中曽根康弘元首相(96)が防衛庁長官として訪米した1970年9月、米側に日本への核兵器持ち込みを進言していたことが、外務省が15日に公開した外交文書で明らかになりました。
この発言はこれまでも米側の解禁文書や国会での追及で知られていましたが、日本政府の公開文書で明らかになったのは初めて。核兵器廃絶の先頭に立つべき日本政府の当事者が、日本への核持ち込みを容認するどころか、自ら求めていたことが裏付けられました。
文書は、70年9月9日と14日に行われた中曽根氏とレアード米国防長官の会談記録で、外務省が作成したもの。「極秘」指定しています。
それによれば、中曽根氏は「個人的な考え方であるが、世界の誤解を防ぎ国内のコンセンサスを維持するために核兵器は持たないと(国防の基本方針に)書いた方がよい。ただし米国の核兵器の導入については留保しておいた方がよいと思う」と述べています。
これに対してレアード長官は「将来核の所在については80年代にかけてPOLICY MAKER(政策立案者)がタフな決断に迫られることがあるということを知っておかなければならない」と回答。外務省側は「オキナワを含めて日本に対する将来の持込みに関して発言した感触である」との注釈をつけています。
中曽根氏の発言について82年12月9日の衆院本会議で、日本共産党の不破哲三委員長(当時)が同氏の署名の入った秘密訪米報告書を基に追及。中曽根首相(同)は「私が核兵器の導入を認めるような発言をしたことは全くありません」と虚偽答弁しました。中曽根氏は国民・国会への説明責任という点で、重大な背信行為を行ったといえます。
日米両政府は60年の安保条約改定に際して、米艦船・航空機による核持ち込みを容認する密約(討論記録)を交わしました。この密約は破棄されておらず、今も有効です。
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外交文書は東京都港区の外交史料館で閲覧できます。
(写真)中曽根防衛庁長官(当時)が米側に日本への核持ち込みを「留保」するよう求めたことが記されている外交文書