田畑 佑樹さん のコメント
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今僕は、起きてからすぐに朝食シリアルであるケロッグのオールブランに「アーモンド効果」「無調整豆乳」「メグミルク」のミックスをかけてから1分ふやかして、適度なカリフワ感にしてからそれをスプーンで食べて、食べ終わるとボウルにミックスミルクが残る、それに UCC の缶コーヒーを注いでアイスオレにしてから、自分でメニューを組んだ5分間トレーニングをして(腰の骨折と足の靱帯断裂と肉離れの後遺症が、まあまあ本当に、医学書に書いてある通り、昨年からまとめて出始めて 、完全な運動不足になってしまったので、焦らずボディ・リメイクとリハビリを兼ねたものをしないといけない)、汗を拭き(風呂には入らない。夜もやるので)日が出ている最中はルアンさんのソロ・ライブ、コドモ・スパンクハッピーのライブの、あらゆる準備をしながら(結構大変だ。ルアンさんのソロデビューは新音楽制作工房が一手に引き受けるし、ゆっきゅん君やコドモに比べてノーマークだから、全部ぶっ飛ばすクオリティを出さないといけないし、コドモはコドモで、 saeko さんが振り付けをし直したり、新曲もあるし。自分 DJ なんかノー準備ですよまだ)、なんか適当な、62歳独身独居の男性に相応しいことをいくつかして、晩飯を主に最近は大戸屋で済ませ(いきなりえぐいことを言うが、大戸屋は「ジャンク」に分類して良いと思う)、25時になると、そのまま早朝9時まで「刑事コロンボ研究 下」の執筆に入る。
「ポルフィーリーがコロンボの元ネタ(ではない)」検証のくだりも、前提としてまかり通っている周知事項の問い直し=批評の本分としてとても強固に書かれていたと思います。というかこの件は私個人にとっても痛くて、私は20歳前半の頃ロシア文学耽溺者だったのですが(うわあ)、そこで Wikipedia 程度の知識で「コロンボってのはポルフィーリーなんだぞう」的に思ったり書いたりした時期があった、というか菊地さんの御著書を拝読するまでそのままでした。
じつは今年の春(貴著が出版される直前)に引っ越しのため蔵書を片付けたのですが、そのときドストエフスキーの文庫本全部を処分し(笑)、さらには貴著で(江川卓がポルフィーリー=コロンボ節を唱えていない証拠として)取り上げられていた『謎とき 罪と罰』も一緒に捨てていました(慄笑)。これは精神分析的に考えれば、私は菊地さんのコロンボ研究書出版告知に由来する予期不安によって部屋の中にある後ろめたいものを処分する必要に迫られていた、としか言いようがありません(笑) 『別れのワイン』でいえば、ボトルを岩礁に投棄するシーンに相当しますね。
(ちなみに、日本のロシア文学愛好者には「『カラマーゾフの兄弟』ってのは内容から考えてもおかしいだろ。『カラマーゾフ兄弟』に邦題を統一しろよ今からでも」と主張するセクトがあり、私も一時期その一員でした)
「ポルフィーリーがコロンボの元ネタ(ではない)」検証のくだりは、TV連作の探偵シリーズ=コロンボと既に古典入りしたロシア文学=ドストエフスキー長編、これらふたつの間で異なるファンダムにより異なる株価が設定されていたことの喝破がとても面白く、かつそのようなペダントに傾いていた身からすれば痛い話でした。
菊地さんは、以前『ララランド』の追補で「ヘタウマにも階級がある」ことを明らかにしてもおられましたが、このように作品そのもののみならずそれを珍重する人々の心的経済論についても言及できる明察は、他に得難いものだと思います。その文を読んだあとで作品への態度が(権威や暴力によるシャクティパットではなく、精神分析的に簡明な指摘によって)変わることが批評の価値だとすれば、菊地さんのコロンボ評以上のものはないでしょう。上巻末に収録されていた2話ぶんの批評だけで長さは全く感じられないほど面白かったので、下巻の出版も心待ちにしております。
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