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こう君さん のコメント

 菊地さんこんにちは。最近彼方此方で菊地さんのご活躍を拝見することができ個人的にはすごく嬉しいです笑

 町山さんの事についてですが、1つ、ここでもTwitter上でもあまり議論されていないキーとなる部分があると思い、拙い文章ですが書かせていただきます。
 それは町山さんもご自身でカムアウトしているADHDについてのことです。
 ただ注意点として、(1)専門医の診断を得ず、衝動性や文意の読み取りが苦手といった自己診断で名乗っているだけならこの仮説は成り立たない (2)私には専門医の診断を受け、ADHDの可能性があると判断された世界で一番愛しているパートナーがいる為、ADHDの方に対して差別や侮辱する気持ちは一切無いこと この2点を踏まえた上で、もし町山さんが本当にADHDであるならば、氏の不可解な言動も理解できるのではと考えています。
 ADHDの特徴として物事の優先順位がつけられないというものがあります。これは物事を効率的に進めることができない、というより自分の中での引っ掛かりを優先するということです。例えば菊地さんは小鳥たちの扇動とトランプとTwitterジャンキーについての話をしているのですが、町山さんはそれよりも自分の出自について、メールアドレスの入手経路、実際の小鳥たちの数の方が引っ掛かりが強いためそこばかり気にしてしまいます。さらに大きく見るとトランプが悪であるという引っかかりは相当強く、如何なる正論も悪に飲み込まれてしまいます。
 要は町山さんは逃げたり、話を逸らそうとしているのではなく、何故菊地さんから対談を申し込まれることになったのか本当に全くわかっていないのだと思います。他の引っ掛かりが強いため町山さんの中でそこまで話が進んでいないからです。
 菊地さんが口酸っぱく仰っているSNSの危険性ですが、今回はさらにADHDの特性がそれをブーストしているのではないか、そして真のリベラル、フェミニズムといった考えはADHDの方との相性がよくないのではないか(引っかかりによって結論が白か黒かに帰着しやすい傾向にある為)とも考えています。

 多少の根拠はあるにせよ、一方的な憶測で書いてしまい町山さんには非常に失礼で申し訳なく思うのですが、こういった考えから自分の中で町山さんの言動を少し理解できた気がしたので今では町山さんに愛着すら抱いています。
 結論として何を言いたいのか自分でもよくわからなくなってしまいましたが、もちろん町山さんを全肯定する訳ではありません。今回の件だけでなく、過去の町山さんの言動もこの特徴をもとに新たに読み解ける部分があるのではと思います。

 P.S. もう何処かでおっしゃられているとは思いますが、安価で飲めるおすすめ赤ワインなどございましたらご教示いただければ幸いです。
No.56
47ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 雨である。雨であるだけで素晴らしいのに、雪と混じりつつある。こういうのを淡雪という。重ねて、素晴らしい。淡雪を見ながら日記を書く。明治時代の文豪にでもなった気分である。    大体、10時から11時の間に起床。という、微妙な昼型が定着しつつある。これだと3時に眠くなるので、「真夜中」という時間も楽しめる。先日、 DOMMUNE に長時間出て、終わり、一人で外に出た。    僕は渋谷という街が元々苦手だった。やっとここに来て、「少し苦手ではなくなるかな」と思ったのは、テレビなどで盛んに見る、「渋谷の再開発」の様が、とても気に入ったからである。宮下パークには行ってみたい。寿司仲間の間で噂の寿司屋が出ているという情報も入手した。僕は何十年かぶりで、渋谷にワクワクした。それは恋に似ている。恋に似てる何か。    しかし、 DOMMUNE があるパルコ周辺は、その区域の(今の所)外である。だが僕は、外に出た瞬間、踊り出したくなる程舞い上がった。    誰もいなかったからである。    それは映画のセットのようだった。端的に懐かしい。これは、昭和の渋谷だ。60年代、映画の大手 5 社には全て「日活銀座」「東宝銀座」「大映銀座」といった、屋外型セットがあった、チネチッタにあったヴェネト通りを、フェリーニは「実際のヴェネト通りよりも、私にはセットの方がリアリティがある」と言った。    コンビニがなく、公衆電話がたくさんあり、歩きタバコが吸い放題で、終電を過ぎると、ほとんど誰もいなくなり、やっている店は大通りにはない。そんな光景が、コロナによっていきなり現出した。    それまで7時間以上パルコに閉じこもっていたので、エレヴェーターのドアが開いた時には、声に出して「うわああああああああ」と漏れてしまった。    30分ほどタバコを吸いながら歩き回り(一人も行きあたらなかった)、色々なことを思い出した。僕が通った音楽学校は池尻大橋にあった。僕が教鞭を執っていた音楽学校は渋谷にあった。様々な人と、渋谷を歩いた。常に居心地の悪さを感じながら、胸がときめいていた。    コロナが僕に与えたものは、概ね全て楽しいものだった。しかし、もし、真綿で首を締められるような、誰にでも共感してもらえるであろう閉塞感が、ネガティヴなものとして僕の中に堆積しているとしたら、コロナはこの一瞬を持って、それを全て精算したと言えるだろう。僕には、空気が綺麗に見えた。  
ビュロ菊だより
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