田畑 佑樹さん のコメント
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今、ふと気がつくと「極道の妻たち」の、最初の4作(岩下志麻から3作で一回りし、岩下志麻がカムバックするまで)の事に異様に興味が出て、やっぱり五社英雄の1作目はヤバくて、もう予告編からフォントの出し方がものすげ、、、、、「あ」と言って再生を止めた所だ。疲労が抜けきっていない。とするのが最適説ではないかと思う。なんでこんな事をしているのだろうか。検索画面は、岩下志麻の極妻が10作目まで製作され、それが V シネの先駆となった、高島礼子ヒロインの「 video 版」移行して5作製作された。とあるままだ。夏目雅子が「テレビ版」の主演だとばかり思っていたが、そういうものは存在せず、それは「鬼龍院花子の生涯」で、なななな何と、こっちのが先で、どっちかというと「極妻」の元ネタなのであった。五社英雄だし。しかし家田荘子、今、返還しようとしたら「言えた倉庫」と出て、そのまま検索したら AI が「言えた倉庫」は、日本語
ぜひお尋ね申し上げたいのですが、菊地さんがそれによって体感された “興奮しない”・“去勢されたような、爽やかな気分”は、私が前段落で書いたような「無調」系の音像を(菊地さんの耳が)聴くことによるそれと似ていたり・または同じであったりしましたか? 菊地さんがいわゆる「熱演」を好まれないことは存じておりますが、今回の日記で書かれていた “涼しさ” が「熱演」の対極に存在する質のものなのか/それともその “涼しさ” は「熱演」と併存しうるものなのか、について知りたく思いました。
また、日記末部の “ロマンティーク” も “(無調的な?)涼しさ” と並存しうるものなのかも知りたいです。菊地さんがお書きの内容から察すると、 “(無調的な?)涼しさ” が「ギル・エヴァンス技法」へのスイッチによって “ロマンティーク” に移行もしくは止揚された結果のように思われますが、上方倍音列はあくまで平均律のビットマップを侵犯しないものである(←合っているでしょうか? 倍音について不勉強なまま書いているので不安です)ため、クォータートーンが混ざった “涼しい” 音像と「ギル・エヴァンス技法」による “ロマンティーク” な和音秩序は共存しうるのか/それとも原理的に齟齬が生じるのか、などについて、一般論というよりは菊地さんが感取された内容をお聞かせ願いたいです。
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