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田畑 佑樹さん のコメント


(詳細は私事なので伏せますが)今年の初夏に、高校2年生の3人組と数時間過ごす機会があり、せっかくだから彼らの世代がどんな音楽や映画にふれているのかについて探りを入れてみたことがありました。「最近観た実写映画は?」と問われてもピンときていないようであること、アニメ映画では『コナン』や『ワンピース』よりも『スラムダンク』や『ハイキュー!』のほうが人気であること(←男子グループ特有の偏りかもしれませんが)など、ちょっと話すだけで既に面白かったのですが、メインストリームの音楽関連として「YOASOBIはどうかな? 好き?」と訊いてみたときの反応は特に興味深いものでした。
「いやあ、夜遊びなんて……そんな……」
「えっ、歌手のYOASOBIじゃないの?」
「あっ、そっちか(笑)」
 成人が高校生に対して「夜遊び好きか?」なんて訊かないだろうよ(笑)と内心微笑ましく思いながらも、彼らは「いやあ、YOASOBIはもうそんな聴かないっすね」「あれって流行ってるの?」と私の質問自体が不可解なようでした。
「みんなが聴いてたのは『夜に駆ける』あたりの頃かな」
「そーうっすね」
「あのあと『アイドル』もう一回バズりが来て、世界的なヒットになったはずだよ。クラスではあんまりそんな話もしない? 【推しの子】含めて」
「そうだなあ、もうあんま話さないっすね」
 という流れで、彼らの日常で漫画&アニメ関連のタイアップがどう消費されているかにも興味が沸き、追加で色々訊いてみたところ、『鬼滅の刃』は漫画連載終了後もう殆ど話題にも挙がらないこと、というか週刊少年ジャンプの最新号が出た日に漫画の話が共有されることすらほとんど無いこと、いま(当時=つまり今年の初夏)に一番流行っているのは Creepy Nuts の例の曲であること。など、面白い知見ばかり出てきました。とくに最後のトピックは、「あのブンブンラブンブンってやつ」と言われたのみで、「Creepy Nuts の曲?」とこちらで補助線を引いても「かな? 多分それっすね」と曲名とアーティスト名が必ずしも一致していないようである。などの判断材料から、現在Z世代と呼ばれている人々の消費サイクルは凄まじく速いと思われました。菊地さんが示しておられる “なんかそれらしいのを聴いているのはZ世代じゃない” という見解も、全くその通りだと思います。

 消費サイクルについてある程度掴めた以上、逆に「いまZ世代と呼ばれている人々のアーカイブ感覚」についても概観できたらいいなと思ったのですが、さしあたり私にはまだ掴めずにいます。とくに、Z世代的な「ヒット曲」のアーカイブ化が、我々のような20世紀人がよく知る「ヒット曲コンピレーション(CD数枚組)」と同じような形態をとって(←より正確には、CDの媒体が単にweb上のプレイリストに置き換えられて)・ある程度ノスタルジーの対象となるのか? が気になっています。 YouTube のコメント欄には(国籍・言語圏問わず)「2024年でもこれ聴いてる人〜?」と挙手を募るメッセージが数年前の曲にも・数十年前の曲にも問わず付けられているのが常ですが、 YouTube やニコニコ動画に個別にアップロードされた単数の作品がノスタルジーの対象となることは有り得ても、「あの時代」そのものが一絡げにされて複数のコンテンツが懐かしまれることはあるのかな? との疑問に際して、いまのところ私は、「自分が属した過去の世代を懐かしむ行為自体は退潮しないが、そのアーカイブを編集・共有する手段と媒体は20世紀人が考えるものとは全く別のものになる」というふうに想像しています。

 それと関係あることか解りませんが、いまZ世代と呼ばれるミュージシャンで地元のライブハウスで演奏している(現状アマチュアの)人々と話してみると、その技術がとても整っていて・審美的なセンスも直接的に感じられるにも拘らず、「演奏の参考にしているミュージシャンはいますか?」と訊いてみると「いやあ、それが……居ないんですよね(笑) あんまその……聴いてなくて」と返されることがあまりに多く、そのたび圧倒されます。よくある「ネットの教則動画漁ってるうちにできるようになった」的なことですらなく(特に私がふれているのは動画投稿者ではなくライブハウスでの演奏者なので)、やってみたら、できた。というタイプの人々がZ世代ミュージシャンの中にはとくに多く存在するかのようです。20世紀人の私としては、「実は彼(女)らの中にも過去のアーカイブは汲まれていて、いきなり最新の変種が出てきたわけではなく、その採集と編集のしかたが20世紀人の目からはとくに洗練されているように見えるだけなのかも」と、あるいはもっと反省的な見方として「実際のところ彼(女)らは20世紀的なアーカイブは全く相手にしていなくて、そのような元手なしでは物事を考えられない私のような視点が彼(女)らの新しさを過去のシミュラクラとして錯視しているだけなのだ」と仮説を立てるしかない状態です。

「今の若い人たちすごいよなあ。俺らの世代とは比べものになんない」という賞賛のしかたもそれはそれでおじさん仕草なので、できるだけ具体的にいまZ世代と呼ばれる人々の内部感覚(←自身の内部に既成の表現がどのように蓄積されているか、に纏わる感覚)を理解してみたいとは思うのですが、こればかりはやはり凄まじい速さで変動している特異的事象であるはずなので、さしあたり定まった見方を(個人的な見解ですら)持てずにいます。しかしこのような変動を人々から実地に感じ取れる時代は本当に豊かで、不穏で、ワクワクします。

 菊地さんは、いまZ世代と呼ばれる人々(とくに生徒さん)と接するなかで、アーカイブ的な内部感覚の特異性に驚かされたことはありますか? 私はこのコメントで音楽関連のことばかり書いてしまいましたが、彼(女)らのファッションセンスの特異さにも驚かされることが多くあります。やっている音楽のジャンルによって、ゆらゆら帝国みたいだったり声優系ゴスロリみたいだったり、スタイリングの方針は明確なのですが、個々のアイテムの選択がもたらす全体的な締まりの良さが飛び抜けていて、そのセンスはどのように形成されたのだろうと不思議に思うことがよくあります。最も重要なのは「(少なくとも20世紀ファッション的な意味で)金をかけているようには思われない」ことで、これは貧しさとアーカイブ化の両トピックをまたぐ、きわめて現代日本的な特徴だと思っています。
No.1
2週間前
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 ずっと両腕と手首と肘と肩、そして後頭部と目が痛い笑。頭は眼精疲労のせいで、両腕はキーパンチしすぎだ。ノートブック PC で腱鞘炎になるとはね。そもそも考えてみれば、っちゅう話だけれども、「完全書き下ろしの単著」というアイテム自体が生まれて初めてなのであった。    「スペインの宇宙食」なんて「ゲットアップウィズイット」みたいなもん(=あちこちに散逸した非正規音源の寄せ集めだマイルスのアレは)だし、マイメンとの共著も、最新の対談集を除けば大学の講義録という元手があったし、正直、雑誌連載、 WEB 連載という「元手」がないのがこんな大仕事だとは思ってもみなかった笑。気が狂いそうだ笑。    僕のような遅咲きの老人でも、紙媒体の連載さえ「歌舞伎町のミッドナイトフットボール」で早々と終わっており、残る連載は(個人的に最も愛着がある「服はなぜ?」を除けば)全て WEB 連載で、講義録とて美學校と東大2個と慶應だけだ(単発の講義も含めば、僕は25大学の教壇に立っていると言うのに。来年からまた立ちたい。今の方が昔より遥かに大学講師として優れていると思うんだけれども)。    まあまあ山籠りみたいな感じで、万年床でカルモチン喰らいながら書いていた坂口安吾というのは美化も良いところだとして、じゃないとネカフェなんてトライアウトにしたって行くわけがない。アレだったら音楽用の貸しスタジオ(っていうか100% NOAH だけどさ笑)で書いた方が1000倍良い、というか比べられない。建築物全体のオーラが全然違う。なんだあすこはソフトクリームばっかいっぱい食わせやがって笑。  
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