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 まあまあ、特に今、鮮やかに思いだしたい訳でもないだろう人がほとんどだろうけど、昨年末に一度戻る。

 

 大晦日は、恒例ピットインニューイヤーライブなんだけれども、24、25、27と出たんで、流石に出なくてよくなり(まあ、出たとしても、コッチはぬけの殻だ)、僕はこれまた毎年恒例(数えたらもう24年目だった)、「夜電波」の、レコード探偵ボブこと、中村ムネユキくんと2人で忘年会をするのである。元々中村くんはペン大の楽理の生徒だった。

 

 学生だった頃から中村くんは、彼がおすすめの盤をまとめて持ってきてくれるようになり、それがあまりにも素晴らしすぎるので、僕のお勧めと合わせて鑑賞会をやり。というのが、「夜電波」が形成されてゆく下地となった。 

 

 うおっとびっくりしたあ!昨日、電少のラストライブ観て渋谷系のことばっかり考えてたら、大晦日だと思っちゃったよ!まあ<映画に憧れる音楽の大晦日だった>。と言えなくもないけれどもムッフー。何せ電少は音楽としての自立性の臨界まで来ている。昨日も書いたけど「曲が終わっても拍手がない」んだよね。演劇(歌舞伎とかも含めばもっと)だって途中で見栄切りがあって拍手するでしょ。それもない。なぜか?映画だからだ(「日本人が見る」とする。アメリカ人は映画に対し、音楽のコンサートぐらい拍手喝采するから)。

 

 もうこれ以上、音楽が映画に寄生 / 擬態 / 同一化を起こすことは出来ない。「ライブを全て映画作品として完成させ、映画館で上映する、という活動内容のバンド」という、一種の極限値に出て来て欲しくもなくもないが無理でしょ。ビリオネア~トリリオネアが「映画制作」に目もくれなくなった今、映画は産業としては発達化

 「これが今年最後の日記」とか言っても、明後日には来年なので大した意味はないのだが、年の瀬に電影と少年CQの解散ライブ(ハッピーエンディング)を、サウンドチェック~リハーサル~本番の途中まで観てきた。

 

 僕は関係者だからバックヤードや私的な感想を書くことは出来ないが、よくある話、というかフロイドのベーシックだけれども、音楽家(電少はチーム性が高いが)自身が特に自覚的でないままに、非常に示唆的で図式的な構造が読み取れるので、まとめてみることにする。

 

 それは「映画に憧れる音楽」と「音楽に憧れる映画」という対比の、ポップミュージック内での歴史についてだ。

 

 「音楽」の部分に充当するものは、対象物である「映画」が総合芸術と言われるぐらいなので、色々あるように思えるが(ファッション、ダンス、料理、等々)、映画は「総合」というよりも実際は「視聴覚芸術」なので、視覚と聴覚のマリアージュしか

ビュロ菊だより

「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。

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菊地成孔

音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。

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