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すむすさん のコメント

トップページ刷新、新動画のアップなどなど、とても楽しませてもらって・勉強させてもらっています。
先月息子が産まれ(これで悪いおじさんにはなれなくなりました。良い父親にもなれるかどうかあやしいのに)、育児の合間に各種動画を新旧問わずチェックしています。

たとえばモダンポリリズムがもう4,5年は経過していることに驚きましたが、定着こそすれど陳腐化はありませんね。「菊地さんのあの話の意味、すこし分かったかも」みたいな感じでときおり学習しなおすことが多いです。
(はじめてポリリズムに出会ったとき、気合だけで4と5に分割していたことが懐かしいです。「次小節からは125%テンポを上げて5拍子にするんだ、とか・笑)

「NK」から「nhk」にする、その想像力が一種の免疫ですよね。まったく考えつきませんでした。
私の場合は略称と誕生日を合わせて「AK16」になって「銃のモデルみたいだな」ぐらいだったのですが、あらかじめ欠損している略称を入れて何かつくれないか遊んでみます(笑)。
No.10
48ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 再放送中「となりのシムラ」が、市川準の「会社物語」や、流れ行き着く藤子不二雄の「劇画オバ Q 」のような、意義は認めるが非常に苦いものであるのかどうかずっと考えていて、志村けんのマザコンぶりは、独身貴族という生き方、よりも、母親が亡くなってから(2015年)体調から何からみんなぐずぐずにーーしかも、ゆっくりと時間をかけてーー崩してしまった(「志村 de ナイト」最終回の、アル中的な痛々しさは、母親の三回忌が済んでもなおの、止まらない自滅感として、文字通りの泣き笑いで記憶されるものでしょう)、という点に顕著だと思いますが、再放送中「となりのシムラ」の、母親逝去直前の、心技体揃った絶好調ぶり(結局、あの形態のまま亡くなったので、最終完成形でもあるわけです。因みに、「となりのシムラ」は第一シーズンが2014年の母親死亡直前で、志村けんは2016年、母親を失ってから体調を崩して休養し、「となりのシムラ」ラストシーズンは、復帰後になるので、母の死をブリッジオーヴァーした作品です)と、それをプレゼンテーションする NHK の、ある種のダークなセンス(少年ドラマシリーズとか、サラリーマンネオとかに一貫して流れる)は、一言で言うならば「非常に厄介」で、一言ではなく二言になってしまいましたが、そう言う意味でも非常に厄介です。「志村けんが、メタコントの構えの中で、怒った演技をすると異様にリアルで、本当に怒ってるように見える」と言うのは、「すごいけど、見たくなかったもの」の代表だと思われます。「優等生が悪ぶって見せているだけだと思ったら、思いの外その優等生の気持ち悪いダークサイドが見えてしまって困った」と云う、あの感じです(「優等生が悪ぶっただけで、特に困らない奴」が「ハムラアキラ」でしょう)。  
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