─ 2012年9月第4週

めるまがアゴラちゃんねる、第010号をお届けします。
また更新が遅れました。申し訳ございません。

コンテンツ

・ゲーム産業の興亡(20)【特別篇】「東京ゲームショウ2012」から見えるゲーム産業の変化

・『気分はまだ江戸時代』連載第010回 「人間を囲い込むメカニズム」与那覇 潤 / 池田 信夫

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特別寄稿:

新 清士
ゲーム・ジャーナリスト

ゲーム産業の興亡(20)
【特別篇】「東京ゲームショウ2012」から見えるゲーム産業の変化

9月20日から23日に「東京ゲームショウ(TGS)」が開催されました。今回は特別篇として、その取材を通じて見えてきているゲーム産業の変化の方向性を4点のトピックにとして紹介します。

今年の東京ゲームショウの出展社数は19カ国、209社で、出展タイトル数が1043タイトルと過去最大でした。ここ何年もゲームショウで発表されるタイトルは続編ばかりが多くマンネリ化していると言われてきましたが、著しく大きく変化が出ました。


1.  スマートフォンなどのソーシャルゲームの存在感が、家庭用ゲーム機の代替えになり得るほどの存在に

今年出展された全体のタイトル数は タイトルで、そのうち、スマートフォンやタブレットを想定したゲームは4割を超えるというほどの数にまで増加していました。

グリーは、来年3月に発売になる「モンスターハンター4」(3DS)という目玉タイトルを抱えるカプコンに次ぐ規模のブースを構えていました。
昨年の初出展時には、TGSの場で携帯電話用のゲームを展示する意味があるのだろうかといった雰囲気で、ブースも人が集まることがなく、常に空いている印象でしたが、おもしろいことに一般日にも、ゲームを触っている人が、昨年よりも明らかに増加していました。今年は、TGSのタイミングに大型の新作タイトルの発表を行うなど、工夫を行ってきたようです。

特に、グリーの田中良和社長が、基調講演の中で、コナミと共同で開発を行っている「メタルギア ソリッド ソーシャル・オプス」の実際のゲーム画面を明らかにしたことが注目を集めていました。
スマートフォンの性能向上を意識した、3Dグラフィックスしており、映像的には「プレイステーション2」世代に達している印象でした。ただし、ゲームそのものは既存のカードバトルゲームと同様のシステムのようです。

世界に通用する大型のフランチャイズを使った、映像表現は、新しいユーザーを獲得できる可能性を示していますが、これは手放しに喜ぶことができることとは言えない面があります。ソーシャルゲームの開発コストの上昇と、各ソーシャルゲーム会社に求められる技術力の水準も高まってくることを意味するためです。
2D中心だったスーパーファミコンが、3Dを求められるプレイステーションに変わり、求められるノウハウがまったく変わった時期に近いと考えられます。特に、ウェブ系の技術によって成功してきた企業が、求められる新しい技術に転換できるかどうかは、重要なポイントになってくるでしょう。


2.ソーシャルゲーム企業にとっての最大の課題として問われる海外進出

対抗するディー・エヌ・エーは出展こそなかったものの、パネルディスカッションやプレス発表などを通じて存在感を示していました。特に、同社と深い関係性を築いて成功しており、初出展となったGloops(グループス)のブースで、海外進出のための包括提携を行ったとの発表が行われ、ディー・エヌ・エーの守安功社長はより同社が日本のタイトルの海外進出を押し進めていくことをアピールしていました。

多くのソーシャルゲーム企業が意識しているのが、欧米市場への進出です。ディー・エヌ・エーは「神撃のバハムート」がiPhone用のAppStoreや、アンドロイド端末用のGooglePlayで、アメリカでのトップセールス1位の状態が続いています。
アジアゲームサミットのパネルで登場した小林賢治氏(取締役 ソーシャルゲーム事業本部 事業本部長)は、4週間のサイクルでイベントを行い、調整を続けていくことで、アメリカのユーザーにも同社の「忍者ロワイヤル」といったカードバトルゲームが、確実に受け入れられるということをアピールしていました。

ただ、私が取材した限りでは、欧米企業の見方では、日本のカードバトルゲームには、どうしてもおもしろさが感じられないとする冷ややかな意見もありました。
現状は、広告宣伝費によってユーザーを獲得している面が大きく、それが止まるとユーザーは急速に減るのではと懐疑的な意見があったのは事実です。今年のDeNAの他社タイトルの展開の成否が、大きく占うことになるでしょう。

これは「Gree Platform」という全世界共通のプレットフォーム戦略を進めるグリーでも変わりません。開発の遅れなどにより、必ずしも、良い評判が聞こえてくるわけではないのも事実です。


3.家庭用ゲーム機向けユーザーにも受け入れられはじめたF2P

この1年あまりの間に大きな変化として上げられるのが、ユーザーがF2P(フリー・トゥ・プレイ)モデルに慣れ始めていることがはっきりしてきたことです。ゲームそのものは無料でスタートして、ゲームが盛り上がるにつれてアイテム課金を行っていくビジネスモデルです。

CESA会長としてバンダイナムコの鵜之澤伸副社長が行った基調講演のなかで、今年6月末からPS3向けにスタートした「ガンダムバトルオペレーション」は、完全にF2Pモデルで、基本無料のアイテム課金ビジネスモデルで展開しながらも、8月末には売上7億円に達し、ほぼ開発費を回収できたことを明らかにしました。
ゲームはゲームセンターに近いモデルで、1プレイすることができる回数に課金する方式です。ほとんどソーシャル要素のない3Dを使った対戦ゲームで、宣伝広告費は既存のパッケージゲームの10分の1にも関わらず、ダウンロード数は57万。

それで、これだけの売上に達していることは、単に携帯電話向けのソーシャルゲームだけではなく、家庭用ゲーム機向けのコアなユーザーも、F2Pに慣れてきたことを示しています。


4. インドネシアを中心に高い注目を受けている東南アジア市場

東南アジア地域といった新興地域が意識されはじめたのが、今年の大きな特徴です。TGSはユーザー向けのゲームの紹介の場というよりも、ビジネスの場としての機能が年々強化されていっています。

今年TGSが意識したのが、東南アジア地域を含めたアジア圏からの参加で、特に注目を受けていたのが、インドネシアでした。政治的に安定的な状態を維持しながら、2億人という人口を抱え、急激な経済発展が進んでいます。
それにあわせて、爆発的に普及が始まっているスマートフォン上でゲームを遊ぶユーザーに注目が集まっています。

ゲーム産業を担当する観光クリエイティブエコノミー大臣が東京ゲームショウを視察に来ており、来年以降さらにゲームに力を入れ、出展ブースの拡大を進めていくという発言もありました。日本と東南アジア地域の新しい連携が、今後急激に進むと考えられるポイントになってきました。
やはり、この分野でも、家庭用ゲーム機にはチャンスがなく、スマートフォンを中心としたソーシャルゲームになっていくことは間違いないと思われます。

収益という面ではまだまだですが、新しい市場形成のチャンスに関心を持つ企業も多くあり、JETROによると、今年に入って、アジアでの海外投資への多くが、ゲーム会社のインドネシアへの進出という話も出ているほどの状態のようです。


まとめとして

プレイステーション3やプレイステーションポータブルなど値下げなどが行われたものの相対的に家庭用ゲーム機市場は、これといったサプライズもなく元気がない印象がしました。任天堂の新ハードWiiUも、バンダイナムコとコーエーのブースでしか実機を触ることができなかったこともあり、話題をさらうというほどにはなりませんでした。

ゲーム市場の転換に、既存の家庭用企業も、新興のソーシャルゲーム企業も対応しはじめており、わずか1年間で、パッケージから、F2Pへの急激な移行が進んでいることがはっきりと見えてきたのが今年のTGSでした。

新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。連載に、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin


『気分はまだ江戸時代』

与那覇 潤
池田 信夫

第十回

「人間を囲い込むメカニズム」

池田 もう一つは経済学で外部オプションというんですけど、日本の組織は外に退出するオプションを非常に狭くつくってあるわけです。私なんか39でNHK辞めたんだけど、「何で辞めたのか」と今までに50回ぐらい聞かれましたね。日本で大企業を途中で辞めるのは、頭がおかしいか問題起こした人ぐらいしかいない。
日本の会社の中では便利屋として汎用サラリーマンとして育つもんだから、会社の人脈は強い。なんとか部長となんとか課長は仲がいいとか悪いとか、そういうことはよく知ってるんだけど、会社の外に行ったら使い物にならない知識だから、どこからもヘッドハンターも来ないし、辞めても使い物にならない。それがわかっているから、勤勉革命で死ぬまで一所懸命でやるしかないわけね。
それはかなり意図的につくっているのです。若いときに給与を安くして、管理職になったらドーンと増える。これは昔で言えば丁稚奉公と一緒ですね。雑巾がけ10年やったら手代にしてもらえる。ただ働きを10年したら、それがサンクコストになるので、もう辞められないわけです。丁稚奉公とか徒弟修業というのは、ゲーム理論で説明がつく。日本の社会は、そういう意味では合理的にできている。人間を組織に囲い込むメカニズムが、いろんな形で多重に仕掛けられているのです。
これは意識的にばらしていかないとダメです。正社員というのは人間を会社の中に閉じ込める仕組みなのだから、そういう敷居を下げて外部オプションを高めていかなきゃいけないのに、民主党政権は契約社員を5年やとったら正社員にしろという労働契約法の改正案を出す。そんなことしたら、4年11か月で雇い止めするに決まってるじゃないか。
一つの組織の中から人間が他の組織に移ることを自由にするような制度設計を考える政治家が出てきたときに、日本は初めて変化の入口に行くことができるんじゃないか。今は残念ながら、政治が逆さまの方向を向いている。

與那覇 しかし、それは言い方を換えると、そこにこそ「江戸時代を終える」ヒントがあるかもしれない。池田さんが丁稚奉公という比喩を使われましたけれども、現在の日本企業の年功賃金も、直接の系譜を引いているわけではないのですが、江戸時代の奉公人に払われていた賃金の体系と結構近いんですね。
若いころはメチャクチャ安くて、年取るごとにどんどん増えていく、だから「途中で辞めると損をする」と。経済学だと強制貯蓄という言い方になると思いますが、若い内は安くコキ使って、でもその分は最後まで、わが社にいたら返してあげますよという仕組みにしてある。つまり、要は個人の利益を「よそに移ったら持っていけない」かたちにデザインしてしまうことで、組織の中に囲い込んでいくと。
そういうしくみは、江戸時代の丁稚奉公の給与体系にも当てはまるだけでなく、もう少し広げると、江戸時代の農家でも同じというか、より深く根ざしているんですね。江戸の身分制=家職制の下では、身分が百姓だからどこの土地でも農業やらせてもらえるかというと、そうではまったくない。家ごとに「耕すべき土地」は、その地元に固定されているわけです。その結果、何が起きるかというと、ある特定の土地でうまく稲を育てるためのノウハウというものが、
同地を割り当てられた「家」ごとに、伝承されていくわけなんですよね。
農業というのは工業製品を作るのとは違って、ある意味一番モジュール化しにくい産業です。要するに、うちの土地だったらここの田んぼは何時から何時ぐらいまでが日が一番当たるから、こういう作業をするんならこの時間帯がいいよとか、でもこっちのほうの田んぼは秋には風がこういうふうに当たるから、こういう対策をとったほうがいいんだとか、土地ごとに応じて「必要とされるノウハウ」は違うわけです。
そこで、江戸時代では家ごとに土地を最初から割り当ててしまって、その土地でうまく耕せるノウハウを、家ごとに伝承していきなさいという戦略をとった。その結果として、とりあえず農業生産に関してはうまくいったのですが、一方で生まれた家や村を離れることのリスクやコストは、ムチャクチャ高くなってしまったんですね。
そういう、江戸時代の農耕社会では一定の合理性を持ったあり方が、明治以降の産業社会にまで受け継がれてきたので、今日でいうところの「行き詰まる日本型社会、日本的経営」というところまで尾を引いてきたわけですが、しかし、どうでしょう。これまでの話をパラフレーズすると、江戸時代のころから日本というのは家ごとに職業を割り当てることで、つまり「家族の生活を人質にする」かたちで、人々を特定の職や場所に縛り付けてきた。
与えられた土地で家ごとにノウハウを蓄積していけば、子孫代々おまえの一家はやっていけるけれども、たとえばそこでお上に逆らったり、俺は自分の土地なんか捨てて都市に出ていくんだ、とかやったりしたら、おまえもその家族も死ぬよ、という形で、家族ぐるみで人質にすることで、秩序が維持されてきた。
サラリーマンが過労死するまで頑張ってしまう理由というのも、まさにそこにあったわけですよね。自分一人が食っていければいいならなんとか、最悪それこそ正社員を辞めて、アルバイトになっても生きていけるかもしれないけれども、家族を持ってしまうと、これは会社を辞めるにも辞められない、ということがあったのだと思います。
しかしそこで裏返すと、では、どうやったら「江戸時代をやめられるか」というときに、晩婚化・非婚化が進んで「そもそも家族を持たない」若者が増えてきた、というのは、ひょっとすると、一つ突破口になるかもしれないなという気がします。

※ 次号「市民的自由をめぐって(一)」に続く。