めるまがアゴラちゃんねる
2012年9月第3週
2012年9月第3週
「めるまがアゴラちゃんねる」をお届けします。
コンテンツ
・「ゲーム産業の興亡」(19)GDC2011で問われたゲーム産業の二つの見方
・『気分はまだ江戸時代』連載第009回 「優秀な兵士と無能な将校(その二)」与那覇 潤 / 池田 信夫
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特別寄稿:
新 清士
ゲーム・ジャーナリスト
「ゲーム産業の興亡」(19)GDC2011で問われたゲーム産業の二つの見方
歴史というのは、後から振り返ると分水嶺が姿を現す機会がある。ゲーム産業にとって大きなポイントの一つは、2011年3月の米サンフランシスコで行われたGame Developers Conference(GDC)で行われた二つの講演だろう。
GDCは、毎年3月に開催されるが、年々ゲーム産業への影響力が増している世界最大の開発者向けのカンファレンスでもあり、ビジネスミーティングも行われる機会でもある。
5日間に行われるセッションの数は、400を超え、参加者数も約2万人と規模は巨大化を続けている。ただの技術カンファレンスであったものが、年々ビジネスの場としても重要度が上がってきている。
■老舗任天堂と中小ベンチャーゲーム会社の対立
GDC 2011は、既存の家庭用ゲーム機のビジネスモデルが、ソーシャルゲームやスマートフォンなどのダウンロード型のゲームによって、脅かされる存在へと切り替わることを印象づけることになった年だった。それを引き起こしたのは二人の人物の講演だ。
一人は、一方は、家庭用ゲーム産業の基礎を築き、大ヒットハードウェアの「Wii」に「ニンテンドーDS」と数々のブランドタイトルを持つ任天堂の岩田聡社長だった。
もう一人が、フィンランドの小さな弱小企業に過ぎなかったRovio Mobile(現在のRovio Entertainment)の最高マーケティング責任者(CMO)のPeter Vesterbackaだ。Rovioは「Angry Birds」という0.99ドルで発売されている赤い鳥を主人公としたパズルゲームによって、世界中への席巻をはじめていた時期だった。GDCでのこの二人の意見は交錯し、正面から衝突することになった。
基調講演を行った任天堂の岩田聡社長は、最後に「Industry Concern(産業の懸念点)」として、ゲーム産業が直面している懸念を3つに分けて話をした。第一に職人魂の喪失。第二に進みすぎた分業化が生みだすゲームの全体像を把握でき開発者の達人の登場の難しさだ。
そして、第三の「最も重要な私の懸念」として議論を切り出した。
「2005年のGDCで私は初めて話をさせていただきましたが、当時は参加者の中でモバイルダウンロードまたはソーシャルネットワークのためのゲーム作成に関わった人は少数しかいらっしゃいませんでした。今日、皆さんの大多数が関与されているのではないでしょうか。
我々の業界は確かに拡大しました。しかしそれによる懸念も私にはあります。業界がゲーム開発を生活の糧としている我々全員の継続的雇用を脅かす方向に分かれつつあると私は心配しているのです。」(※1)
アップルのApp Storeに代表されるような「大規模なオンラインアプリケーションストア」に対して、収益の低さを指摘し、暗に収益性の低下が危機を引き起こしていることを懸念として述べたのだ。
「私たちのビジネスに対する二つの全く異なった見方を理解する必要があります。すると一つの質問に突き当たります:価値の高いゲームを作り続けることが、最も優先される事項かどうか? です」
「任天堂は、『ゲーム機は、どうしても遊びたいソフトを楽しんでいただくために仕方なく買っていただくものだ』と考えています(略)私たちは、お客様にどうしてもソフトの高い価値を認めていただきたいのです」
そして、名前こそは直接は出さなかったもののアップルやフェイスブックといった新しく誕生してきていたプラットフォームを念頭に置いていると考えられる発言を以下のように行った。
「これらのプラットフォームには、ビデオゲームソフトの高い価値を維持する動機がありません。彼らにとっては、コンテンツは誰か他の人が作るものであり、彼らのプラットフォームにより多くのソフトを集めることが目標となります。より多くの量を集められればお金が流れるのです。量こそ利益の手段であり、価値は大した意味を持たないのです」
「つまり、ビデオゲームビジネスに対する二つの全く異なるアプローチを我々は今見ているわけです。一つの方向性は往々にしてあまりにも巨大な投資が必要になるものであり、そしてもう一つは高い価値を保たないゲームを供給するものです。しかし事実は、我々が生み出すものには価値があり、我々はその価値を守るべきなのです」
■戸惑いを持って受け止められた岩田氏の言う「ゲームの高い価値」
何千人ものゲーム開発者からなる会場は、アメリカでの講演ではつきものの会場からの拍手は鳴り止まないという感じではなく、むしろ戸惑いとして感じられた。岩田社長の述べる「高い価値」というものが、曖昧に感じられたからだ。高い価値とは、ゲームの内容のことなのか、価格のことなのか、そのどちらのようにも受け止められた。
任天堂であれば、自社ハードを開発でき、自社ハード向けのゲームを作り込むことができる。しかし、任天堂はサードパーティに、アップルのiPhoneや、フェイスブックのような「オープンビジネスモデル戦略」をとって、自由に参入できるチャンスは提供してこなかった。
これは任天堂だけではなく、過去、日本の家庭用ゲーム機会社各社も同様だ。そういう状況ので、なぜ任天堂と同条件を作ることができない多くのゲーム会社が同じ価値を生み出せるのか、という戸惑いだ。極端に言えば、プラットフォーム企業側の論理にしか感じられないように映った。
1ドルで販売されているゲームや、無料で配信されているゲームには「価値がない」と言い切っていいのか。ブームに乗り始めていたRovioのVesterbackaは、自分の講演で、この講演を受けて、任天堂に対する批判を行う。これは現在でも決着が付いていないゲームに対する哲学やビジネスモデルへの真っ向からの対立を象徴する議論へと広がっていく。
(※1)任天堂ホームページ:岩田聡GDC講演内容 http://www.nintendo.co.jp/event/gdc2011/index07.html
新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。連載に、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin
『気分はまだ江戸時代』
与那覇 潤
池田 信夫
第九回
優秀な兵士と無能な将校(その一)
與那覇 さらに敷衍すると、震災後の東京の「パニックを起こさず秩序整然とした日本人」も日本の美徳だみたいに言われましたけれども、あれもどう考えても、人格的に高邁だとか、日本人が立派だからというよりも、「普段通りに自分の職業をこなしていること」がおそらく、日本人に最大の安心感をもたらしたという話ではないかと思うんですね。
私などが当時本当に理解できなかったのは、計画停電しているのに、どうして定時に出社しようと思うのかと。むしろ「いいじゃないか、遅刻しても」と私は思って、池田さんの「アゴラ」に初めて投稿させていただいたのが、池田さんとおつきあいができる端緒だったのですが、そこで書いたのも、「どうして『計画停電で出勤が遅れる』程度でみんなカッカするの?
これまで全部ぎちぎちに、すべてが定時どおりに職務が回っていた社会のほうがもともと特殊だったのだから、ましてこれだけの大ピンチの折、みんな寛容になって、もう定時じゃなくてもいいと思うようになりましょうよ」という話。
しかも、当時は東京も余震でがんがん揺れていた時期でしょう。だとすれば本来、いざとなったら逃げやすいようにジャージとスニーカーで出社した方がいいくらいなのに、なぜかみんなスーツ着てネクタイして出社していたという。
まさしく、自分が普段職場で期待されていた立ち居振る舞いを続行し、それを通じて「自分が属している職業共同体」を再生産することが、震災下でも「日常を維持し続けること」なんだという無意識が、なせるわざとしか思えないですよね。
それは、江戸時代の身分制の下で「職場ごと、職業ごと」に人々にアイデンティティが割り当てられ、さらにそれと収入の維持とがバンドルされて、そのフレームの中で忠実にオペレーションし続けてこそあなたの生活は保障されるのであり、そこからはみ出ちゃったらどうなっても知らないよ、と刷り込まれてきた結果なのではないか。
徹底的に思考や生業のフレームを一つだけに絞っているからこそ、危機であってもスーツで出社できるし、本来の職務と外れる仕事を命令されても「はい、やります」と言えて、ムチャクチャな労働ノルマを課せられても達成できる。
ただし、そういう長所の裏側には、社会の全体や情勢の変化を見渡した上で、従来とは異なるやり方に頭を切り替える能力がないという、究極の短所が貼りついている。「現場」の思考回路がそうやって固定してしまった場合、本来はトップだけでも全体戦略を見直して、フレーム転換を促すべきなのですが...。
池田 またトップがそれに甘えるわけですよ。大阪市の橋下徹市長が大飯原発の再稼働に反対すると言い出して、「去年は別に何もなかったじゃないか。停電しなくて済んだんじゃないか」という。去年は15%節電しろという法律が施行されて、しかもそれはみんな超過達成した。
2割とか3割減らした事業所があって、それでやっと停電しないで済んだのに、上の人は「日本人は何も言わなくてもちゃんと節電してうまくやってるじゃないか」って思ってしまう。
15%というのは日本人に向いてますよね。各現場に一律に15%ノルマ課して、それを職場ごとにブレークダウンして平等に割り振っていったら、あっという間に達成できちゃう。そうするとフレームは変わらないままで、ガンバリズムでやりくりできるじゃないかと錯覚してしまう。
竹内健さん(中央大学)の話では、フラッシュメモリというのは東芝が世界で初めて発明したのに、東芝は発明した舛岡富士雄さんを窓際族にして、彼は東北大学に行ってしまう。その後にiPodに使われてフラッシュメモリが大ブレークすると、つぶれたDRAMの人がフラッシュの事業部長になって「俺がフラッシュを育てたんだ」と言い始める。
現場は窓際に追いやられても一生懸命やっていたのに、年功序列で上に来た人が、全然フラッシュメモリのことを知らないくせに下らないこと言うので、エンジニアがどんどん辞めてしまう。現場は優秀なのに、上のほうが年功序列とかたすき掛けとか、古いシステムを変えない。その一番いい例が政治家ですね。ああいうのしか育たない。これを何とかしないと、現場の強さだけでは乗り切れない。
與那覇 いったいどうやったら、この「現場丸投げ=既存のフレーム依存」を断ち切れるのか。私が最近考えているのは、「私利私欲」ということをもっとオープンに認める社会にしていかないと、日本は変わらないのではないか。
要するに、日本人というのは与えられたフレームの下で頑張ることが「、勤勉」であり「忠誠」であり「パトリオティズム」であり「愛国心」であり、というふうに、みんな思い続けているわけですね。
なので、「非効率だから、そのフレーム替えましょうよ、この際」という提案をすると、「それはおまえが怠けたいから、そう言っているんだろう」とか、「おまえが儲けたいから、そういうことを言うんだろう」というふうに叩かれてしまうわけです。
たとえば、節電にしても一律何%カットしろというのに反論しようとすると、「要は、おまえがやりたくないだけなんでしょ。贅沢したいというおまえの欲でしょう」と叩かれる。ここが、「フレームチェンジができない」という形で、日本社会のボトルネックになっているところだと思います。
そこで日本人は、「そうだよ、おれの欲だ。それでなにが悪い」と居直れない。西洋の場合は、「おれの欲を認めてもらう代わりに、おまえの欲にも配慮しますよ」という形で、いわゆる私的所有権と功利主義的な自由主義に基づく秩序を作ってきたわけですが、日本の場合は、のっけからつまづきっぱなしという印象がありますね。
※ 次号「人間を囲い込むメカニズム」に続く。
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