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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>13

 いやいやいや。東山社長は音質なんかで育っていないと思いますよ笑。ジョニーズ勝ち組はボクシングの歴代チャンプに相当します。「ラディカルな意志のスタイルズ」は、僕がサックス奏者としてリハビリ終えるまで準備すらできませんので笑、「反解釈2」は、現在無音で行われていると思ってください笑。どーいう意味か、さらにわからなくさせていると思いますが笑。

 というか、庶民のおっさんがおいくつか分かりませんが、全体的にこのコメント、一つ前の日記にある、茂木健一郎さんの「ジャニーズに騙される人たちは」と同じ立場にいるような気がします笑。ジョニーズは日本芸能誌に永遠の名を残す金字塔であり、それは、恐るべきことに、昭和→平成→令和にかけて、下がるどころかぐんぐん上がっていると僕は評価します。アイドルカルチャーは、芸能全般(CDPRGやキングクリムゾンなんかも含めた)が、社会的に20世紀以前に戻っていることに並走している一つの偉大なルネサンスであると思います。
No.15
15ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
「ジャニーズ事務所の社名変更に関して」  「株式会社ジャニーズ事務所(英名「 Johnny & Associates, Inc. )」が絶対的な悪であるか善であるかについて、僕個人の考えはないでもないが、今回の考察はそこではない(僕は幼少期に「性被害未遂」までは経験している一個人であることも、ここでは置いておく)。    彼の社が、社史の原点から性被害 / 加害を構造的に組み込んで発展してきたとならば、それは許されざる事実であって、何らかの制裁が必要であることに異を唱えるものはかなり少なかろう。僕も制裁は必要だと思う。    だが、制裁は複合体的(=コンプレックス)であって、とりあえず、拠点 / 局所だと思うポイントを、制裁者全員で手分けし、丁寧に丁寧にほぐして行く必要がある。   <藤島ジュリー景子氏の退任を迫る>というのも正攻法の一つであるのは理解するが、ジャニーズ事務所は資本金わずか1000万円であり(明記されている)、年収入は1000億円だと言われている(推測)。しかも代表取締役社長が東山紀之氏、代表取締役が藤島ジュリー景子氏で、氏が株100%を持っている。繰り返すが100%だ。株主として主要も筆頭もない。全部持っているのだ。    株式会社としてこれは最強の座組である。俗にいう「同族会社(大塚家具がそう見做された程度以上の意味で)」どころではないガチンコだと判断できる。代取を辞任させても正直、屁の突っ張りにもならないだろう。    そこに<名>の問題が提案される。誰が最初に言ったとか、そういう事は全く知らないが、「社名を改称するべき」という声が上がっており、考え方次第だが、「そっちの方が屁の突っ張りにもならんわ」と思う有識者も多いだろうと推測できる。    だが実際は違う。<名>を含む言霊の力は凄まじいものがあり、実際に、制裁方法の提案は「ジュリー氏の退任」と、「社名の変更」しか挙がっていない。という事実も、僕の考えの傍証となる。僕の個人的な考えに依れば、「<名>の変更」というのは、ある対象を無力化する、意味を変化させる、という目的の上では、少なくとも「現状での代取の退任」より遥かに効果的なのである。    結論を述べる前にフライングするが、「アーレフ」という<実質上の改称実行>は「オウム真理教」という概念自体を消去していない。「え?改称が最強なんじゃないの?」と思う方がいても致し方ないが、これは改称の悪例として挙げているのだ。    「アーレフ」を「元、オウムでしょあれ?」と音声で発言したり、脳内で発生する方は多いだろう(事実関係は別として。だ)。    つまり「アーレフ」という改称は「オウム」という<名>を解体 / 変容していないどころか、反復させ、強化しているとも言えるのである。<名>というものは、発声される音声としても、発声されない文字列としても、こうした側面を持っている。    なので「改称」に関する、というか、僕の考えた「改称」の<名>を、世に問おうと思う。    これは勿論、彼の社が改称に踏み切る場合、「公募」の形を採らない限り、有効性はない。ので、公募される事が前提となる。制裁法が公募になるというのはかなり抵抗があるとあるだろうが、これは慣習によるもので、原理的には可能だし、前述、改称も内部で実行されたら、そもそも改称の最高案である僕の案が採用されない。流石にそんな事はないとは思うが「日本東山株式会社」であろうと「新ジャニーズ事務所」でも、効力は前述の構造によって「アーレフ」と同等か、それ以下になるだろう。  僕の改称案はこれだ。かなりの試行時間を有したが(ウソ。一瞬で思いついただけ)、原理的にこれしかない。選択肢は存在しない。それは何かというと      <ジョニーズ事務所(あるいは単に「ジョニーズ」)>      である。    理由はどなたにも瞭然であろう。    現在、英語の固有名詞をカタカナ表記に、つまり日本語に表記するとき、「 JOHNNY 」は、100%(つまり、彼の社名以外、すべての類例で)「ジョニー」と発音されるからである。「ジャニーズ事務所」は、日本で< JOHNNY >を「ジャ」ニーと表記 / 発音する唯一例なのである。<名>の解体行為としては、ここを突くしかない。    「ジョニー・ウォーカー」「ジョニー・ B ・グッド」「ジョニー・サンダース」「ジョニー大倉」「ジョニー吉長」と、ウイスキーとロックンロール関係しか拾っていないのは僕のボキャブラリー不足であって、いくら有識者が類例を探そうとも、絶対に< JOHNNY >は「ジョ」ニーだ。    「ジャ」ニーズの唯一性は、その社史の唯一性と深く結びついている。    試しに、逆方向になるが、実際に発音して頂きたい。「ジャニー・ウォーカー」「ジャニー・ B ・グッド」「ジャニー大倉」「ジャニー吉長」    <名>を形成する「言語」というものは恐ろしい。「あれ?ジャニー・ウォーカーとかジャニー・ B ・グッドと言った方が<本当の発音>に近いかも?」と思う方が多いからである。    これは言語が持つ緻密な構造による錯誤である。他言語から日本語に直接発音をコンバートする際、母音の発音に関して単純化、画一化しなければいけないのは前提であり、この前提は、感受性と習慣性に律されていて、<本当の発音>というのは幻想である。我々が取引している実態は、純然たる日本語(の外来語)なのだ。    「パースナウ・カンピューラ」は、<本当の発音>に近い、とか遠い、といった問題系にあるのではなく、日本人の感受性(例えば「恥ずかしさ」)と習慣性に乗っ取られた結果だ。昭和の老人が「ファンタ」を「ハンタ」としか発音できなかったのも、<本当の発音>との遠近法ではなく、感受性と習慣性という関門を通った結果である。    「一体、何が言いたいんだ?ベイビー(あるいはベイベ)?」という方も多かろうから補足するが、ここまでの論法上、「○○○(元ジャニーズ)」と言われても書かれても解体どころか強化 / 保存に繋がるのはご理解いただけたと思う。私感だが、「ウォルト・ディズニー」が、世界中のエンターテインメント(あるいは「エンタティメント」)界で最強なのは、ディズニー法に代表される権利への強権的なまでの執拗さだけではなく、同盟国である我々の言語に於いて、そもそも、同等の強度がある「 WALT 」も「 DISNEY 」も前例がなかったから、以前に「ウォールト・デズニー」案も「ウァウト・ディズネイ」案もなかったからであろう。    さて   「ジョニーズ事務所(元ジャニーズ事務所)」    は、書かれ、呼ばれるだろうか?僕の予測では書かれも呼ばれもしない。ものすげー煩雑だからだ。「ジョニーズ(元ジャニ)」ですら、ギリギリで無理だと推測する。やっぱり超めんどくさい。    煩雑さ=めんどくささ=脱力=白ける=実行しない。という連鎖を生じさせるのは、原型を解体する、ほぼほぼ唯一の手段である。    別れた恋人の写真や贈り物などの縁(よすが)をすべてゴミ箱に捨てて心痛を抱えるより、写真を見ても、名前を聞いても、一緒に行ったディズニー・シー(ディズニーに何かの執着があるわけではなく、神田伯山氏にアンサーしたいのだが、このタイミングしかないので。念のため)で買った、思い出のマグカップを手に取ろうが、心が「白け」て冷めて / 醒めて / 覚めてしまう方が、恋情を解体するのに有効であることは、どなたにも同意いただける筈だ。    と、いかがだろうか?「ジョニーズ」が、「ジャニーズ」を解体、無効化、変化、させる力がいかほどかご理解いただけたと思う。   *     *     *     *     *    ここでネクストステップに上がる。「(英語圏での)愛称」「略式」についてだ。     JOHNNY と JOHN はわかりやすい相互愛称関係になる(「 JOHN 」が「 JOHNNY 」の略式相性とかではない。かのジョン・レノンが、バックヤードでメンバーに「ジョニー!」と呼ばれている音声はたくさん残っている)。    が、この場合、正式名称が「 JOHNNY 」なのだから、「 JOHN 」は略式愛称となるだろう。  この論法でゆけば、全てが「ジャン」になる。「関ジャニ」は「関ジョニ」になるし、「ジャニーズ WEST は」「ジョニーズ WEST 」になる。「ジャニーズ・ジュニア」は「ジョニーズ・ジュニア」になる(現行の略式は、単に「ジュニア」だが。これについては後述する)。   「ジャン・レノン」「ジャン・コルトレーン」「ジャン・ウィリアムズ」「ジャン・ F ・ケネディ」「ジャン・トラボルタ」だ。「ジャン・レノン」が、もうギリギリで「ジャン・レノ」になってしまうリスクはお分かりいただけるだろう。    さて、僕はイタズラに「略式愛称」の話を持ち出したのではない。最後のこの一点を指摘しておく。    すでに「ジャニーズ・ジュニア」が「ジュニア」と略されるという事実は記したとおりであるが、僕の予測では、何故、「ジャニジュ」もしくは「ニーズ」と略されても感受性的にも慣習性的にも何ら問題はないのに、かつ、千原ジュニア氏の略名と混同されるリスク(千原ジュニア氏個人に関しての話ではない。現在、略名「ジュニア」は、千原ジュニア氏しか存在しない。というだけだ)を冒してでも、「ジュニア」とされるのは、<もし噂が本当らならば、最も性被害を受けていそうな母集団である、ということになりうる彼らを「ジャニーズ」とすることへの、集団的、無意識的な抵抗の結果>だと思う。  だとしたらこれは去勢だ。僕よりもずっと早く。僕が提案しているのは去勢のような瞬間的なものではなく、中枢の無効化 / 変化 / 解体であるが、方向性はほぼ同じだ。個人の提案よりもはるか先に、集団が無意識的な抵抗を起こしている可能性がある。こういうこともよくあるケースだ。  以上が、僕が考える「株式会社ジャニーズ事務所(英名「 Johnny & Associates, Inc. )」の、日本名の方の、最強案で、目的は「ジャニーズ」という、非常に特殊な表記例の特殊性をついて、その名を冠した母体への制裁を行い、母体の意味や力を無化 / 解体することである(母体の無価値化が最強のミッションなのかどうかは、有識者に譲る)。前述の通り、これは公募制にならないと、無効どころか、俎上にも上がらない。公募制の実現とともに、「ジョニーズ」を強く推奨したい。   <追補>     今回の論法をもとに、懐かしき「新 加勢大周」の件や、真新しい「 X 」の件について、何が起こっていたのか / いるか、考察していただければ幸いである。「 X 」はまだ「 Twitter 」を葬り切っていない。のではなく、永遠に葬れない、なのに、葬ろうとしているのである。そして汎用度の非常に高い、「 X 」という文字=名に、悪い日本語でいうと「アヤをつけた」格好になった。シンプルに、もう、過去の牧歌的な時代のように、のびのびと「 X 世代」とか、「次の大物はあの X 」とか言うことはできなくなり、既存固有名詞である「 X-MAN 」「仮面ライダー X 」等々には、悪い日本語で言うと、「染みをつけた」ことになった(言うまでもなくイーロン・マスク批判ではない)。 * これをアップするとほぼ同時に、ジャニーズ事務所が例の発表を行ったので「また引いた笑」と自らに呆れている。冒頭に年月日が書いてあるので重複になるが、これを書いたのはジャニーズ事務所の発表を受けて、つまり後出しジャンケンではない。    コアファンの方であれば、僕が後出しジャンケンはしない、というか。そもそも出来ない「早出しジャンケン小僧」で、あまりに早く出すので、石でも紙でもハサミでも、ポリリズムでもポップアナライズでもマイルスへの 20 世紀的視点の転換でも、世界中の誰にも相手にされない、ということを続けながら、一方で要りもしない引きばかり強く、「アイアンマウンテン報告」のリリパが9 / 13だったり、「 HOT HOUSE 」の初回開催日が3 / 13だったり、「ラディカルな意思のスタイルズ」のファーストライブ「反解釈1」の前日にゴダールが自死したり、と言ったことが日常的になっていることをご存知かもしれない(まだ、「菊地成孔って、菊地秀行の弟なんですね!」といった、昨日生まれたばかりの新生児がいることは、少子化が問題視されるわが国に於いて喜ぶべきことだろうが)。    どうやら公募は行われないようなので、僕のこの案は文中にあるように、歯牙にもかけられないだろう。現在、僕が最も豊かだと思う文章は、 SNS によって狭められた、イージーなチャラかしか、カチンコチンの生真面目でもなく、「どっちなのかわからないような文章」なので、増殖的に思いついたギャグの大半(「現在、半ば懐メロ化してる UA が<悲しみジャニー>と絶唱したら、怒るとか笑うとかじゃなく、妙な気分になっちゃうだろうが」とか「あのマイルスでさえ、短躯コンプレックスから、パーカーのバンドにいた頃まで、「ジュニア」と呼ばれていてーー本名であるマイルス・デューイ・デイヴィス・ 3 世(=父親も「マイルス・デイヴィス」)ーー、ある日ブチギレて「俺のことを金輪際ジュニアと呼ぶんじゃねえ!!」とキレたのだから」とか、「関ジャニ」がさらに略されて「関ジョン」になったら、発音的に K-POP に近づいてしまうではないか。その他山ほど。は全て割愛した。    以下、会員の皆様へ。    病み上がりで一挙にたくさんの仕事をしたら、サックスケースが持ち上がらないほど疲れたので(嗚呼)、大変申し訳ありませんが「大恐慌へのラジオデイズ」は一週お休みさせて頂きます。申し訳ありません。
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