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koyajidogさん のコメント

>>18
1日記1コメと書かれているのに、どうしても1つだけ、、、私、瀬川先生の隣町の出身でした、先生が牛込柳町、私は牛込北町生まれなんです。母はそこで私が12才まで、古いレコードを掛けるジャズバーをやっていました。あ、あけましておめでとうございます、名前おぼえていただいて嬉しいです、今年もよろしくお願いします!
No.25
35ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 親の因果が子に報い、と言うが、僕は何度も繰り返したように生みの母と育ての母が姉妹で、育ての母が統合失調(昔日は「精神分裂病」と呼ばれていた)なので、要するに母像が分裂している。そして、そのラインでかどうかわからないが、父親は1人だけであるにも関わらず、不像も分裂している。  菊地徳太郎はもし生きていれば99だし、知可子(実母)は97である。要するに僕は、彼らがもの凄い恥かきっ子(両親が老いてからの子供。の意)として僕を産んだお陰で(というか、彼らは若くして長男秀行を産みーー世代的な常識でーー多産を計画していたが、死産が4人続き、6男である成孔をやっと生きて世に出したので、疲れ果てて倒れたのである。僕が死産していたら彼らは妄執に突き動かされて、60代になってもトライしたはずだ)、僕は小学生の頃から、クラスメートたちよりも早く両親を失うな。と思っていた。    もし穏当に30歳で両親が僕を生
ビュロ菊だより
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