理論派は感情をデータやシグナルとして扱っているでしょうから、
この人は怒ってる=自分の行動が期待とズレていた
悲しんでいる=ならば軌道修正が必要か?
などと背景にある仕組みを分析しがち、
って勝手に思っていますが。

この分析が理論派にとって最大の優しさ(と自分でも思う)だけど、
まず初めに感情を受け止めてほしい感情論者にとっては、
非常に退屈であり、冷たいと感じる所以なのでしょうね!!

今世紀の大発明をした気分でいるけど、
往々にして正しさや論点、起因は何か?と整理をつい優先してしまうし、
ひとこと「つらかったね」が先に入るだけでも変わるのでしょうが、
何となくはそれを理解してても、
「それを言って何の解決になる?」と思ってしまい、
どうしてもその一言が難しい時もある。

例として、相手が怒ってる時、
その怒りが正しいかもわからない時、
自分が慰める意味がないと感じる。

感情論者が求めるのは気持ちをわかってほしいという共鳴であり、
だから筋の通った理解をしようと言葉を差し出し理屈で整理しようとするが、
感情の波が早すぎて、理屈が追いつく前に温度差が生まれる。

ニーズがズレているだけで、冷たいのではない。
言葉を温度に変えて伝えるのが苦手なだけで
理論派は普通に愛らしいと思う。