四君子さん のコメント
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第225号 2017.5.23発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが見舞われたヘンテコな経験を疑似体験!?小説「わたくしの人たち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…豪華2本立て!◆精神科医で立教大学教授の香山リカが著作に「漫画家の小林よしのりさんと対談したんです(中略)小林さんは大学を出ていない。それで、学問に対する憎悪のようなものがあるわけです。」と書いているらしい。この発言から、香山リカという人間は、その全てが差別と偏見だけで出来上がっているということがよくわかる。何故そうなったのか?わしが香山リカの精神分析をしてやろう!◆引き続き、第2次安倍政権発足以降の政権及び自民党の不祥事を検証する。しかし、どうやらとんでもないことに手を付けてしまったようだ。1、2回で終わると思っていたのに、安倍政権と自民党の驕り、高ぶり、無能ぶりを挙げて行ったら、本当にきりがない。しかもそれが現在進行中なのだから、めまいがする。
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…第二の森友学園と言われる加計学園問題にようやく注目が集まり出した。国が50年間踏襲してきた規制も、重要閣僚の意見も押し切って、独断で親友・加計のために押し切っていった様子の安倍晋三。加計学園には37億円相当の市有地がタダで譲渡され、さらに建設費として96億円もの補助金認定まで決定したのだ。そして、この問題にも当然のように登場する安倍昭恵首相夫人!「よくわかる加計学園疑獄年表」で徹底追及!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!「うんこ漢字ドリル」の大ヒット、うんこ表現レジェンドの先生はどう見てる?職場の女性をデートに誘ったら断られてしまい、それ以降その女性の態度が冷たく…どう接したら良い?世間一般では「かわいい」と言われているけど、実は怖いと感じる動物は?痴漢容疑者の線路への逃走をどう思う?「バッシングばかりされる妃殿下が可哀想だから、もう天皇制は廃止した方が良いのでは?」と言う母をどう説得したら良い?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第226回「学問は本人の動機だけの問題だ」
2. しゃべらせてクリ!・第183回「発進!チャマンガーZぶぁ~い!の巻〈前編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第34回「よくわかる加計学園疑獄年表」
4. ゴーマニズム宣言・第227回「第2次・3次安倍政権&自民党不祥事 (その3)」
5. Q&Aコーナー
6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
7. 読者から寄せられた感想・ご要望など
8. 編集後記
第226回「学問は本人の動機だけの問題だ」 精神科医で立教大学教授の香山リカが、著作に 「漫画家の小林よしのりさんと対談したんです (中略) 小林さんは大学を出ていない。それで、学問に対する憎悪のようなものがあるわけです。」 と書いているらしい。読者が報告してくれた。出版社に事実無根と抗議もしてくれたようだ。
わしは抗議しない。訂正されずにこのまま残る方が面白い。
わしは普段、名刺を使わないが、一応名刺の肩書きには「漫画家」としか印刷していない。これで相手の「権威主義」のレベルを計ることができる。
自分を権威づけるには、名刺に「政治評論家」とか、「思想家」とか、「何々研究所 所長」とか書いておく方法もある。だがわしは「漫画家」としか書かない。「たかが漫画家」と思い込む奴の心性を炙り出す効果があるからだ。
ともかく、香山リカの「漫画家 小林よしのり」に下した精神分析が、明瞭になった。
わしは大した大学は出てないから(本当はこれを言うと、大学関係者や後輩がショックを受けるから公的な場では言わない)、別に高卒と思われようと、中卒と思われようと構わないが、「大学を出ていない」という決めつけは、なぜ出来たのだろう?
まさか「漫画家=学歴がない」という思い込みだろうか?
しかも「大学を出ていない」者には「学問に対する憎悪」があると「診断」するのは、どういう根拠なのか?
香山リカという人間は、その全てが差別と偏見だけで出来上がっているということだけは、よーくわかる。「リカ100%差別と偏見」だ。
大学を出ていたら学問が好きで、大学を出てなかったら学問に憎悪を持っているという、ものすごい偏見を香山リカは持っている。
言っておくが、安倍晋三だって大学出てるんだぞ! 内閣総理大臣とは「行政府の長」であるということも知らず、国会で「私は立法府の長」と発言した、小中学校の社会科レベルの「三権分立」すら知らない安倍晋三でも!
そもそも香山は「学問」とは何だと思っているのか?
香山は大学で教わるのが学問だと思っているようだが、それは100%間違いである。学問というものは、義務教育修了程度の国語力さえ身に付けていれば(つまり安倍は無理)、誰に教わる必要もないのだ。
ソクラテスやプラトンの時代から、古今東西に立派な学者は無数にいる。それを古典で学ぶことができるのであり、自分が何かを知りたいと思った時に、その中から選び取ればいいだけだ。
わざわざ、いま生きている学者に教わる必要などない。現在存命の学者なんて、香山リカや八木秀次みたいなクソばっかりじゃないか!
学問に必要なのは、自分の中の動機だけだ。
人間とは何か、宇宙とは何か、人生とは何か、歴史とは何か、社会とは何か、科学とは何か等々、何か知りたいものができたら、全部独学で学べる。
学問とは、自分の中に強い疑問や探究心が湧き上がるかどうかだけが問題なのだ。それもなしにいくら大学に行ったところで、学問などできない。
よく、社会に出てから時間の経過した人が「生涯学習」とか言って大学に入り直したりするが、本人の中に学びたいものがなければ何の意味もない。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
今回は、少しづつ分けてみます(といっても、たぶん長文になると思います。ご容赦ください)。
私にとって、歴史の勉強は、ただおもしろいからやっていた、というだけにすぎないです。
昔の人がどういうことをして、その結果、どうなったのか、という物語が面白く、たとえば荘園制が自墾地系から寄進地系になったとか、本家、領家、預所(あずかりどころ)とかいう所有関係は、あとで学校で習った、といったところでしょうか。
ペロポネソス戦争の歴史とかも、高校の部活でたまたま調べたことがあり、ペリクレスとか、アルキビアデスとかクレオンとかいった人たちの言動が興味深く、その後プラトンの書とかギリシャ喜劇とかで再発見して、ますます面白いと感じた、という感じで、
高森先生や泉美木蘭さんの番組でもとりあげられたことのあった、天之日矛(あめのひぼこ)については、子供向けの文学全集でよんで、なぜこんな話が唐突に挿入されているのだろうか、と違和感を覚えて、その後、高木彬光さんの本でとりあげられてあったのをよみ、興味深かったので、卒論のテーマにした、といった感じです。
世の中の出来事には、何らかのつながりがあるのではないか、と私は思います。
その関連性をみつけ、どこが共通・類似していて、どの点でことなっているかを見いだすことが、その人の学ぶという態度や姿勢につながるのではないか、と思います。
たとえば、あまり共通性はないのだろうと思いますが、「伝説巨神イデオン」という有名なアニメーションがあり、TVでは視聴率の問題などもあって(内容にもかなり問題があったといえますが)、打ち切りになり、映画で完結篇をつくられたのですが、
山本有三の「路傍の石」も当初朝日新聞で第一部まで連載し、完結したのですが、作者が第二部をつくるに際して、展開上の問題を感じて、「主婦の友」に改めて再連載し直したところ、共産主義者が出てくるところが軍部の目に触れ、やむなく中絶し、さらに戦後になって、北清事変のことを描いたところがGHQの検閲にひっかかり、さらに短縮された、といった経緯があります。結局、そのままになってしまいました。
この二つの事例は、あまり共通性がないように感じられますが、私には、ものというのは、自分一人だけの力ではどうにもならない場合があり、外部からの影響や情況によって左右され、未完になったり、完成したりするものなのだ、ということなのだと解釈しています。
もっというなら(これをいうと失礼にあたるのでしょうか)平井和正・石ノ森章太郎の「幻魔大戦」もあてはまるのでしょうか。何とかあの、月が地球に接近する場面を、どう乗り越えたかというシーンを描いてほしかった、と思います。
学問という話からずれてきましたが、わたしはものごとに優劣・上下関係をつけない方が、新たな発見もあるし、自分の未知の領域への興味もわいてくると思うのです。
そもそも、大学を出た、院で学んだということも、その人のその時点での通過点でしかなく、
その後、社会へ出て、知ったことや自分で調べてわかったこともあるわけで、
人は常に何かを学び、死ぬ寸前まで真理を探究し、覚え、理解し、消化して自分のものにしようとするのではないか、と。
ここまでで良い、という満足感をもってしまったら、その時点でその人の成長が止まってしまい、その先へすすむことはかなわなくなるのではないか、と。
こういうと自慢話になってしまうのですが、私の卒業した大学もかなりの名門学校でしたが、肝腎なことは自分で学び、知ろうとしたのではないか、といまにして思います。
学歴で、就職活動で得をした、という思い出がほとんどないのですから。
以前にいた会社の社長が、大学の先輩で何とか入社できたというようなことはありましたが、そこは、その社長の意見しか通らないようなところで、ほかの人が意見しようものなら、勘気をかい、やめざるを得ないようなところだったりしました。
だから、自分とは違う人間であり、ことなっている感性や考えには、耳を傾け、参考にし、己の思考をさらに高めてゆかないといけないと思います。
あと、最初の話にもどりますが、結局のところ、学ぶということは楽しくなければ、関心を持てないものだと思いますし、
そのための、ほかの事象との関連づけも大切だと思います。
私も、塾の講師や電話質問の解答をしていた、そのように心がけていたつもりです。
たとえば、ドリフの志村けんの「アイマイミー」のギャグを見て、英語の代名詞を覚えたというような話をすると、子供はかなりおもしろがってくれました(中学にはいるまで、私はいかりやと志村は、何のかけごえをかあっているのかと、あのネタを見て思っていました)。
そして、そういうふうに工夫したりすると、さらにいろいろなことを自分でもより深く覚えてみようと思ったりもしました。
歴史的仮名遣いに関心を抱いたのも、なぜヴェトナムは「越南」と書くのか、といったことに興味がわいたからです。
しかし、私にはものを誰かに教えるといった能力はなかったみたいで、
塾の講師の方はうまくゆかず、結局失業してしまいました。
しかし、その時に自分で覚えようとしたことは、無駄にはなっていない、と思います。
学ぶ、ということは生きる、ということなのではないか、と私は思います。
ほかにも記したいことはあるのですが、以上です。
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