• このエントリーをはてなブックマークに追加

  • 「中絶は女性の権利か?」小林よしのりライジング Vol.497

    2024-03-12 19:20105
    300pt
    f2595d0d53f7f1e38a592799eb4b4f5bbcb64d85
    第497号 2024.3.12発行

    「小林よしのりライジング」
    『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
    毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

    【今週のお知らせ】
    ※「ゴーマニズム宣言」…3月4日、フランス議会は「女性が人工妊娠中絶を選ぶ自由」を憲法に加える改正案を、賛成780票、反対72票の圧倒的多数で可決。世界で初めて、憲法に「中絶権」が明記された。この日、エッフェル塔は改正案可決を祝って点灯され、「私の身体、私の選択」というメッセージが映された。「中絶」は本当に普遍的メッセージなのか?普遍的な女性の権利なのか?未だに刑法に「堕胎罪」がある日本は遅れているのだろうか?「堕胎」を無理やり明確化しようとすると、恐ろしい思想に嵌ってしまう危険性を理解しているか?「堕胎は女性の人権」という左翼・リベラルの落とし穴、「堕胎は絶対悪」という右翼の落とし穴、それぞれ自覚した上で、日本はどうすべきか考えよう。
    ※茅根豪氏の特別寄稿…強姦罪は明治40年に制定され、平成29年に強制性交等罪へと改正されて、さらに令和5年7月からは不同意性行罪となった。「不同意」という文言から、相手の気持ち次第で罪になるイメージがあるが、法改正によって何が罰せられるようになったのか?今回は「改正の経緯」にスポットを当てて、〈1〉改正に積極的だった国会議員はどんな発言をしてたか?、〈2〉そもそも改正した理由は何だったのか?、〈3〉実際はどんな条文になったのか?、そして、〈4〉不同意性交罪改正の背後にある思想に迫ってみよう。
    ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…元日経新聞記者の後藤達也氏が司会するYouTube番組『リハック』に、3月2日と7日、「週刊文春」の新谷学総局長が出演して、松本人志の問題について語った。その発言の内容を追いながら、週刊文春の問題について考えてみたい。「以前、記事化できなかった件をなぜ今回、記事化したのか?」「被害者の証言を裏付ける客観的な証拠がない」「一方の言い分だけに偏って記事を作っている」「おカネ目的(売上目的)という意識が強いのではないか?」等々の質問に対して、新谷はどう答えたか?
    ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…自分の作品が政治的思惑やポリコレ、フェミ的思潮などに引っ張られた改変をされるのは、やはり許せない?タイパの極致たる「サビカラ」が流行っていることをどう見る?ファイザー製のバイアグラ、リスクを理解した上でも使ってみたいと思う?人は自分の信仰や実存に関わるところまで突き詰めて思想できるかどうかというのは、相当難しいのでは?文藝春秋社の新谷氏の発言を擁護する水道橋博士氏をどう思う?漫画家は己の命を削りながら創作していかなければならない過酷な稼業?原作漫画の実写化はどうあるべき?大谷翔平選手の結婚について、正直、どう思った?トランプが大統領に返り咲いたらどうなる?…等々、よしりんの回答や如何に!?


    【今週の目次】
    1. ゴーマニズム宣言・第526回「中絶は女性の権利か?」
    2. 特別寄稿・茅根豪「不同意性交罪に不安を感じる理由」
    3. しゃべらせてクリ!・第452回「お金持ちを差別せんでクリ!ぽっくん怒りの座り込みぶぁい!の巻【前編】」
    4. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第320回「週刊文春・新谷学総局長の頭のなか」
    5. Q&Aコーナー
    6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
    7. 編集後記




    fa7db878c25875f3e86a522e984d6700db9ebcc9

    第526回「中絶は女性の権利か?」

     3月21日、ついに『ゴーマニズム宣言SPECIAL日本人論』が発売される。
     この本はいわゆるジャニーズ問題を切り口に、欧米の「人権」と日本の「文化」の衝突について描いている。
     この『欧米「人権」VS日本「文化」』という構図は、今後もありとあらゆる場面で登場し、描いていくことになるだろう。

     3月4日、フランス議会は「女性が人工妊娠中絶を選ぶ自由」を憲法に加える改正案を、賛成780票、反対72票の圧倒的多数で可決。世界で初めて、憲法に「中絶権」が明記された。
     可決の際には議員らがスタンディングオベーションで歓迎の意思を示し、エマニュエル・マクロン大統領は、この憲法改正を「フランスの誇り」として、「普遍的なメッセージ」を送るものだと述べた。
     この日、エッフェル塔は改正案可決を祝って点灯され、「私の身体、私の選択」というメッセージが映された。
    「中絶」は本当に普遍的メッセージなのか?普遍的な女性の権利なのか?
     この件に関して、フランスでは1975年に「中絶法」の制定によって人工妊娠中絶が合法化され、今回ついに「中絶権」が憲法に明記されるまでに至ったのに対して、日本には未だに刑法に「堕胎罪」があり、中絶が違法になっているとして、そんな「先進国」ってあるだろうかと、疑義を呈する意見があった。
     だが、わしはそれを聞いて即座に疑問が浮かんだ。
     日本では人工妊娠中絶が年間10万件以上もあるのに、なぜ堕胎罪で摘発が行われたという話を全く聞かないのだろうか?
     その答えはすぐわかったのだが、日本では母体保護法(旧優生保護法)によって、「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれ」がある者や、「暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」については違法性が阻却されることになっているので、堕胎罪はほとんど適用されていないのだそうだ。
     日本の「堕胎罪」は、法としては存在しているものの、ほとんど空文化していたのだ。

     そもそも日本の堕胎罪は1880年(明治13年)に制定された旧刑法に盛り込まれ、それが現在まで引き継がれているものである。
     その旧刑法は、明治政府がフランスの法学者・ボアソナードを招聘して起草させた刑法草案を土台としてつくられたもので、フランス刑法の影響を強く受けている。
     もともと日本の文化には堕胎を罪とする感覚はないのだが、それにもかかわらず刑法に堕胎罪が加わったのは、ほかならぬフランスの影響だったのである。
     本来の日本にはなかったフランスの価値観を「先進的」と思って取り入れたはずなのに、それがいつの間にやら「日本には未だに堕胎罪なんてものがある。フランスと比べて、なんと遅れているのか!」と言われているのだから、おかしな話である。

     では日本の堕胎罪の元祖だったはずのフランスは、いつの間に堕胎を「女性の権利」として憲法に書くまでの「先進国」になったのか? これも調べてみた。
     もともとフランスはキリスト教的父権主義が強い、ガチガチの男性優位社会だった。いつも指摘しているとおり、1789年のフランス「人権宣言」においても人権が認められていたのは男だけであり、女は人間扱いされていなかったのだ。
     そして驚いたことに、フランスでは堕胎のみならず「避妊」までも違法とされていた。
     フランスでは、1920年に成立した法律で避妊と中絶が禁止された。
     劣悪な環境で行われる、ヤミ中絶の手術を受けた女性の健康問題も深刻だったが、避妊合法化法案は11回も国会提議されながら、全てが棄却され、問題は40年以上放置され続けた。当時の議会は男性の支配下にあり、女性の声は全く届かなかったのだ。

     フランスは1965年まで「既婚女性が就職するには夫の同意が必要」という法律が存在していたほどの男尊女卑社会だった。
     事態が動き始めたのは60年代半ば。前回触れたように、アメリカの公民権運動を発端として同性愛者の解放運動(Gay Liberation)女性解放運動(Women’s Liberation=ウーマンリブ)が勃興、女性解放運動は世界的なムーブメントとなり、これがフランスにも波及したのである。
     1966年、リュシアン・ヌヴィルスという男性議員は、離婚紛争の大半が「望まない子の出産」から始まり、多くの女性と子供が貧困に陥っていることを問題視し、女性運動団体や科学者・医師の後押しを受け、避妊合法化の法案を提出した。
     だが議会は依然として男性が圧倒的であり、しかも当時の大統領だったシャルル・ド=ゴールは熱心なカトリック教徒で、「ピル? フランスではありえない!」とまで公言していた。

     この絶望的に不利な状況を覆す方法は、ひとつしかなかった。
     ヌヴィルスは戦略的に、避妊を「文化」ではなく「人権」の問題としたのだ。
     第二次世界大戦における「フランス解放の英雄」であり、「自由フランス」の象徴を自負するド=ゴールは、女性参政権を実現した大統領でもあった。
     そのド=ゴールにヌヴィルスは、「大統領。あなたは女性に選挙権を与えた。今度は彼女たちに、生殖機能を自分で管理する権利を与えてください」と迫ったのである。
     避妊とは「女性が、自分の体を自分で管理する権利である」というロジックをド=ゴールは否定できず、これを認めた。それによって国会でも議論が進み、避妊を合法化する法律が1967年に成立したのだった。

     フランスで中絶が合法化されたのはその8年後だったが、中絶の合法化には、避妊よりさらに激しい反発があった。
     その中で合法化を推し進めたのは、当時の保健相だった女性政治家シモーヌ・ヴェイユだった。
     ヴェイユは無法化したヤミ中絶によって女性の生存の権利が脅かされている実態と、その原因が半世紀以上前に成立した法にあると明示し、「法を現実に合わせる必要がある」と断言。
     そして当時の大統領ヴァレリー・ジスカール=デスタンの命により、「中絶法」の国会審議が始まったのだった。
     フランスで避妊や中絶がことさらに「女性の権利」の問題として語られるのは、このような歴史を経ているからである。
     日本では、避妊や中絶を「文化」の問題で語れる。しかしフランスでは、「人権」でしか語れないのだ。
     フランスでは、避妊や中絶を認めるには「女性が妊娠しない権利」の確立が必要だった。しかし、日本にはその必要がなかった。
     これって、「日本は人権意識が遅れている」という話だろうか?

     フランスで1975年に制定された中絶法は、その後9回改正され、その都度「中絶権」が拡大されてきた。 
  • 「動物権というカルト」小林よしのりライジング Vol.496

    2024-02-27 17:05299
    300pt
    f2595d0d53f7f1e38a592799eb4b4f5bbcb64d85
    第496号 2024.2.27発行

    「小林よしのりライジング」
    『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
    毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

    【今週のお知らせ】
    ※「ゴーマニズム宣言」…わしが「熊権」とか「牛権」とか「基本的猫権」とか書くのは一種の皮肉で、本当に日本人に「動物権」と言えるほどの権利意識があるのかどうかは定かではない。実際にはせいぜい古来の感覚で、動物に対しても自然に同情が湧くとか、ペットを家族のように思うとかいった、感情程度のものに留まるのかもしれない。一方、欧米には「動物権(Animal Rights)」という思想が確固として存在している。果たしてこれは「人権」や「環境保護運動」、「動物保護運動」等とどう違うのだろうか?そしてこれもまた「グローバル・スタンダード」だとして日本にも導入されるのだろうか?
    ※大須賀淳氏の特別寄稿…2024年1月13日に生配信した「歌謡曲を通して日本を語る #5」(https://live.nicovideo.jp/watch/lv343925085)では、チェブリン・モン子氏による「田舎のバス」(元曲:中村メイコ)の熱演が特に大きな反響を呼んだ。実は、この名曲そして(最大級の賛辞としての)迷曲の「生みの親」に迫ると、さらに多岐にわたる「はじめて」や、日本の伝統的な文化や気質から現在のサブカルにまで連なる、実に興味深い道筋までを見つける事ができるのだ。
    ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…2月25日(日曜)に放送された読売テレビ『そこまで言って委員会NP』を見たのだが、皇位継承問題についての短い時間のなかで、竹田恒泰がとんでもない発狂ぶりを晒していた。自分のYouTube配信でわめいているだけかと思ったら、地上波でこんなことを言っているのかと呆気にとられたので(今に始まったことじゃないが)報告する。曰く、「皇室の先祖はアマテラスオオミカミではない!イザナキの神だ!」「アマテラスオオミカミはご存命ですから!死亡診断が出てない!」「一度も皇位継承なんかしてないんだよォオ!!」…一体どうしたんだ!?
    ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…自分の感覚と現実の時間感覚のズレに愕然とすることはある?実は江戸期の手品が世界的に凄いレベルで影響を与えていた!?ハラスメントを無くしたら、戦争の出来る国づくりを止められる!?日本人の「八つ墓村気質」「権威主義」は治らない?ドラマ『不適切にも程がある!』は見ている?自分の作品のアニメ化された作品が気に入らなかったりした場合はどうする?ネットの発言が炎上しやすくなっているのは何故だと思う?…等々、よしりんの回答や如何に!?


    【今週の目次】
    1. ゴーマニズム宣言・第525回「動物権というカルト」
    2. 特別寄稿・大須賀淳「元祖アニソン作家!?三木鶏郎と日本のサブカル」
    3. しゃべらせてクリ!・第451回「夢から覚めたら沙麻代ちゃん!そりともこっちが夢でしゅか!?の巻【後編】」
    4. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第319回「『アマテラスはご存命』錯乱の竹田恒泰」
    5. Q&Aコーナー
    6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
    7. 編集後記




    bfc27b10f775dc2bd8bc7cf7eecae02959d1c565

    第525回「動物権というカルト」

    『ゴーマニズム宣言SPECIAL 日本人論』が3月21日発売される。
     この本では、昨年ジャニーズ事務所に対して吹き荒れた「キャンセル・カルチャー」を題材として、日本には欧米とは異なる、日本独自の文化や価値観があるということを論じている。

     そもそも、日本人に対して「日本には欧米とは異なる、日本独自の文化や価値観がある」などとわざわざ主張しなければならないこと自体がおかしな話なのだが、実際に今の日本人はこんな簡単なことすら見失っていて、いともたやすく欧米の価値観に洗脳されてしまう。その端的な例がジャニーズに対するキャンセル・カルチャーだったわけで、だからこそこの本を書かなければならなくなったのである。
     これからはことあるごとに、「日本には日本の価値観がある」「グローバル・スタンダードの価値観などない」ということを唱えていかなければならないのだろう。
    「人権」にせよ、「民主主義」にせよ、グローバル・スタンダードは存在しない。
     それぞれの国ごとに、その国の文化や歴史に基づいた人権感覚があり、民主主義が形成されるものだし、国によっては決して民主主義が成立しないということだってあるものなのだ。

     さて少々前の話になるが、昨年の秋ごろ、熊が頻繁に人里に出没するようになり、これを駆除したら抗議が殺到したというニュースがあった。
     それについてわしは昨年11月17日のブログで、(https://yoshinori-kobayashi.com/27487/)「最近、『熊権』を主張する人々が現れたことは実に日本人らしい」「欧米人なら『熊権』なんて絶対認めない」「日本人は欧米人とは違う。人間にも熊にも生きる権利があると考えるのだ」と書いたのだが、そうしたら「欧米にも『動物権』の思想がある」という指摘があった。
     確かにそれは事実であり、欧米人の中には日本人の人権よりも「鯨権」「イルカ権」の方が上と思っているような者がいる。だが、これって一体何なのだろうか?
     今回は、この問題について整理しておきたい。

     わしの子供時代、『しゃあけえ大ちゃん』(1964.7-1965.1 TBS系で放送)という子供向けの人気ドラマがあった。
     主人公は岡山の山奥から東京に出てきた大ちゃんという子供で、バカボンみたいな絣の着物に学帽を被った風体で、「しゃあけえ、しゃあけえ」(岡山弁で「でも」「そうはいっても」といった意味らしい)が口癖というキャラだ。
     そのエピソードのひとつに、大ちゃんが普段の食事で食べている肉が、動物を殺して得たものであるということに気づき、動物が可哀想になってしまって「しゃあけえ、食べられんじゃないの~」と言い出すという話があった。
     当時10歳のわしは、子供心にこのドラマにものすごい問題提起をされてしまい、「本当だ、これじゃあ肉が食べられんじゃないか、どうするんやろ?」と思いながら見た。
     そしてこのドラマの結末は、和尚さんみたいな老人が「豚とか鶏とかいうものは、そもそも人間に食べられるために生まれてきたんじゃ」というようなことを言って、それで大ちゃんを納得させるというものだった。

     おそらくこの老人の説明は、仏教の輪廻転生観あたりから来ているものだろう。前世の因縁によって、豚は豚に、鶏は鶏に生まれてくるものであり、人間に食べられることが運命づけられているのだというわけだ。
     ということは、自分が食べた豚や鶏も、今度は人間に生まれ変わるかもしれないし、自分も行いが悪ければ、来世は豚や鶏に生まれ変わって、人間に食べられるかもしれないということになるわけだが、まあ、そんなところまでいちいち考える人はいないだろう。
     わしはその説明で大ちゃんが納得したのに影響されて、「そうなのか~、動物は人間に食べられるために生まれてくるのか~」と、原体験にその感覚が刷り込まれていた。
     それで、ともかく日本人の庶民感覚としては漠然と「豚や鶏や牛は人間に食べられるために生まれてきた」程度の回答でもいいんじゃないかと、今でも思っている。

     だが考えてみれば、欧米のキリスト教文化の方がずっと「動物は人間に食べられるために生まれてくるものだ」という観念は強固である。
     わしは以前、『戦争論3』で、こう描いた。
    「キリスト教は大陸の過酷な環境の中から生まれてきた絶対神、一神教の思想である。
     そもそも日本人は自分たちがどれだけ恵まれた環境の中に住んでいるかという自覚がなさすぎる。
     ヨーロッパでは冬が長く日照時間が少ない。雨も少ない。
     地面は硬質な岩盤で牧草しか生えないが、土地は広い。
     日本のように人間が直接食べられる穀物が育たないから農耕が発達せず…
     牧草を動物に食べさせて育ててから殺して食う。
     動物を殺すことに一切、罪悪感を持たなくても済むように、キリスト教は人間と動物の間に厳格な一線を引いた。
     牛や豚は、人間に食べられるために神様が創ってくださった。
     …そう言って食肉文化を正当化するのが、一神教たるキリスト教だった」
     一見、「動物は人間に食べられるために生まれてくるものだ」という同じことを言っているようにも見えるが、これはかなり似て非なるものである。 
  • 「被害者側に立たない言論は許されないのか?」小林よしのりライジング Vol.495

    2024-02-20 19:15122
    300pt
    f2595d0d53f7f1e38a592799eb4b4f5bbcb64d85
    第495号 2024.2.20発行

    「小林よしのりライジング」
    『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
    毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

    【今週のお知らせ】
    ※「ゴーマニズム宣言」…言論は社会的に正しい(と現時点では思われている)意見しか許されないのだろうか?週刊誌がスキャンダル記事を書いた時点で、加害者・被害者が決定し、社会から「キャンセル(排除)」されることが正しいのだろうか?ジャニー喜多川や松本人志や伊東純也が加害者で、被害を訴えた者たちは、間違いなく被害者であり、疑問を呈したら「セカンドレイプ」とする判断は、正しいのか?草津町長を性加害者として糾弾していた者たちは、自称被害者が嘘をついていたと判明したのち、反省したのだろうか?今や週刊誌が最強権力だ。週刊誌がゴシップ記事のみで、芸能人だろうと皇族だろうと特定人物を社会から排除・追放・抹殺できるのだ。日本人は全員が八つ墓村のムラビトで、全然近代人ではなくて、法というものの意味が完全になくなってしまっている!
    ※笹幸恵氏の特別寄稿…あちこちの資料館などで土器を見ていると、時折おもしろい企画に出会うことがある。そのひとつが「下手な土器」!資料館や博物館に展示されている土器は、言ってみれば完成度が高いから、美しいから展示されているわけで、それらは縄文土器の一部でしかない。熟練のワザを見せつけられて、それが縄文土器のすべてだと思い込んでいた自分の何と浅はかだったことか。縄文人といえば、誰もが無条件で上手に土器が作れる・・・・・・なんてこと、あるわけがない。きっと皆、熟練者の才能に圧倒されながら、その域まで何とか到達しようと血の滲むような努力をしていたに違いない。彼らはどんな思いで技術を磨いていたのだろうか?想像を巡らせ、今日もまた縄文沼にハマっていく!
    ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…ネット配信で特定の番組を見る習慣ができている人は、まだそう多くないと思うが、それぞれ小さな狭い空間の中で、ごく一部の人しか知らないものをすごく楽しんでいるという状態だと思う。で、この小さな空間のなかでも、「エッ!?」と思うことと行き当たることがある。そこで、今後たまに、私が興味を持っているYouTubeの中の世界について書いてみたいと思っている。今回注目するのは、YouTubeと亡霊から生まれた新世代のネトウヨだ!
    ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…ロシアの侵略を受けて国内一致団結と思いきや汚職が多発しているウクライナにシラケ中!?2025年大阪・関西万博は延期や中止にして、能登地震の復興費用を優先した方が良い?原作者が嫌いだからこのドラマは見ない、ということはある?現代社会はあまりにも「潔癖」を望み過ぎておかしくなっているのでは?伊藤純也の性加害疑惑報道、わざわざアジアカップの最中に盛り下げるような報道をどう思う?ギャグ漫画家としてずっとギャグに拘って全うするのと、途中で路線変更して漫画家人生を長引かせるのとではどちらが良い?…等々、よしりんの回答や如何に!?


    【今週の目次】
    1. ゴーマニズム宣言・第524回「被害者側に立たない言論は許されないのか?」
    2. 特別寄稿・笹幸恵「縄文人のトライ&エラー?~〈下手な土器〉をめぐって~」
    3. しゃべらせてクリ!・第450回「夢から覚めたら沙麻代ちゃん!そりともこっちが夢でしゅか!?の巻【前編】」
    4. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第318回「YouTubeと亡霊から生まれたネトウヨ」
    5. Q&Aコーナー
    6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
    7. 編集後記




    5a87067c4204ab8ee8c0bed617b83a46674fc5cf

    第524回「被害者側に立たない言論は許されないのか?」

     言論は社会的に正しい(と現時点では思われている)意見しか許されないのだろうか?週刊誌がスキャンダル記事を書いた時点で、加害者・被害者が決定し、社会から「キャンセル(排除)」されることが正しいのだろうか?
     その社会的正しさが間違っていた時は、誰が責任を取るのだろうか?
    「地球は丸い」という言論が罰せられていた時代もあったのだ。
     ジャニー喜多川や松本人志や伊東純也が加害者で、被害を訴えた者たちは、間違いなく被害者であり、疑問を呈したら「セカンドレイプ」とする判断は、正しいのか?
     草津町長を性加害者として糾弾していた者たちは、自称被害者が嘘をついていたと判明したのち、反省したのだろうか?

     わしは月に1回「週刊エコノミスト」の巻頭エッセイ『闘論席』を担当しているが、ここでも「キャンセルカルチャー」に対する批判を書き、「自称・被害者側に立たない」文章を書いた。
     ところがこれに編集部から異議が唱えられ、担当編集者や編集長と何度も協議を重ねたものの、書き直しを余儀なくされてしまった。『闘論席』を担当して5年以上になるが、そんなケースは今回が初めてである。
     まずは、わしが最初に書き、ボツになった原稿を読んでもらおう。

     ジャニー喜多川という人物が存在した痕跡まで抹消せよとする「キャンセルカルチャー」は、次の標的にお笑い芸人・松本人志やプロサッカー選手・伊東純也を選んだ。
     しかし、これを煽動している週刊文春や週刊新潮の記事を熟読しても、彼らのやったことは絶対にレイプではなく、何の犯罪行為でもない。
     週刊誌は「レイプ」とも「性犯罪」とも書かず、「性加害」としきりに書いているが、それは何なのかが問題なのだ。
     どうやら、それはセックスを目的とした合コンのことらしいが、合コンで出会って気に入った男女が即ホテルに行くことなど、膨大にあることだろう。同意があるなら、それを非難できない。
     松本人志ほどの有名人なら、スキャンダル記事を恐れるのは当たり前で、女遊びも難しいのだろう。「性接待」などと表現しているが、拉致したわけでもなく、女性が拒否できたのなら、犯罪性はない。
     人間の下半身の話は醜悪になるのは当たり前で、週刊誌は何ら犯罪にも当たらない、単なる不良の行儀の悪い遊びを、レトリックで嫌悪感を催す記事に料理しているだけである。
     男だろうと、女だろうと、遊びでセックスしている者は多いし、異性を道具扱いしている女性だって普通にいる。遊びの性的関係から、ロマンチックな恋愛に発展することもあれば、怨恨が残る関係になることもある。
     たとえ遊びの性的関係から怨恨が残ろうと、あくまでも私的な問題であり、それを週刊誌が社会正義を背負ったかのように書き立てて、才能ある人物を抹殺するのは社会の損失である。
     キャンセルカルチャーを正義とする風潮には、決して与してはならない。

     これのどこが悪いのか未だにわからないのだが、とにかく「被害者」の言い分に配慮していないのがいけないらしい。
     締め切りの翌日、担当編集者が仕事場に来てスタッフと協議、それをもとに、上の文章を書き直した原稿を送った。
     だがそれでも納得してもらえなかったので、わしが直接電話して、まず週刊文春の記事中から、「レイプ」に該当する記事を送ってくれと頼んだ。わしは毎回週刊文春の記事を赤線引っ張りながら読んでいて、文春が一度も「レイプ」という言葉も、「性犯罪」という言葉も使っていないということを確認していたのだ。
     担当氏は誠実な女性で、全部の記事を読んでくれて、最初の一回だけ「性的被害」と見られる記述を見つけたと報告をくれた。松本が無理矢理、フェラチオをさせたという証言だが、そのことを「レイプ」と表現されてはいない。この証言が真実なら、「性被害」とは言えるかもしれないが、なにぶん「証言」しかないので「犯罪」と立証することが難しいだろう。
     担当氏はわしの言い分を分かってくれて、自ら「修正案」を考えてくれた。それは、この編集者は相当に有能だとわしが確信するほどの文案だった。

     その議論の最中に、もしそれが性犯罪ならば、なぜ被害者が「刑事告訴」しないのかと言ったのだが、編集部側が言うには、昔はレイプは「親告罪」だったから、被害者側が「刑事告訴」しなければならなかったが、現在は法律が変更されて、レイプは「非親告罪」になったから、被害者の刑事告訴の有無は問題ではないという見解だった。
     
     レイプは2017年の刑法改正までは「親告罪」で、それまでは確かに被害者が自ら「刑事告訴」をしなければ事件とはならなかったが、法改正によって現在は「非親告罪」になっており、被害者による告訴がなくても事件化できるというのだ。
     じゃあ、被害者が何も訴え出ていなくても、警察が週刊文春の記事を読んで自主的に捜査に入り、松本人志を逮捕する可能性があるというのか? もしそんなことがあったら、恐るべき警察国家だということになる。
     実はこの時点で、わしは「親告罪」「非親告罪」についてよく理解していないところがあったため、その先の議論はうまくかみ合っていなかった。
     そこで、後で調べてわかったことをここに書いておく。