田畑 佑樹さん のコメント
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ステージの「そで」ってのは、だいたいがまっくらなもんで、ロウソクをつけるか、なんじかんも闇目をならさないところんじまう。おれはてんさいサックスしょうねんというふれこみでうりだされたけど、ほんとうはステージ「そで」にパクがいて、テナーサックスをかみくだくぐらい、バリバリにふいて、おれはパクのえんそうにあわせてテナーサックスをふくまねだけしていたんだ。おれたちはさいこうのコンビだったのさ。
からだをくねらせたり、ブリッジをしながらステージのはしからはしに、ゆっくりすすんでいったりすると、おれのかおは、たちまちまっかっかになって、そのうち、ねらいすましたタイミングでズボンをずらし、ちんぽこのさきっちょをだすと、お客はキチガイみたいになって、たちまちたっぷりと金がもうかるって仕組みだ。
このことは、グループからはけんされてやってきた上林さんがきめたこととはいえ、このまちでジャズのビジ
それとは別に、 “「即興」という概念を手軽にいい加減に扱われたときのジャズ・ファンの心性というものは、一般にほとんど知られていないのではないか?” という、『ベルギー王立音楽院のビッチェズ・ブリュー』でのご指摘も、ノヴェル類とは全く逆の意味で印象に残っています。わたしは非ジャズ演奏家ながら、これによって「ジャズマンの文筆業を軽々しく即興のそれに準えるような褒め方はやめよう」と思うようになったのですが、先日菊地さんのXアカウントに投稿された非・短文(←あれを「長文」と呼ぶのは躊躇われるのでこの表現にします)に対して「ジャズマンらしい即興の文体だな」と指摘しているアカウントが別個に3,4体ほど観測されて(微笑)、2020年台になっても ジャズ=即興 というところで思考が止まっている状態とは一体何なのか、と純粋に面白く思いました。
とくに、あの非・短文にはビュロー菊地チャンネルに既発の文が再収録され・そのことに本文でも言及されていた、音楽作品に直喩するならパンチイン編集もしくはリミックス音源のような性質だったのに、「長くて複数のトピックが扱われている=即興」という観念の大衆的想起があったことは、ジャズ音源作品に関する「編集」の存在が未だに見過ごされていること(前『Degustation a Jazz』時代的な問題系)の裏付けのように思われました。
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