べる環境を提供する事はできなかった。ゲームを他のユーザーに遊んでもらうには、作りあげたプログラムのソースコードから、利用しているグラフィックスや音楽などのデータをすべて、他のユーザーに引き渡して、相手のXNAの開発環境上でゲームに変換する作業を行ってもらわなければならず、事実上、配布は不可能だった。

もちろん、これはXbox360のような家庭用ゲーム機の収益モデルは、ハードウェアを安価で販売し、各ゲーム会社がゲームをリリースする際に、ディスク毎にライセンス費用を徴収することで、収益を生みだしていくという、1983年以来の「ファミリーコンピュータ」のビジネスモデルを踏襲していることが大きい。ユーザーが、XNAで開発したゲームを、ライセンス費用を徴収することなしに、自由に流通させるような環境が一般化してしまうと、家庭用ゲームのビジネスモデルの根幹が壊れてしまうというリスクが存在していた。

そのため、せっかくXNAで開発したゲームでも、それを多くのユーザーに伝えるということが認められていないのと同じであり、この点については、XNAに向けてゲームを開発していたユーザーは常に不満を抱えることになった。これは、前回紹介した、PS2 Linuxと相通じるものがある。

■状況を変えるiPhoneの「App Store」や「Unity」
少し議論を先取りする形になるが、結局、この問題を解決する事になるのは、08年にAppleから、「iPhone3G」が発表され、ネット流通の仕組みである「App Store」が登場して、根幹となるビジネスモデルの登場だ。Appleは、XNAのように制限を付けることなく、Macを所有しているユーザーであれば、アプリケーションを自由に開発でき、また、App Storeに登録することで、全世界に流通を可能にする仕組みを生みだした。これは現時点での究極のイノベーションの民主化モデルと言える。

その後、次々に、このモデルは利用されるようになった。特にゲーム開発の場合には、ゲームエンジンと呼ばれるゲームを開発するための統合的な開発環境のUnity Technologiesは「Unity」の登場が状況を加速化していく。同社は「ゲーム開発の民主化」を標榜し、世界中の誰でも自由にゲーム開発をできる環境を整えることを企業ミッションに掲げている。

もちろん、これはヒッペルの議論を意識している。09年以降急速に普及が進み、現在では全世界で100万人以上の開発者が利用しており、最も有力なゲーム開発環境の一つに発達している。90年代末に登場したイノベーションの民主化の考え方は、この10年の間に企業戦略の根幹にまで定着してきている。

■イノベーションの民主化の代表例「Linux」
イノベーションの民主化のモデルは、単にゲームだけではなく、同時代的なものでもあることにも触れておきたい。

その代表例としては、オープンソースのOS「Linux」の発展についてだ。これまで、コンピュータの期間となるオペレーティングシステム(OS)は、マイクロソフトのWindowsに見られるように、特定の企業が自社単独で、外部に基礎となるプログラミング部分の情報を開放することなく、開発を行うことが一般的だった。

ところが、フィンランドのヘルシンキ大学の学生であったリーナス・トーバルズが、91年にLinuxの開発を開始し、そのプログラムのソースコードを完全にフリーでオープンに提供し始めたことで、多数のプログラマーが、自由に開発に関わることができるようになった。

そして、実際に、それが行われる様になった。多くの見返りが得られるわけにもないにも関わらず、無償のボランティアによって多くのプログラムが開発され、発展を続けた。やがて、Linuxは現在では、一般的にサーバを動作させるための基幹ソフトウェアとして使われるようになっている。

■発展したLinuxはやがて根幹となるOSへと発展していく
やがて、無償のプログラムにもかかわらず、それらのプログラムを個人が単独で利用する事は難しいほどプログラムは規模の大きなものとして、拡張されていった。そして、どのユーザーや企業でも自由に開発できるものであったにも関わらず、やがて、IBM、オラクル、サンマイクロスシステムズといった、様々な企業が開発に協力するようになった。

これは、プログラムそのものは無償で手に入れるものができるが、複雑化したLinuxのプログラムを、その導入を求めている企業に、パッケージ化して、ソリューションを提供するビジネスが展開できるメリットが明確になったためだ。08年〜10年に開発されたLinuxのソースコードは、75%が企業により開発されたものになり、18%がボランティアに開発され、7%が不明という状況に変わるようになった。

もはや、Linuxはアマチュアの開発者が関わるOSというだけではなく、企業の戦略を大きく左右する存在にまで変化している。

商用利用として、一般化した代表的な例としては、Linuxの根幹となるプログラムのカーネルを利用し、05年に登場したAndroid OSがある。元々はベンチャー企業が開発を始めていたものだったが、Googleが買収。現在の携帯電話端末へと発展していく基礎へと発展する土台となっている。

しかし、開発の初期の90年代には、なぜ無償のボランティアたちが、自分たちのメリットになるかどうか不明瞭なソースコードをボランティアで開発し、拡張していった動機付けは不明瞭な点が大きかった。その動機もヒッペルたちの研究によって明らかになっている。


□ご意見、ご質問をお送り下さい。すべてのご質問に答えることはできないかもしれませんが、できる範囲でメルマガの中でお答えしていきたいと思っています。連絡先は、sakugetu@gmail.com です。「新清士オフィシャルブログ」http://blog.livedoor.jp/kiyoshi_shin/ も、ご参照いただければ幸いです。

新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)名理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。日本経済新聞電子版での執筆、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin